2009.4.27

今日は月曜日。いよいよアンジェ滞在も金曜日まで。今日の夜は、ワークショップ生たちを我が家(一ヶ月もこの部屋で暮らすと、我が家と言いたくなる)に招 待して、叡がお得意のスパゲッティーをご馳走することになっている。芽里さんは肉じゃがを作るとはりきっている。イスラエル人のヤイールは豚肉はダメ、ポ ルトガル人のルービンはトリと貝はダメ。日本人の芽里さんはキウイがダメ。それぞれの民族の、あるいは個人の嗜好、アレルギーがあって難しい。
火曜日に加藤みや子親子が旅のついでにアンジェに立ち寄るというので、昨日は彼女たちの迎えの下見のつもりでアンジェの駅までブラブラ歩いてみた。4月の 初めよりぐっと緑が深くなっている。駅までは思ったより遠くなく、駅前は日曜日で何処の店も休みの街中より人が溢れ活気がある。日本語で書かれた観光案内 図があるのを知っていたので、インフォメーションで貰おうとしたが、オフィスの誰にも英語が通じない。「プリーズ,ギブ ミイ ア マップ」「アイ ウオ ント ア マップ」いろいろ試してみたが、一向通じないのは、私の英語の発音のせいばかりではないようだ。加藤親子は英語を使ってタクシーで我が家まで来 ると言っていたけど、迎えに行かなければ、我が家にはたどり着けないだろう。
帰りがてら、美術館に寄ってみた。受付でまた英語が通じない。アンジェ付近で発掘された遺跡など面白いものが陳列されているが、フランス語の説明だけなので詳しいことが分からず惜しいことだ。
CNDCのエグゼクティブ・ディレクターのエマニエルの父親はベトナム人で母親はフランス人。彼女のパートナーはやはりダンサーでポルトガルの人。財務担当のデービットはイギリス人。秘書のライサは韓国人。そして生徒たちは世界各国からやってくる。
これほど民族とか人種の境をもたないインターナショナルな国立のダンスセンターが、フランスらしさが静かに息づいている小さなアンジェの街で活動しているというのも面白いではないか。

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2009.4.24

復活祭のヴァカンスも終わり街に学生たちが戻ってきて、お昼時になると私たちのアパルトマンの近くは、春の陽光のもとで地べたに座って、細長いフランスパ ンのサンドウィチを食べながらおしゃべりを楽しむ若者たちで溢れかえる。叡のワークショップもあと6日になってしまった。
水曜日に今仕事でフランスに来ているダンサーのJouさんとミュージシャンの松本さんがパリからやってきた。この若いカップルは、瑞丈となおか夫婦の友人 である。翌日の午前中、先日から思案していた日本に送り返す小包を、二人で難なく郵便局まで持っていき発送してくれので大助かり。それから、メール河沿い の17世紀には孤児院だったというタペストリー美術館までの散歩。一直線に続く菩提樹の並木は、よもぎ色の新芽で目映いばかりに煌めいている。
その晩は、叡に代わって、料理が得意の松本さんがおいしいパスタを作ってくれるというので、日本人のワークショップ生の芽里さんもやって来て、久しぶりに賑やかな食卓だった。
話題はやはりダンスのこと。思えば天使館を建ててから40年あまり、国分寺で、シュツットガルトで、ローマで、ナポリで、ベルリンで、ニューヨークで、チ リのサンチャゴで、サンフランシスコで、そしてアンジェで、なんと多くの人たちのダンスの話を聞いて来たことか。若い芽里さんは自分の体験不足を嘆いてい たが“まだまだこれから、急ぐことはないわよ!”
そして今朝、Jouは一時間ほど叡のワークショップに参加して、二人でパリに戻っていった。

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2009.4.19

今日はくもり、爽やかな天気がいっこう長続きしないのは何故か?お休みのためか、街は静かだ。午後からアンジェ城にむかって散歩する。気温は13度。肌に 空気は冷たいが気持はいい。アンジェ城の外側を回ってみる。もともと岩石状の岬に造った要塞だというが、石を積み上げた美しい形の塔を17も、どうしてこ んなに見事にバランスよく城の回りに配置することができたのか、驚いてしまう。それから、城内に入って塔のうえに昇ってみた。眼下にはメーヌ河が流れ、対 岸の街並は遠くの方で霧の中に消えている。背後からサン・モーリス大聖堂の鐘が聞こえてきた。12.13世紀に建てられたというこのゴシック建築の教会堂 の尖塔は、今私たちが逗留しているアパルトマンの屋根裏の窓からも直ぐ近くに見える。低くたれ込めた雲の下で、グレーの屋根と白壁の建物で統一されたアン ジェの街全体が、しっとりとした佇まいを見せている。

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2009.4.18

今日は、週末で叡のワークショップはお休み。郵便局へ行き日本に送る荷物の箱を(7kgで35.50ユーロ)を買う。午前中の爽やかな陽射しに誘われて、 蚤の市をやっている広場までブラブラ。大きな教会の前の円形の広場は、アンティックの家具、古本、絵、食器、洋服、靴、昔の大工道具、浣腸器、眼鏡、人 形・・・などを売る店で賑わっている。文章が書かれている絵葉書や使いかけの手帳まである。叡は父寅雄さんがかけていたようなまん丸い鼻眼鏡を見つけ欲し そうにしていたが断念した。私は小さなペンタグラムの徽章を買った(5ユーロ)。陽の光は強く汗ばむほどだが、空気は乾燥していて気持が良い。こうして ゆっくりと、ひとつひとつの店を覗いて歩きながら、私もすっかりアンジェの住人の気分になっている。正午を告げる教会の鐘が厳かに鳴り響くと、あちこちで 店じまいが始まった。来週も覗きにこなくては・・・。

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2009.4.17

大柄のモハマッドは、『一千一夜物語』に出てくるペルシャの民族衣装にターバンを巻いたらよく似合いそうなイランの青年だ。浅黒い顔に漆黒の大きな瞳が、 33歳にしては幼く思われるほど無邪気な笑みをたたえている。他のワークショップ生によると、何をするにも彼はいつも遅れるそうだ。飛行機に乗るのも遅れ るし、集合時間にも間に合わない。先日の復活祭前夜のパーティーにも、かなり遅れてやってきた。でも、みんな「彼は自分の時間を持っている」と言って気に していない。
イランではコンテんポラリーダンスは禁止されている。民族舞踊以外のダンスは男も女もしてはいけない。イスラムの厳しい掟が今も生きているという。モハ マッドは叡のワークショップを受けているが、将来は映像関係に進みたいらしい。叡によると、彼は複数形の身体が抜群だそうだ。独りで動いているのに、まる で10人の子どもたちと一緒に動いているかのように見えるという。多くのヨーロッパ系のダンサーが単数系の動きをする中で、とりわけモハマッドの動きは特 徴的に見える、と話してくれた。
いずれにしても、コンテンポラリーダンスが禁止されている国からこのCNDCやってきて、叡のダンスのワークショップをうけることは、彼にとって革命的なことであるだけではなく、彼の存在そのものがこの時代においてとても大きな意味を持っていると、私は思っている。

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2009.4.16

通訳のマシューは日本映画の研究家だ。特に吉田喜重とか大島渚とか松本俊夫などの映画、1970年代前後の、あのかなり熱い時代の映画を研究しているとい う。私が「私は新宿の歌舞伎町育ちだよ」と言うと「羨ましいなぁ~、新宿に住むのがボクの夢」と答える面白いフランスの青年だ。そのマシューの部屋で夜、 日本映画の上映会をやるから、と誘われた。夕食後、今はCNDCの稽古場となっているが、かつては小学校だった旧い石造りの建物の3階に彼の部屋はあっ た。もう10人くらいのワークショップ生たちがいて、思い思いにワインを呑みながら、マシューの作るつまみを食べていた。みんなが時代物のテレビの前に集 まって、松本俊夫の『薔薇の葬列』の上映会が始まった。画面が小さい上に暗く不安定な画像で音声も聴き取りにくいという悪条件ではあるものの、松本俊夫が 撮ったあの40年前のムンムンした時代ー土方さんの稽古場アスベスト館から叡と二人で朝帰りしたり、北鎌倉の澁澤龍彦邸を前触れなしに訪れて、そのまま泊 まりこんでしまったり、時間があれば仲間と集って新宿の凮月堂、ランブル、スカラ座,などの喫茶店にたむろしたり、お金もないままソロ公演を実行したり、 旧弊な社会権力に立ち向かう破壊衝動に溢れていた時代ーの感覚が、自然にカラダに流れ込んできた。ジュネ、レダ、ボードレール、ゲイ、麻薬、薔薇、オイ デュプス、倒錯、新宿、暴力、反権力、ゼロ次元・・・そして、テレビのヒッチコック劇場でおなじみの淀川長治の「コワカッタデスネ,コワカッタデスネ、そ れでは、サヨナラ、サヨナラ」まで、これはなんという体験なのだろう!落ち着いた中世のたたずまいの香りが今も残る、この日本から遠く離れたフランスのア ンジェで、40年前の新宿を体験するなんて!、

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