昭森社の森谷さん

「春の訪れ」を書いてから、もう「秋の訪れ」が来てしまった。春から初夏、盛夏から晩夏。私は一体何をしていたのだろうか。
9月初め、横浜能楽堂での「左右左」公演が終わったので、久しぶりにアキラと神保町の岩波ホールに映画を観に行った。始まるまでにまだ時間があるので、伝説の喫茶店「ラドリオ」でお茶することに決めた。
大通りとすずらん通りの間にある狭い露路のデコボコの石畳に足を踏み入れると、突然50年前の自分が思い出されて、懐かしいというより不思議な気持ちに襲われた。露路の突き当たりは三省堂の裏口、左側に赤提灯の飲み屋、軽食のチャボ、珈琲ミロンガ、その隣が森谷さんの昭森社。左側に富山房、喫茶ラドリオと並んでいる。昭森社は、私が大学を卒業して、昭和43年3月アキラと結婚するまでの1年間通った出版社。森谷さんは、私たちの結婚式に参列してくださり、その1年後の昭和44年3月71歳で、旅立たれた。
私の手元にある森谷さんが戦前から亡くなるまで出版し続けた雑誌「本の手帖」の、没後出版された別冊「本の手帖」森谷均追悼文集を読むと、堀口大学、西脇順三郎、埴谷雄高、里見勝蔵、安西均、田村隆一、草野心平、大岡信、折目博子、高田俊子、多田智満子・・・戦前から戦後、昭和の時代にキラ星のように活躍した多くの作家、詩人、芸術家たちが心から森谷さんに感謝し、哀悼の言葉を寄せている。今ではその多くが旅立たれたが、今日でもなお輝き続けている。
森谷さんがガンで日大病院に入院していると知ったときすぐに私はお見舞いに行った。布団の上に、ゲラ刷りや原稿をいっぱい置いて「本の手帖」の校正をしてらした森谷さんは、私の顔をみると、鼻眼鏡の奥から、いつものおおきな眼をニコッとさせて「遠くから来てくれてありがとう。喉が乾いたろう。これを食べなさい」とナースが持ってきたおやつのアイスを私に差し出した。それから「さあ、おしごと、おしごと」と面白おかしく、茶目っ気たっぷりの言い方で言うので、私は思わず「プゥ』と吹き出してしまった。まだまだ、私は子どもだった。
森谷さんは、詩を愛する前に詩を愛する人を愛し、芸術を愛する前に芸術を愛する人を愛した人だ。当時の私は、不覚にも、森谷さんの、深くおおきく暖かい芸術宇宙の片隅で、無意識に心地よく、ふわふわと眠っていたようだ。
そして、先日50年振りに、狭い露路の中程の2階にある窓(当時その窓のところに私のデスクがあった)を見上げた時、森谷さんの優しさが、ふと私の体を通り過ぎた。もう直き私は73歳。森谷さんのこの世の歳を越えて、やっと目覚めてきたのだろうか。
「久子クン、まだまだ駄目だよ。こちらの世界はもっと大変」と嬉しそうな森谷さん。
どうぞ、どうぞ、お酒をこよなく愛する森谷さん。そちらで、たくさんの詩人、芸術家と、心おきなく酒宴を愉しんでいてください。やっと目覚めてきた私です。もう少し、広く世の中のことを目に入れていきたいと思いますので・・・・。まっていてくださぁ〜い。

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