いつも思うこと

東京国立近代美術館に行く道すがら、いつも思うことがある。国分寺から中央線で中野まで、中野で地下鉄に乗り換えて竹橋まで、とすこぶる快適な直線コース。ところが地上に出るまでの階段の、あとわずか2、3段という所で、手すりが突然なくなる。そこまでふうふういいながら階段を上って来て、はてどうしたものやら、と困ってしまう。頸椎や足首の固定手術を受けたおかげで、バランスが極めて不安定な私にとって、階段の手すりがあってこそ、ひとりで美術館に行けるというのに。たった50センチほどのことなのにケチだな、といつも思う。
ついでにもう一つ。京王線の初台駅から新国立劇場の小劇場に向っていた時、後ろから大勢の人が押し寄せてきて、手すりにしがみついて階段を上っている私の脇を、足早に駆け上って行く。大劇場の開演時間が迫っているようだ。「ああ、せめて地下から地上に出られる身障者用のエレベーターがあったらいいなぁ、恐ろしい思いをせずに、楽しく観劇に向えるのに」といつも思う。

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育世さんの「きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている」を観た。

1週間前、黒田育世さんの新作公演「きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている」を観た。チラシの墨絵のように、育世さんの脚がギューンと天に向かって弧を描き、カラダの内から音が聞こえ、色が現れ、花が咲きはじめ、微風がそっと吹き抜け・・・無音の空間が、いつの間にか、人間の温かさで満たされていた。心地いいのでずっと観ていたいなぁ、と思った。
昨日でオイリュトミーシューレ天使館の夏休みも終わり、2学期が始まった。
そして、マリアピアが、9月の半ばまで、一緒にオイリュトミーの授業を受けるためにローマからやって来た。彼女は、自ら一年かけてローマ在住の日本人ダイスケさんと共に翻訳し出版した「UN LIBRO CHIAMATO CORPO」(「カラダという書物」イタリア語版)を持ってきてくれた。初めにマリアピアの挨拶文があり、舞台写真、索引も含めると259頁に及ぶ大著。でも、悲しいかな、私はイタリア語が読めない。ゴメンナサイ。
マリアピアは「アキラサンノカンガエハ、イタリアジンニハ、アタラシイデス。ムズカシイ。デモ、トテモオモシロイデス!!」と面白そうに微笑んだ。その大きな黒い瞳の眼差しは、温かく魅力的で、十数年前に出会った時と少しも変わらない。何時でも何処でも、若い彼女が、私を心地よく包んでくれるのだ。
Grazie Maria Pia D’Orazi!!

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暑い夏の日に

毎日の新聞で、ちょっと気になって切り取った記事が箱一杯に詰まっているので、思い切って大学ノートに貼付けてスクラップブックを作ってみた。その中の2006年10月7日の朝日新聞夕刊に、米国ペンシルベニア州にあるアーミッシュ=キーワード=の学校で、銃で撃たれて死亡した5人の女児の埋葬の記事があった。
「『私から撃って下さい』。亡くなった中で最年長だったマリアン・フィッシャーさん(13)は、教室に残された10人の女児を容疑者が撃  つつもりとわかったとき、そう進み出た。」マリアンさんの妹バービーさん(11)も、姉に続いて「『その次は私を」』と続けたという。2人は、より小さな子どもたちを助けたい一心だだったという。」
”事実は小説より奇なり”とは言うけど、でもねぇ〜・・・などと思いながら、セピア色に変色した新聞の切り抜きを、とりあえず大学ノートに貼付けた。  

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