旅は続く

昨夜、大雨の中、トゥールーズのガロンヌ劇場のアトリエでの「Spiel」公演が、無事に終わった。1ヶ月滞在したフランスともこれで、今暫くはお別れ。

次は、いよいよ日本公演だ。これから、ユウコとパリに向かい、ドゴール空港から成田に・・・・。

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トゥールーズへ

フランス滞在も残り3日。いよいよ日本かぁ、と考えると、うれしいような、さみしいような、恐ろしいような、複雑な気分になる。

昨日、アンジェからトゥールーズにやって来た。照明のオーグスタンも一緒なのでありがたい。アキラと二人だけだったら、情けないことにオオゴトなのです。アンジェからナント駅、そこで飛行機に乗りかえてトゥールーズまで、およそ1時間。アンジェからトゥールーズまでの間に、晴れ、曇り、風、雹、雨・・・・。なんと忙しい天気の変わりよう。ナントで大粒の雨と風で吹き飛ばされそうになりながら、駅前のタクシーに乗ると、外の強風とは裏腹に、滑るように走り出した車の中で、ドライバーとオーグスタンの会話が始まった。フロントガラスを叩き付ける雨粒を眺めていると、遠くの空の雲間から薄日が射し、青空が見える。また、強い雨。車の中では、オーグスタンとドライバーの二人のおしゃべりが続いている。まるで、美しい室内楽を聴いているようなフランス語の響きの優しさが耳元に心地よい。幸せなひととき。

トーゥルーズに飛行機が到着したとき、オーグスタンは「ヒサコ、ここはアンジェより寒いよ。上着を着たほうがいい」と言ってくれた。本当だ。外に出ると真冬のような寒さ。もう直き春を迎えようとしていたアンジェとは大違い。南フランスとはいえども、ここはピレネー山脈の麓ですものね。

照明のオーグスタン、音響のマチュー、通訳のユウコ、制作のエステル。私の子どものような年の若いみんなが、不良品で修理不可能になった私のカラダを支えてくれている。ありがたいこと。

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リタ

ポルトガル人のリタが、アキラのワークショップを受けるのは2回目だ。3年前の1回目のワークショップの時にも、彼女は参加していた。もともと彼女は幼稚園の先生志望だったが、当時CNDCの芸術監督だったエマニュエル・ユインがポルトガルでダンス公演を行なった際に、たまたまエマニュエルのお嬢さんのベビーシッターをやったのがきっかけで、CNDCのエッセイコースに参加するようになった、と話してくれた。参加者のほとんどの国籍は異なり、個性の強い若い男女の集まりの中で、彼女は、いかにも初心で、素直で、目に入るもの全てが新鮮であるかのように大きな瞳を輝かしながら、はにかんでいる少女に見えた。

当時、そんなリタが、急に「去年、私独りで日本を旅しました」と話しかけられてびっくりした。思わず「どこを、どうやって?」と聞くと「四国のほうです。日本の方はとても親切で、暖かく、一軒の農家を訪ねると、必ず泊まって行きなさい、と言われ、次の日はその家の知り合いのうちを紹介してくれました。毎日、感謝の気持ちでいっぱいになりながら、何の心配もなく旅が出来ました。日本は本当にいい国ですね。今度は東京に行きます」それは大変!! ちょっと待って、と私は心の内で叫んでしまった。

それより数年前、「花粉革命」公演でポルトガルのファロに行った時のことを思い出した。初夏の頃だったか、イベリア半島の南端の港町ファロは、小さな箱庭のように可愛らしく、街の至る所で見られる合歓の木は、美しい薄紫色の花がたくさん咲いて、時折の海風に街中に甘い香りを漂わせていた。

日本とは全く異質な幻想的なファロの街。でもなぜか懐かしかった。

さて、今回のリタ、可愛らしいから美しいに変身し、はっきりとした口調で「来年は日本に行きます」と言った。そして「でもポルトガルは今、経済的に危機に瀕しています。スペインも、ギリシャも。ポルトガルは小さい国で・・・・」と悲しそうに付け加えた。私は心の内で「でも大丈夫、リタ、あなたなら。だって、その昔日本人が初めてあったヨーロッパの人は、あなたの祖先だったんですから」と言いながら、いつの間にか、時空を超えた遠い国との繋がりに想いは広がる。

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クラウディア

イタリア人のダンサーで振付家のクラウディアは、美術学校の先生をしている。今回彼女の生徒たちも、アキラのワークショップに参加した。ブラジル人、ポルトガル人、フランス人など国籍もさまざまだ。毎日、クラウディアはアキラのワークショップを見にきて、熱心にノートをとったり、輪になってみんなで話し合う時には、一緒に仲間に入って静かに生徒たちの意見に耳を傾け、稽古の休憩のときは、アキラの課題を上手く動けない生徒に、そっと動き方を教えたりしていた。

お国のことを聞くと「23歳の時に、私はイタリアを捨ててフランスに来ました。随分長いこと国には帰ったことがありませんでしたが、最近は家族に逢いに、時々帰ります」と言い「イタリアにいると、早く結婚して、家庭を持って・・・と言われて、自分らしく生きられなかったので」と付け足した。「イタリアのどちらですか?」と聞くと「アドリア海に面した北イタリア」とだけ言った。須賀敦子さんの「トリエステ」或はリルケの「ドゥイノ」あたりだろうか。国を捨ててパリに向かう気持ちも分からなくもない。今では、2、3の親しいイタリアの友人とイタリア語で話す以外は、母国語はほとんど使わないそうだ。

CNDCの廊下で、クラウディアにばったり出会い、アキラがインチキイタリア語で「トスカ」の名曲「星は光りぬ」を朗々と(?)歌うと、彼女は直ぐに続けて、美しいイタリア語で情熱的に歌い上げた。

漆黒の髪をひっめにして、ミリタリー風の黒皮のジャケットをぴったりと着込み、細身のパンツルックのクラウディアは、とてもかっこいい。でも、生徒達に囲まれて話しているクラウディアは、紛れもない世話好きのイタリア人。彼女の黒い瞳の奥にはイタリア人特有の明るい情熱が秘められている。

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通訳のユウコさん

昨日、CNDCでのアキラのワークショップ終了。通訳のユウコさんが用意してくれた遅いランチのカレーライスを、ワークショップ生とみんなで食べ(美味しかったこと!!)、3時から我が屋根裏部屋の食堂で、エマニュエル、マチュー、映像作家のジュディット、ユウコ、私たちの6人が円卓を囲み、ミーティング。ユウコさんは、6時にはアンジェ駅から列車に乗って、もう直き3歳になるカイトちゃんとご主人のアントワーヌさんが待つパリに帰らなければならない。外は大雨だ。3年目に突入した「Spiel」の今後の育て方がテーマだ。日本語とフランス語を全く違和感を感じさせず、日本人とフランス人の考え方の違いのややこしい話を、お相撲の行司さながら、素早く公平に通訳して裁いて行くユウコさんの手腕に感心する。

そのユウコさん、CNDCのワークショップの初日、何やら怒って現れた。聞くと、カイトちやんが通う保育園では、週1回お母さんが持ち回りで子ども達の保育をする決まりがある。保母さんの人数も少なく済み、その分保育料も安くなる。ママ保母か、なるほど、なるほど。私の子育ての頃もあったかな、そんな考え。

ユウコさんは仕事で、ママ保母が出来ない場合を考えて、他の人のママ保母を引き受けて、10時間のママ保母貯金をした。そこで今回のアンジェでの仕事で、替わってあげた人にママ保母をお願いすると、あっけなく「ワタシ、イソガシイノヨネ、アナタ、オシゴト、Good luck!!」と言われたそうだ。「なにが、グッド・ラックよ。日本人だったら、ゴメンナサイ、と言うわよね」とユウコさん。全くその通り。

国が違い、言葉が違う者同士が、ひとつの舞台作品を創っていくことは、至難の業だ。それは、子どもを育てて行くのに似ている。3歳になった「Spiel」も、次第に自我意識が目覚めてきた。これからどのように育って行くか楽しみであるとともに、ますますミーティングの大切さが身にしみてくる。

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