先日の BankART における大野一雄フェスティバルでの、「笠井叡日本国憲法を踊る」に、多くの方々が参加していただき、ありがとうございます。自民党の新しい憲法草案に対して反対するというより、ごくごく個人的な憲法と自分との繋がりを、カラダを通して確認してみたかったというところが、本音です。そして、踊ってみて、ますます強く憲法の根幹にある、「言葉の理念」とカラダの結びつきを、感じることができました。できれば、1回だけのパフォーマンスではなく、時と場所を見つけて、2回3回と続けて行えれば、また別の側面が見えるのではないか、と思ってます。今、時代は大きく変化しており、この時代の動きに対し、常にカラダで反応していきたいと思います。「この訳の分からない時代」と「国のカラダ」と「個人のカラダ」が、いよいよ一つに結びつく予感がします。

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来週の日曜日、27日、いよいよ横浜の BankART NYK で、「笠井叡日本国憲法踊る」のパフォーマンスを行います。近頃なぜ自分はこんなに憲法改正にこだわるのかを、つくづく考えさせられます。先日ある新聞記事に、この日本国憲法第9条は、マッカーサー元帥の発案によるのではなく、実は、その時の首相、幣原喜重郎が絶対に戦争放棄の条項を入れるべきだと、強くマッカーサー元帥に主張した、ということを、当時アメリカに帰国した、当のマッカーサー自身がアメリカの公聴会で、証言したというのです。この記事は大層驚かされました。

先月の講演会でも申し上げましたが、私の父笠井寅雄は裁判官でした。非常に自分に厳しい人で、私も、父の厳しさには、毎日泣かされました。その父は昭和29年の9月26日、タイタニック号に次ぐ二番目に大きな海難事故である、洞爺丸事故で、亡くなりました。私が10歳の時のことです。

実は私は、父の死をどのように受け止めたらいいのか、わからないままに、自分の人生を過ごしたような気がしています。神秘学は私の生涯の課題ですが、言ってみれば、神秘学は宇宙の法学であるということを、最近つくづく感じさせられるのです。そして、この私に宇宙の法学である神秘学へと誘ったのは、最近になってようやくわかったのですが、死んだ父です。父は私とともに生きていたのだと、いう事に気が付いたのです。その意味でこのパフォーマンスは、正確に言えば、「笠井寅雄・叡日本国憲法を踊る」と、言わなければなりません。

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この黙示録的現代社会の特徴は、もう、すでに生も死も重なってしまったということだろう。

行き交へる男女が一瞬かさなれるはかなき情死をうつす硝子戸(春日井建)

このような硝子戸の世界において、天皇制の社会であろうと、共和制の国であろうと、もはや本質的な違いはないのかもしれない。もちろん言葉の上では、対極である。しかし、生と死が重なった社会は、どこか「劇場国家風」なのである。すべての人間が死の中から、生を演じているかのように。共和制であろうと、天皇制であろうと、演じられる台本の違いであるにすぎない。いずれにしても、どこかに虚構が忍び込んでいる。

そのような黙示録的社会において、憲法はその台本の筋書きの中にあるのか、劇場国家台本の外側にあるのだろうか。もし、憲法が台本の中に組み込まれているならば、憲法は単なる虚構に過ぎない。憲法が台本ではなく、台本を支える原理であり、劇場国家を支える原理であるならば、憲法は、生者の世界のみならず、死者の世界にも有効であろう。私にとって憲法とはそのようなものだ。憲法が劇場内の台本であるならば、ファシズムであろうが、共和制であろうが、無政府主義であろうが、結局は同じことなのである。そして、この生者にも死者にも有効な憲法とは、ただ、カラダの中から現在進行形で生み出される、言葉の領域、言葉の理念の中にしか、存在しないのかもしれない。

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事後報告になりますが、9月19日(「蝶たちのコロナ」の公演日)に、45分番組の「吉増剛造と笠井叡のセッションおよびインタビュー」番組がテレビ放映されました。そのDVDを、企画したテレコムスタッフから今日 送られてきたので、初めて見てみました。

改めて、 DVD で吉増剛造氏の現在進行形の詩の作業を見て、その内容のすごさに驚かされました。彼は、人の口を通して日本語が生まれるその根源の、声としての言葉あるいは詩が生まれる瞬間を、真に生きている、と思います。そして、動きが生まれる瞬間と、言葉が生まれる根源が同一であるということを、改めて確信させられるました。

この番組は見てない人が多いと思います。いつか機会を作って、天使館で公開したいと思います。

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今世においても前世においても、舞踊家ではなかったルドルフ・シュタイナーが、「オイリュトミー」という身体技法を生み出してから、100年がたった。彼は一体、カラダとダンスに関して、何を知っていたのか?

彼は、ダンスについて、たった一つのことだけを確信していた。人間の「身振り」というものは、カラダに張り付いている。このカラダに張り付いている「身振り」を、カラダから引き離すために、「オイリュトミー」を創始したのだ。ダンスについての唯一の原理とは、「身振り」を天地に供犠すること。

「身振り」を天地に供犠するためには、「身振り」は、カラダから引き離さなされなければならないのだ。

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今日、朝日新聞で国際化とグロ-バリズムの違いについて,述べておりました。スポーツで言えば、サッカーは、グローバリズム、柔道剣道は、国際化という感じでしょうか。グローバリズムは、デジタルで、国際化はややアナログ的なのかもしれません。

ダンスにおいても、アートマネージメントが主導するならば、グローバリズムに成りやすく、個人レベルで、人と人が出会えるるならば、国際化と言えるかもしれません。

来週の月曜日、セッションハウスでヨーロッパ在住のトランペッター、沖至と天使館の4人の男性ダンサー寺、定、謙、禮の4人が、沖さんと共演いたします。前日のリハーサルが取れずに、当日ぶつけに近い公演ですが、お暇な方、どうぞおいでください。

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