存在の反対は不在ではないですよね。
存在の反対は鏡像、虚在ですよね。
罪の反対が無罪ではなくて、「贖い」であるように、
存在の反対は不在ではなく、「虚の存在」ですよね。
鏡の像と実像の世界。
カラダの奥のほうに、鏡像を写すもう一つの 眼があって、
この鏡像感覚によってしか、
この境域の時代の風景は、その本来の姿を見せてくれそうにありません。
明後日の金曜日の午後5時から、国立の北市民プラザでオイリュトミー・シューレ第3学年第三期の発表会を行いますので、お時間のある方、どうぞおいでください。

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もうすでに一億年前に消滅した星の光が、目の前に届くと、そこに1人の人間の姿が浮かび上がってくる。誰だろう。あなたの姿でもあるし、私の姿でもある。星々が落ちてくる。天は逆き、地は海のよう。黙示録の風景。忘れていたあの村の光景。山の上の城。世界中に今、同時に起こっていることがらの上に乗せてみないと、今眼の前で起きていることが何であるのか、よくわからない。海の上に浮かんだ一個のヤシの実のどんな動きも、海全体のうねりに委ねられているように。

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