チンのだし巻き玉子

入院生活も今日で二週間目。久し振りにチンが顔をみせた。チンとはイヌの呼び名ではない。長男の爾示(ちかし)のこと。我が家では、三兄弟の間で、お兄ちゃんとか、ちいにいちゃんとか呼んだ試しがない。幼い頃から、ちかしはチン。れいじはレイボウ。みつたけはミツ。

ドイツに住み始めて直ぐに、お向かいに住むベルガー家と親しくなった。その家のひとり息子クヌーツが、れいじと同い年(8才)ですぐに仲良しになった。クヌーツのお母さん、バーバラは、突然日本から来た言葉も知らない三人の男の子たちを、温かく優しく受け入れてくれてた。
ある日、クヌーツがわがままを言った時、バーバラが「クヌーツ!私の言うことを聞きなさい」ときっぱりと言った声を今でも覚えている。その時とっさに、私は幼い我が子に向かって、自分のことを「ワタシ」とはっきり言うだろうか?と心の中で思った。きっと私だったら「おかあさんの言うことを聞きなさい!」と言うだろう。また、クヌーツが自分のことを「クヌーツはね…」と言ったのを聞いたことはなかった。さすがドイツ人と感心したがけど…。日本のお母さんである私には、なかなか出来ないことだったのを思い出す。

さて今日、チンは手製のだし巻き玉子を見舞いに持って来てくれた。どこでどう覚えたのか、意外と美味しい。
〜 私は、あなたに、だし巻き玉子をおしえたことはありません〜のに。

あれ以来、バーバラは私にとってかけがいのない友人で、地球の反対側から私のリウマチを案じて、毎年電話をくれる。
クヌーツは、内科のお医者さまになり、スイスで開業している。

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リハビリ室で

膝に人口関節を埋め込んで、10日経った。歩くと左脚に重たいゴムの輪っかをはめているようで思うようにいかない。両親から与えられた生来の体に、全く異なる素材の物質を入れたのだから、そう簡単には馴染まないだろう。

リハビリ室で、リウマチを患っている10歳年上の女の方と出会った。彼女は、首に頭部を支えるカラーをして車椅子に座り、 変形した指や腕のリハビリに、黙々と、無表情で励んでおられた。 ひとしきり作業が終わると、リハビリの先生が、彼女の前にA4の紙を置いて鉛筆を手渡した。
「お耳は遠いのですが、病室からお迎えがあるまで、いつもこうして百人一首のうたを書かれるのですよ。もう何枚目かしら」と、リハビリの先生が言った。紙の右端から細かい字で、びっしりと書かれているのが見えた。

翌日、私が歩行器で、車椅子に座ったその人の前を通りかかると、 大きな声で呼びかけられた。
「歩けていいね。私は両膝が人口関節、ももの脇にも人工の骨、嫌だねぇ〜」と言って、カラーを付けた顔をまっすぐに向けて、横目で私を見て、ニッコリ笑った。
おおきな瞳の中から、無邪気なこどものもつ、茶目っ気たっぷりの明るい光が飛び出してきた。

素敵な人だ!

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頸椎固定術を受けた時のこと

20年くらい前の3月の初め、秋葉原の三井記念病院で頸椎の手術を受けた。外が白々と明け始めた頃、手術用の衣を着せられビニールのキャップを被って、病室に運ばれたストレッチーの上に寝かされて待っていると、若い麻酔科の先生がベットの脇にやって来て、こう言った。

「笠井さん、術前に顎の写真を撮らせてください。お顔は隠しますし、お名前も出しません。それから、もし麻酔が掛からなかったら、残念ですが、お部屋にもどってきます」

今から、自分の首の手術に臨もうと覚悟を決めていた時、どう答えればいいのだろう。
もし手術ができなかったら、今まで耐えて来たあの激しい頭痛を一生抱えていかなければならないのか…と言う思いが、無感動に脳裏をよぎったのを覚えている。

手術室に運ばれると、麻酔科の先生たちが、カメラを用意したり、私の口内をしらべたり、忙しく動き回っている様子だったが、突然、「何している、患者が怖がっているではなななな…」という大声を聞いた途端、意識を失った。
遠くから私を呼ぶ声がする。「手術は終わったよ」と耳元で聞こえた。

さて、それからが大変。助手の先生に説明では、手術は、頸椎を開けて頭蓋骨を正常な位置に戻し、私のお尻から接着剤として軟骨をとって頸椎に埋め込んだだけです。特別なことはしていません。脳味噌は、お豆腐屋さんのお豆腐のように水の中に浮いています。頭は重たいから、頸椎としっかりとくっつく迄、決して動かさないように!とのことだった。
頭と胸を長方形の角材状態にするために、次は、ハローベストという簡単な鎧のようなものを上半身に付け、頭には鉄の冠(?)のようなものをビスで額に直接埋め込んで(ビックリ!血も出ないし、痛くもない)、頭と胴体を支柱で繋げた。つまり、建築中の足場のようなものだ。
足場状態のままベッド上で数週間。土曜日には必ず、足場がゆるくならないように、先生がベストのネジを工具で締めてくれた。

ベッドから離れて歩行器で歩き出した頃は、もうすっかり春爛漫。11階の病室から下の歩道を眺めると、新しいランドセルを右に左に揺らしながら、走っていくピカピカの一年生が見えた。
そして、五月のある日、リハビリの先生が「笠井さん、外にいきましょう!」という言葉に誘われて、足場状態の自分の姿も顧みず、数ヶ月振りに戸外に出た。

太陽はきらめき、爽やかな風は都会の街路樹に触れながら、新緑の香りをわたしの体に満たしてくれた。
なんと素晴らしいことだろうか!

あの感動からもう随分ったった。今でも私の頸椎は働いてくれている。

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痛みを数値で表したら

その痛みを数値で表したら、どれくらい?と入院前のアンケートで聞かれた。果たして、痛みを数値で表すことができるのだろうか?いちばん痛い時が10で、今は3くらいかな、といい加減に答える。

そこで思い出したのは、ドイツで生活し始めたドイツ語もままならない頃、子どたちが病気をした時だ。

5歳になるミツタケが風邪をひいたとき、近所にDr.ブルーメ(訳すと、お花先生)という中年の女医さんのところに連れて行った。柔らかく包むように「どうしたの?あたまが痛いの?どう痛いか言ってみてごらん」と、それはそれは温かな声でミツタケの顔を覗き込んだ。

そばにいた私も、ひやぁーどうしよう、と内心慌てた。
頭がキリキリ痛い、ズキズキ痛い、ガンガン痛い、シクシク痛い、キューキュー痛い、、、、人によって表現はまちまちだ。果たしてドイツ語でなんと言ったらいいのだろう。絶体絶命。その時、どのようにDr.、ブルーメに説明したかすっかり忘れてたが、自分に身体の状態を外国のお医者さまに伝えるのは、とても難しいということだ。まして子どもにいたっては!

万国共通の数値で痛みを表せれば、便利かもしれないが、趣がない。
キリキリ ズキズキ ガンガン モヤモヤ シクシク ジンジン ムカムカ、、、、、
カラダから溢れ出てくる痛みのリアリティが感じられ、痛む人と繋がれる気がす。

今日も病室の窓からは、美しい青空が見えた。

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病室の窓から空を見る

15日の午後、無事手術を終えた。術前の先生のお話によると、私に膝はかなり面白い膝で、これほどグラグラしているのは珍しい、ということだ。最後に、「お願いなのですが、今回の笠井さんの手術で、骨を削った時に出る骨の粉を研究のために頂けないでしょうか?」と言われた。 私は「どうぞ、どうぞ、リウマチに苦しむ人たちに少しでもお役に立てれば、なによりのこと」と言った。

これまでも、血液や膝に溜まる水を、何度も病理学研究所に提供してきた。今日では、随分とリウマチに関して研究が進み明るい見通しになってきたようだ。嬉しいことだ。

カラダが壊れていくに従って、心が軽くなり・・・

空の青が美しい!

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お盆に入院

昨日(8月14日)国立相模原病院に入院した。そして、今日の午後、左膝の人工関節手術を受ける。世の中、お盆休みというのに、私のために執刀して下さる先生は大変だなぁ〜などと、余計なことを思いながら、ベッド上で今これを書いている。

先日終わった 「土方巽幻風景」に続き、10月10、11日の、笠井瑞丈×上村なおかダンス公演の振り付け、年明けの「高丘親王航海記」の稽古と、この猛暑の中、天使館は大賑わい。

そのように忙しいダンサーたちを尻目に、1ヶ月入院とは、申し訳ないとは思うものの、まだまだ旅は続きそう。私のカラダも部品交換し修理すれば、まだまだ走れそうだ。

久し振りに我が家を離れて、病室の窓から見る夏の空は新鮮だ。

ひかりは、秋を確実に秋に傾いている。与えられた時間をゆっくり楽しもう。

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