2008.3.18

昨日、渋谷から田園調布行きのバスに乗って、駒沢公園に隣接する国立医療センターの眼科の診察を受けに行く。三軒茶屋、上馬、用賀辺りには親戚があり、子どもの頃よく亡くなった母に連れられておばさんの家など訪ねた記憶があるが、もう半世紀前のこと、当時の面影は全く無い。
眼科で思い出すのはドイツに住んでいた時のこと。ドイツの11月も末になると、外は寒さがまし闇が深くなるにひきかえ、人々の内は幼子イエスを待ち望む喜びの火が灯り明るく暖かになって行く。そんな11月末、私は町の眼科医に「このまま放っといたら目が見えなくなりますよ。すぐにチュービンゲン大学病院に行きなさい」と宣言された。〈目が見えなくなる〉と何度も口ずさみながら家路に急ぐ私の周りは、突然黒々とした闇ばかり。それにしてもドイツ語って何と強く響くことか、などと言っている場合ではない。翌朝未だ夜が明けないうちに叡と一緒にチュ―ビンゲンに向う。
汽車で一時間。夜明けの美しさなどに目もくれず一目散に目的地へ。当時チュービンゲン大学の眼科はとても優秀で、全国から患者が集まると聞かされた。病院に着くと、異常に待合室は患者で溢れている。聞くと、看護婦のストで手薄らしい、と判明した。受付の手続きから全て初めての上、初級ドイツ語は役立たず、他の人を観察するしかない。二人でどうにかカルテを作ってもらい待合室で待っていると、女の人がやってきて「充分時間がありますから、町で食事をしてきてください」という。そんなに簡単に言われたって!と思っても反論出来ない。再び市電で町の中央広場まで戻る。
泉を中心にした美しい石畳の広場には朝市が出ていて、その周りをレストランやカフェが取り囲んでいる。私たちはその一つの店の二階の窓際に陣取った。頭の中に〈目が見えなくなる〉がぐるぐるしているので、会話は無い。ぼんやりと外の市を見て時間を費やし、再び病院へ。まだ一杯待っている。結局私の番は一番最後で、辺りは家を出た時と同じようにすっかり闇に覆われてしまった。最後の二人はボーデン湖からやってきた赤ら顔の太ったおじさんと私.並んで診察を待つ内に、親しく話しかけてきた。「あんた、何処が悪いんだい?ナニ、わしは大したことないのに、医者が行けって言うもんだから、4時間かけてやってきた。もううんざりだ。これでやっと帰れる。お互いもう少しの辛抱、辛抱」やけに陽気だ。それに引き換え私の心は増々落ち込んで行く。
“医学はドイツから”と言うだけあって、先生の診察はとても丁寧かつ親切だった。看護婦も不在で超超過勤務にも拘らず、決して急がず沈着冷静なのには感心してしまった。診断はこうだ:今のところ大丈夫だが、近眼なので網膜剥離を起こす可能性があるので、一年に一回診察を受けること。
やれやれ終わったぁ~嬉しくて身体も軽く、速くかえろ~と二人で階段を下りて行くと、先ほどの赤ら顔のおじさんが、青くなって「直ぐ入院だって言われた。即レーザー光線をしなければならないらしい。もう一発やってもらった。ああどうしよう!
妻に電話だぁ~」とわめきながら、階段を駆け上がって行った。
 さて私たちは、駅で最終の汽車を待ちながら、芥子付きフランクフルトソーセージを食べる。ところで、朝から放ったらかしにしている3人のお子さんたちはもう寝ているかな?もう四半世紀も前のことだ。
さて、昨日は国立医療病院の眼科の診察を受けながら、あらためて光工学の進歩や技術の進歩の速さを思う。

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2008.3.16

早朝目が覚めて蒲団の中で「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果)を読みおわる。春の光が、こんなに美しく一日の始まりを祝福してくれているのに、やれやれ、 心が重くなるような報告がいっぱいだ。今日は二重三重のからくり箱の中にいるようで、何が本当で何が嘘なのかわからない。がんばっても何も変わらないし変 えられないから、まあいいか、と知らず知らずに無関心になり・・・・でも、最後に「だが目を伏せて口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ.そして大人 が自ら舞台からおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始まりになる」という著者のメッセージを読んで、さあ起きよう、と蒲団から出て、午前中早々に家を 出て、叡と渋谷の松濤美術館に小学一年の孫娘の絵を観に行く。渋谷区小中学生絵画展に彼女の絵が選出されているからだ。
『まほうのくに』というタイトルで、あか、オレンジ、ピンクの美しい色合いは、いかにも女の子。ちいさなあたまの中いっぱいに広がった「まほうのくに」が そのまま画用紙に描かれている。194点の作品はどれもこれも自由で、たのしくて、ふしぎで、うつくしい。どれもこれもマチス、シャガール、クレー、マル グリット、ダリ、ピカソ等々に引けを取らない。子どもたちの絵が、私の重い心をしっかりと救ってくれた。
午後、世田谷のシアタートラムで川村毅さん作・演出の『ワニの涙』を観る。2005年に始まった〔神なき国の夜〕シリーズの最終章。前作の『クリオネ』と 『フクロウの賭け』と今回も手塚とおるさんが主演。川村さんの作品には何時も黒々とした大地の土の香りと突き抜ける透明な空の青さが感じられる。手塚とお るさんは独特のセリフの語り口、不思議な動き、奇妙な役がよく似合う。なにはともあれ、私はお二方の大ファンなのだ。これからも観続けるぞ!

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2008.3.15

チベットで騒乱が起った。中国当局の鎮圧で犠牲者が出て、中には16歳の少女も含まれているらしい。何と痛ましいことか。
 「ルポ 貧困大国アメリカ」の著者堤未果は、今日のアメリカの貧困地域で栄養不足による肥満児、肥満成人が急増していると報告している。その結果、加工食品産業が目ざましい利潤を得るという。いまや「貧困」=「肥満」になりつつあるらしい。
遠い国の遠い話ではないだろう。恐ろしいことだ。
 経済的弱者が経済的強者を富ませる。
 大きな国が小さな国を攻撃する。
 戦争がないと儲からない。
 平和のために戦争をする。
こんな文脈があっていいのだろうか!

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2008.3.14

私の心の中にいつも大切にしている詩句がある。
―貧しさは、内面からさす美しい光である―リルケ
“内面からさす美しい光”は、どんな色をしているのだろう?

先日、嵯峨野にお住まいの志村ふくみ先生から、4月に東京で行われる展覧会のご案内を頂いた。久しぶりにお会いできるのはとても楽しみだ。その上、先生の“色”に直接触れることが出来ると思うと、今から心が踊る。
ふくみ先生からは、多くのものをいただいてきた。その“色”から、その“ことば”から、そして先生の存在そのものから。
何年も前、私は極度の鬱病を患い、数年間を「死の世界が私の生きる世界」という世界で過ごした。自分の外側は、全て色を失ったモロクロの世界。人からも 世界からもはぐれてしまい、言葉も失い感情も失い、硬く閉ざされた世界の中で、石のように固まってしまった私の身体の中に、何かが流れ始めたと感じたの は、春先に咲いた水仙の黄色い花を目にした瞬間。闇の身体に光がさし込む。不思議な体験だった。それは正しく志村先生の「草木の精は、命ある色を内に宿し て、いつでも人間のために捧げる用意をしていてくれる」というメッセージそのものだと思った。
私が全てのものから切り離されて、たった独りで闇の中に沈んでいた時でも、草木の精たちは、内なる光を限りなく降り注いでいてくれたのだろう.
「草木から命をいただく」という先生のことばには、うつくしく生きる人間のあるべき姿が込められている。

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2008.3.12

63年生きてきて、自分の日記を公開するなんて考えもしなかったこと。未知の惑星に飛び移る気分だ。でも面白いかもしれない。やってみよう!
今日は大根のおみおつけを作る。お味噌汁ではなく、おみおつけ。亡き母は何時もそう言っていた。因に私は大根のみそ汁が一番好きだ。あのシャキとした歯触り、ちょっと青臭い甘さ、なんとも言えない。聞いた話だが、最近子どもたちのみそ汁ばなれが加速しているとか。トーストのバターのほうが香ばしくて、しかも簡単なのかな?
昨年、夏の初めに母を送った。享年九十四歳。亡くなる一ヶ月前から食べなくなり、ひたすら夢うつつの状態がつづき、時折出てくる言葉は子どもたちに食べさせるご飯のことばかり「ごはんとおみおつけさえあれば・・・」
大正二年農家の三女として生まれた母はにとって、私たち5人の子どもたちに腹一杯白いご飯とおみおつけを食べさせたいといつも心を砕いていたのだろう。
“大根のおみおつけ”で思いだすのは、子どもの時に見た映画「ノンちゃん雲に乗る」だ。朝、原節子扮するかあさんが台所で「トントントン」と大根を刻んでおみおつけを作っているそのまな板の音をを、ノンちゃん役の鰐淵晴子が蒲団の中で聞いているシーンだ。早朝の朝の光と、トントントンの軽快な響き、プ~ンと匂ってくるみそ汁の香り。まだまだ貧しかった戦後日本の庶民の美しい朝の風景。

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ご挨拶

本日ブログを開設いたします。宜しく.笠井久子

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笠井久子ブログ

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