昨夜、澁澤龍彦氏の最晩年の著述を読んでいた時、ふと頭の中で、「澁澤氏は、いま天皇制についてどう考えているのだろうか。」という思いがよぎった。

どう思い起こしてみても、氏と天皇についてしゃべった記憶はない。
しかし、昨夜読んだ箇所において、20歳代に自分はフランス革命をいつも考えており、とりわサンジュストに対する思いは熱烈であった、と述べている。だからといって、澁澤龍彦氏は日本が共和制の国なればいい、と考えてはいなかった、と私は思う。

澁澤氏が政治的な天皇を嫌っていた事は確かである。また皇居を解放して、大きな公園にしたらいい、とも語っていたらしい。また戦争なんかくだらない、「じゃんけん」で決めればいいと、心から思っていた。
私は今、澁澤龍彦氏といつも、「沈黙の言語」で話をしている。氏は、肝心なところでは、きっぱりと事を決めるか、笑い飛ばして終えてしまうか、どちらかである。三島由紀夫氏と同様、政治的なことが大嫌いな澁澤氏に、あえて「いま天皇についてどう考えているのですか?」と問うならば、、、、、、、、、、、

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今日の夜は、「日本国憲法を踊る」のための第1回リハーサル。

テキストには、古事記、日本国憲法、大日本帝国憲法、フランス人権宣言、ルドルフ・シュタイナーの言葉、三島由紀夫の言葉等、様々な歴史的背景を持つテキストを選んだ。
一体この憲法を、未来3000年先の人々はどのように受け取るだろうか。1時間の間に、古事記から宇宙的未来に至るまでの人間の歴史を凝縮してみたい、と思う。
5月に手術して以来、今日初めて、本格的に動いてみた。カラダは病んでいるが、カラダの中の言葉は、決して病んではいない。朗読は、尾崎若菜、山口奈緒子、川上晶子の3名。
今回の自民党の憲法改正案に対しては、生きている人間だけではない、死者たちもそれに最大の関心を寄せている。とりわけ第2次世界大戦で亡くなった、何百万もの人々の魂が、その行方を凝視しつつ、その魂が憲法改正させるか、否かを決定する大きな力である。

これからの時代、死者たちの声を無視して、人間はもはや何の事もなし得ないし、なすべきではない。死者たちとともにこの歴史を創っていかなければならない。

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今日、たまたま書庫の中から見つけた,昭和44年の11月に行われた三島由紀夫と石原慎太郎の対談を読んだ。
      、、、、、、、、、、、、、、
石原   三島さん,変な質問をしますけど,日本では共和制はありえないですか。
三島   あり得ないって、そうさせてはいけないでしょ。.あなたが共和制を主張したら、おれはあんたを殺す 。
      、、、、、、、、、、、、、、、
この対談がなされてから、44年の年月が過ぎ去った。今改めて、この自民党の憲法改正草案の時期に、「日本国憲法」を読んでつくづく感じるのは、この憲法が、フランスの人権宣言を元にしているということ以上に、例えば、マルキ・ド・サドがヴァスティーユ牢獄の中で書いた「フランス人よ、共和主義者たらんとすれば、今一息だ。」という言葉に至るまで、日本国憲法の中で謳われている「自由、平等、博愛」の根は深い、といういことである。

地球上で、日本ほど共和制から遠い国はない。なぜなら、ここには天皇制が存在するからである。日本国憲法は、このマルキ・ド・サドの言葉にまで根を降ろしている共和制理想主義と、天皇制という、北と南のふたつの極を、奇跡的に結び合わせているのだ。

この両極を結びつけることは、言葉の領域ではもはや不可能である。再び言葉をカラダに戻すときに、カラダの中でのみ、この二つの極は出会うことができる。「日本国憲法を踊る」というのは、この一点に賭られている。

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ミイラを作っていたエジプト人は、この世よりも彼方の世界の方が、はるかにリアリティがあったらしい。

その後、リアリティは物の世界の方に移動したけれど、再び今日おいて、ゆっくりと歴史は、死者たちの世界の中に入っていっているのだろう。この世に生まれるということ。それは自分の中の差別意識を克服する、ということか知れない。生と死、男と女、私とあなた、この差別を乗り越えなければならない。

先日の講演会で、賃金契約は、人類最後の奴隷制度と言ったけれど、賃金契約に変わる分担契約は、完璧な社会保障制度が一方に存在しなければならない。「所得のために働くのではなく、社会の必要に応じて働く人間になりうるようにするためには、どのようにしたらよいのでしょぷか?」と先月の舞台で、踊った。
分担契約というのは、多分意識の問題である。だから、賃金契約による労働であっても、意識の上で分担契約と思えれば、ちょうど死と生とが、重なっていると思えるならば、二元論を越えられるように、賃金契約の労働意識も超えられるかもしれない。

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滋賀県の琵琶湖における3日間のオイリュトミー合宿が終わりました。

今回のテーマは「オイリュトミーを通して、日本国憲法をカラダの中から創り出す」でした。硬いテーマなので、どのくらい参加者があるか、初めは心もとなかったのですが、多くの方々がこの合宿講座を通して日本国憲法について改めて関心を寄せ、また、今回の自民党による憲法改正がどのような意味があるのかを、カラダを通して理解することができたと思います。

憲法は国の中から生まれるものより、もむしろ外側から与えられたものです。故郷喪失者が憲法の出発の立場に立てるのではないか、と思えるくらいです。憲法は、生きてる人間にとってもまた、死者にとっても同じように有効に働きかける、一つ生きた理念であると思います。

10月27日、横浜の BankART にて、「笠井叡日本国憲法を踊る」という会を行います。興味のある方、ぜひご参加くださiい。

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