4月26日 早朝

雀啼く この朝に土 崩れんと

谷底に 切り立つ壁に 我ひがし 彼にしに立ち こだまする声

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走馬灯

昨日、SISカンパニー公演、いのうえひでのり演出、原作尾崎士郎、脚本宮本研「今ひとたびの修羅」を新国立劇場で観る。もろ100パーセント任侠物。

偶然にも、隣の席には麿兄弟と洋子さん。

昭和初頭の東京は深川のはずれ、渡世人の飛車角(堤真一)こと小山角太郎は、義理の上から加担した出入りで人をあやめ、警察に追われる身となる。逃げ込んだ民家で出会ったのは、伝説の侠客の血を引く男吉良常(風間杜夫)。飛車角には、横浜のあいまい宿から足抜きさせ、命からがらともに逃げて、所帯をもったおとよ(宮沢りえ)がいたが、、、、おとよは飛車角が務所勤めの間に、子分の宮川(岡本健一 好演)とできてしまう、、、、、

大殺陣あり、濡れ場あり、花吹雪あり、男と女の間には黒く深い水があり、ひさかたぶりに昭和の気分に浸る。

終わってから、新宿に出、久子の実家の船橋屋でてんぷらと酒を呑む。店を出ると、霧雨。50年前の新宿の街が朧に浮かんでくる。あのころは路地の入り口には、やーさんが足を開いて仁王立ちしていたな。久子のおとっさんはそんな新宿でやーさんと戦いながら新宿を復興した。

人生、走馬灯のようだな。

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笠井家9名初顔合わせ

三日ほど前のこと。長男の爾示の娘、つまり我々の唯一の孫娘、那珠が目出度く志望の中学校に受かり、初めて笠井家全員揃って、お祝いの食事会を渋谷ひかりえのレストランで。その顔ぶれは、

那珠そして爾示、美花。禮示、その連れ合い裕子。瑞丈となおか。そして叡と久子。全員9名。写真を撮りまくりまり。そのあと3兄弟とその女たちは、さらにどこやらへ呑みに、我々は井の頭線で吉祥寺へでて、帰宅。
次回9名顔を合わせられるのは、一体何時?

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Offenbarungについて

ゲーテは「顕現Offenbarung」という観点に基づいて、ニュートンとは異なった、もうひとつの「科学」を打ち立てた。

「顕現」とは、宇宙創造の一切の秘密が自然界の表面に現れていると言うこと。
それは鉱物を「硬いもの」としてではなく「人間」として、植物を、動物を人間として観察すること。

否、風、雪、雨、嵐、津波をひとりの人間の動作として観ることだろう。ゲーテの創造した「霊視科学」はこの全人間主義に基づいて造られている。だから、鉱物は宇宙意志の発現であり、植物はその理解者であり、動物はその存在の「喜び」の「産声」そのものである。

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裏口死

死とは、神から人間に与えられた、ひとつの挑戦状のようなものではあるが、では神は何をどう、人間に向かって挑んでいるのか?

受動的に人間に与えられた死、いはば道を歩いているとき、「偶然」にも上からコンクリートが落下して起きる事故を、人間の側で「必然」に変えられるか、と言うような挑戦か?

カラダと魂が離れることによっても死は生じるが、魂が過剰にカラダの中に入り込み、客に「どうぞ、中へ、中へ」と言って、客が裏口から、庭に落っこちるように、魂がカラダを突き抜ける場合もある。

その時は、カラダが消える。とすれば、死はもともと無かったものなのだ。

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オイリュトミーを通して獲得しようとしている、四つのカラダ

胎児の呼吸は肺呼吸ではなく、鰓呼吸であるが、肺呼吸を獲得した大人
のカラダの中にも、この胎児の鰓呼吸は残っている。同じ関係であるが、胎児
のカラダのなかに、受胎以前の「死から再受肉」の間の宇宙身体が残っている。

受胎以前のカラダ
胎児のカラダ
民族言語を獲得している時の、記憶が働く以前のカラダ
記憶を獲得した後のカラダ

人間の中には、この四つのカラダが四つの層をなしている。もちろん、それは互いに入り組んでいるが。

このことを声との関わりでいうならば、

空気を通して振動する声(記憶獲得後)
エフェソス発声を通して民族全体に響いている声(記憶以前)
声がオーラ色彩となって地球全体に響いている声(胎児)
宇宙の外輪全体を喉として、至大天球の周辺から中心に向かって響いている声(受胎以前)

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笠井叡ブログ

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