純粋知覚

アンジェの街を歩いていると、前世からの記憶が甦ってくるような気分に襲われる。純粋知覚とは、一切の思い込み、記憶を排除して、あるがままの対象を知覚することだが、この純粋知覚で、この街を歩いていると、いまこうしてここを歩いているのは、ダンス公演のために来たのでもなく、フランスから呼ばれたから、ここにいるのでもなく、一種の「運命的必然性」によって、ここにいるとしかいいようがない。純粋知覚のなかにいると、すべての出来事が必然として、生じているのであり、そこには自己の意志なぞ、微塵も入り得ない、「生のままの生」の流れが現れてくる。

アンジェは典型的な中世の城を中心にして造られた町であり、1000年の時間も流れが生き生きしている。城は堅固な城壁に囲まれている。そして城の中には小さな街がある。ここにいると、今の生と前の生がそのまま繋がるのだ。そしてこの純粋知覚のまま、気合いを入れて舞台に飛び込むのだ。

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昨夜、ブログを書き終えて眠りに入ると、すぐに夢を見ました。なんと、寺山修司が闇の中から、ぼんやりと出現したのです。何かを言いたげでしたが、言葉にならないもどかしさを感じました。演劇的犯罪を試み続けた寺山のことだから、あのブログに何か言いたかったのかもしれません。(ブログは死者にも通じる)
敢えて言えば、その時の彼の身体には、なんと言うのか、演劇でもダンスでもない中間を感じました。

今日はここフランス、アンジェは午後から雪が降るとの知らせ。でもここから見える空はまだ雪模様をまったく感じさせない。

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angers舞台二日目

ダンスと演劇を比べるならば、言葉を中心とする演劇と、行為(動き)を中心にするダンスの違いということになるが、本質的には、「表現」と「現実」の違いという事になろうか。舞台で踊っていて常々感じるのは、なにかを表現しようとしているのではなく、ひとつの現実を創りだそうとしている、ということであり、そしてこの「生み出された現実」が日常的現実よりも、遥かににリアリティーを有しているというという事を確認しようとしている自己自身である。演劇におけるリアリティーが「変身」のリアリティーであるとするなら、ダンスは変身ではなく、ただ真の自己自身であろうとする。「鉄」という素材で何を創りだせるか、ではなく、ただ、「鉄という素材が何か」ということだろう。

ダンス空間は表現と現実、変身と自己、表現と暴力の両極を行き来いしているように思える。犯罪者にとって、しばしば犯罪自体が表現である場合がある。
ダンスが演劇空間に接近するにしたがい、ダンスは弱体する。反対に現実、自己、暴力、犯罪的であればあるにしたがい、ダンスはその強度をます。

という意味で、どうも二日目の舞台は演劇的空間のベクトルへと傾いていたとのではないかな?

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angers舞台初日

今夜はアンジェにおける「spiel」公演の初日。

これから本番というときに、また長めのdiscussion.
日本では、そんな時に話し合いなぞ、ほとんどしない。これから清水の舞台から飛び降りようとする時、「この舞台をする意味について」、話し合うということは。

けれども、こう言ってよければ、ヨーロッパ、とくにフランス人はいざという時、お互いがいま何を思っているかを、言葉や動作で確かめあうというのは、とても大事なことなのだ。エマニュエルと舞台を続けていて、つくづくそう感じる。例えば、長く恋人同士であっても、つねに言葉で、自分が相手に対してどう感じているかを、確かめ合おうとする。(むろん彼女とそういう関係ではないですが)

人間にとって、恥と不安というのは、存在に対する原感情のようなものだと思う。この場合、多分「恥」と言うのが、日本人の原感情であるとするなら、「不安」とは、フランス人にとっての原感情なのではないか。。。。自分の気持ちをいちいち言葉にするのが、不得手な私にとって、エマニュエルと踊っていて、このことを、常々勉強させられている気がする。
という訳で、今日も初日、何とか終えました。

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アンジェ初日

昨日午前11時半に離陸し、パリ空港にはYuukoさんがわれわれ二人をピックアップ、夜7時頃、アンジェの宿舎に到着しました。

今回はあまり時差を感じず、なにか、国分寺から原宿に来たくらいの感じで、着いた夜の町の風景も、それほど時空の歪みなく視界に入ってきます。今朝6時まで、熟睡。10時過ぎにエマニュエルが車で迎えに来てくれ、CNDCへ。ここには700と言う劇場と400と言う劇場がある。今回は400のほう。14日から18日での5日間、「spiel」を公演します。三方を客席で囲まれた天井の高い、ブラックボックス。
一時間ほど、前回のパリ公演に着いての感想や反省。

「spiel」は私とエマニュエルのDUO作品で、ヨーロッパではすでに4都市で公演されている。今回のCNDCの公演は8年間エマニュエルが務めたCNDCの芸術監督の退任公演なので、アンジェ市でも注目されている。切符も完売。気合いを入れて明日、ゲネプロです。

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新しい虹

以前から、思い出したくてなかなか全文が思い出せなかったヘッセの詩を、最近
やっと思い出せたので、忘れないうちにここに書かせてもらいます。

新しい虹

神の息はあちこちに
また上下に吹きただよい
光が歌ういく重の歌
神が光彩の世界に化す
白は黒に
暖は涼に
絶えず新たに
吹き付けられ
湧く混沌のなかから
永久に
清まりなる
新しい虹

世界がいま「新しい虹」を、
欲しているのだろうと思います。それは丁度ノアの大洪水のあとに、世界に初めて虹が
現れたと時のような。一度全てが崩壊したあとに顕われるような。湧く混沌のなかから
清まりなる新しい虹を。

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