CNDCでのワークショップ、三日目

今日でCNDCのWS、三日目。フランス人を始め、エジプトのマーメッド、イランのアリ,ポルトガルのリタ、アフリカのアマル等の多国籍20名の参加で、あとイタリアの振付家クラウディアが同席。全員大変熱心で、全く新しい事柄に挑戦している。今日は始めに、一時間ほど全員での話し合い。テーマは「カラダをどうとらえるか?」「動きとは何か?」について。
カラダを五つの観点から、すなはち「カラダと言葉、社会、意識、魂そして物自体」から観るという意見。アマルはちっよと変わっていて、カラダに関してのみ、そのような「問いを立てない」と言うのがいいと。カラダはそのような問いを立てた瞬間から、カラダそのものから遠ざかるから、と言う意見。三谷裕子さんの通訳を交えて、あっというまに一時間半経過。
次に笠井から「対象」としてのカラダと、「表象」としてのカラダについての説明。そばのピアノを鳴らし、その音はカラダの外で鳴っているのか、それともカラダの中で鳴っているのか、と言う問いかけに、「内と外の両方」と言う捉え方が多数でした。
次に実際に一人一人「対象としてのカラダ」と「表象としてのカラダ」を交互に動いてみる。
ほんの僅かな身体感覚の違いを捉える高度な練習。最後にバッハの「フーガに技法」の振付の練習で終了でした。

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エマニュエルの飛躍

昨日、セントナザレ公演が終わりました。公演前はいつもと変らず、その前のアンジェ最後の公演の反省会。
私はその日の観客、場所等に「動き」がかなり左右されるので、それに合わせるのがエマニュエルにとって、大変そう。話し合いで決めたことも、守らないことがしばしば。マチューからは、「kasaiさん、エマニュエルがいること、WASURENAIDEKUDASAI、、、、」とよく言われる。

「よし、今日はすべて決めごとどうりにいくぞ、、、、」と自分に言い聞かせて、舞台に行く。気持ちも彼女の動きに出来るだけ合わせながら。すると、時間た経つにつれ、彼女はしだいに動きに「伸び」が出てきて、大胆になって来るくるではないか。そして遂に彼女は「彼方の世界」にジャンプした。やはり当方はエマニュエルの飛躍の「基」にならないと。。。。

終ってまた,いつもの港の近くのレストランでワイン。久子はなんと静かに、ステーキを食べているではないか。ここのオーナーはかつて、サッカー選手で、ワールドカップの試合で日本に来たことがあるのだそうだ。リットバスキーやルメニゲの時代に。

今朝午前中に、新幹線でアンジェに戻りました。

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セントナザレ

昨日、フランス西海岸の街、セントナザレに到着。
この街はかつてドイツ軍と連合国軍が激しく戦闘し、市のほとんどが壊滅したので、いま建っている建物は新しいものばかり。最近まで破壊された軍需施設が残っていたそうだが、その後町は、劇場や文化施設を創って、アートの町として甦った。

劇場はすばらしく、20メートルの高さから、スポットライトが落ちてくる。夜は光の中に揺れる、暗い港の前のレストランでステーキと白、赤ワインを飲みました。

話は飛ぶが、劇作家の川村毅さんが鶴屋南北戯曲賞を受賞。こころよりお喜び申し上げます。
久子のとこに来た平井さんのメールによると、この受賞対象となった「フォー」は、「AOI-KOMACHI」とともに川村さんにとって、一番苦しみの中から生まれた作品だそうです。

川村さん。。もう一度「AOIーKOMACHI」が再演出来たらいいですね。

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再び夢

 「左側に、大きな鉄の棒で形造られたひとの顔。右側に、同じく鉄の棒で形造られれた大きな人体。」

「私の隣に二歳年上の姉がいる。右の人体に向かって、私は姉に説明する。『この鉄で造られた人体においては、ひとつひとつの臓器はそれに対応する神の働きに結びつている。』人体の臓器はひとつひとつ神と結びついていると。そしてさらに、姉に向かってこう言う。『この鉄の人体に”彩色”するために、自分は生きて行きたい』と。」

「次に左側の鉄の棒で造られた顔を見ると、”ボディーサトヴァ”と書かれている。」

「目の前に川が流れている。その川を渡ると、視界が広がり、彼方に三本の樹が立っているのが見える。新緑に輝く豊かな葉に包まれて。葉は風に揺れて美しい。あまりの美しさの故、涙が出る。」

しばらくして目が覚める。何度も今見た夢の光景を、こころの中で反芻する。
最近、夢の中で涙する事が重なる。夢は現実以上の現実で、時に、一生を左右するほどの影響力がある。

今日はOFFfなので、午後久子と散歩にでる。近くのゴチック様式の教会に入ると、パイプオルガンが雷のような轟音を響かせて、石の会堂内に響き渡っている。しばらく木の椅子に座って、皮膚が震えるような音のシャワーのなかで二人とも黙す。それから何度も行ったアンジェ城へ、自然に足が向き、1000年前の中世にワープ。凍えるような空気のなか、部屋へ。

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雪まみれ

雪と氷に大地が覆われたアンジェで、最後の公演が終りました。計五回。

カラダの動きは、それを測る測定器というものを必要としている。けれどもダンサーはヴィデオ映像のように、自分のカラダを、外側から見るわけにはいかない。ダンサーはカラダの内側から、「動き」を測定しなければならない。この測定器をどのように持つかは、みな人それぞれだと思うけれど、自分の場合は、やはり「純粋知覚」といか言いようがない。
つまり知覚が働いた時には、すぐにその知覚は記憶と結びつくが、この記憶と対象が結びつく以前のところに留まりつづけ、その状態を意志的に持続することなのだ。
純粋知覚の中では、劇場は劇場以外の何ものかである。空間を照らしている光は光以外の何ものかである。

昨夜は劇場の中に雪を敷き詰めて踊りました。エマニュエルも多分その雪の上で踊っていました。目には見えませんが、二人とも雪まみれいなって動いていたと思います。

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今朝、窓に目をやると、雪景色。向いの屋根に、チョコレート菓子にまぶした粉砂糖のような、ふんわりとした雪。ふと、ポール ギャリコの「雪のひとひら」を思い出す。空から舞い降りた雪のひとひらが天に還るまでまでのお話。矢川澄子さんの訳で日本語になった。彼女も、もう天に還って行った。

昨夜のエマニュエルはいままでになく、のびのびしており、即興とユニゾンの振付の案配がとても自然だった。これまで何十回となく行なったDUOのすべての成果がそこに実っていた。そのような翌日の舞台はむつかしい。その時の体験にとらわれてしまうので。

雪は人々のこころに、純粋知覚を齎してくれる。この雪を、舞台のうえに敷き詰めて、アンジェ最後の舞台を乗り切ろう。

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笠井叡ブログ

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