夏に向かって、庭の雑草が日に日に勢いを増してきた。自分で草取りもできないのに、生協で苗を注文し、アキラに植えてもらう。市場から黒いビニールのポットに入れられ運ばれてきた疲れ果てた様子の小さな苗も、土に戻してやるとホッとしたように生気を取り戻す。石ころだらけの大地でも、雑草に埋もれそうになっても、黙々と新しく生まれ変わり……健気だなぁ!
緊急事態宣言の解除の後は、コロナ時代を生き抜くために、コロナと生きる新しい生活がやってくる。40年以上リウマチと共に生きてきて、それに加えて、コロナとも共に生きていくとは、と思いあぐねていると、庭でアキラが花の水遣りをしている。昼間の太陽でぐったりした花が気になったのだろう(自分で植えた花でもあるしね) 。たっぷり水をもらった今日の花は、明日の花ではなく………やがて……。

蕾が膨らんできた
いそぐ水、走る水……
いそぐ水、走る水、ーぼんやりした大地に
すいこまれる忘れやすい水、
わたしたちのくぼめた手のひらに、しばしとどまれ、
思い出すがいい。
きよらかな、すみやかな愛、無関心、
走りすぎるほとんど不在といっていいもの、
おまえの慌しい到着と出発のあいだで
ふるえる僅かな滞在. R.M.リルケ『果樹園より』(高安国世訳)

オレンジ色が可愛い
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久しぶりに朝の光。いつものように、空に向かって、おはようぉ〜と呼びかけたが、空も雲もよそよそしい。目を閉じて、たっぷり空気を吸い、太陽の温かいぬくもりを体の隅々まで感じよう………少しづつ、私も世界も動き出し、鳥の囀りが聞こえる。
エッセイスト大平一枝さんが、チカシの花の写真に寄せた文章をネットで読む。写真も美しいが、文章がとても素敵だ。
だれかには見えていて、自分には見えないもの。
あなたには見えなくて、私には見えるもの。
同じ風景なのに、私達の目は不思議だ。
見ようと思うと見えて、みようと思わないと永遠に見えない。
夕暮れ時、二日ぶりに、アキラと散歩に出た。雨でたっぷり水を含んだ道端の名も無い小さな花々が、うれしそうに風に揺れている。
森の大きな樹の後ろには、
過ぎた年月が隠れている。
日の光と雨の滴でできた
一日が永遠のように隠れている。
森を抜けてきた風が、
大きな樹の老いた幹のまわりを
一廻りして、また駆け出していった。
どんな惨劇だろうと、
森のなかでは、すべては
さりげない出来事なのだ。
…………… 長田弘 「森のなかの出来事」より

大きな樹 国分寺にて
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雨の日が続いて……。
ポスト・コロナの生活形態についてのニュースが多くなってきた。もう今までのような生活は戻らない。慣れ親しんだ習慣、感覚、価値観、人間関係のあり方……着なれた服をやめて、まったく新しい服を着る。私にできるだろうか?
40年前の今頃、私たち(アキラと私)は、突然(彼らにしてみれば)三人の息子たちを、あたかも、うららかな春の陽が差し込む小川で、愉しく泳いでいた淡水魚たちを、突然、網で救い上げ、塩辛い海に投げ込むようにドイツに投げ込み、塩水の海にやっと慣れた頃、予告なしに、また淡水の川に戻した………。ずいぶん、身勝手なことをしてきたなぁ、息子たちにとっては、さぞ迷惑なことだったろう、などと、今更ながら自分に呆れたり……。
たえまなくあちらへこちらへ
花盛りの枝が風に揺れ動く
たえまなく ゆらゆらと
私の心が子どものように揺れ動く
晴れた日と曇った日のあいだを
欲望と諦めのあいだを。
花々が風に散って
枝が実をつけるまで
心が幼年期に飽きて
おちつきを得て こう告白するまで
不安にみちた生のたわむれは
喜びにみち むだではなかったと。
「花盛りの枝」 ヘルマン・ヘッセ/岡田朝雄訳

樫の森の子供たち ミツ5才チカシ10才レイジ6才
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梅雨のような雨の日。毎日桜の木に飛んでくる小鳥たちも今日は来ないなぁ……。稽古場の窓に灯りがついた。誰か一人で稽古しているらしい。三密を守って、ひっそりと静かに。
今の時間、やってくる新しい時を考えるより、今までやってきたことを振りかえって見る方が、弱虫ヒサコにとって、今を生きる力になるのでは?と思いながら………。
私が医者からリウマチ性関節炎と診断されたのは、1978年3月3日(なんと10回目の結婚記念日)
その当時の日記を読むと、我がことながら面白い。その年の1月から各月1週間の「エーテル宇宙誌のための天使館における連続公演」が始まり、3月末の1週間は「エーテル宇宙誌」の第Ⅲ期が予定されていたから、私のリウマチ診断は想定外の出来事だったが、すぐに色々な方面の方々から「西洋医学はダメ、玄米と胡麻塩で体質を変えこと」「まず断食療法をすること」「薬は漢方薬で」等々、温かいご意見をいただき、それまで健康だけには自信があり、医者要らずの私だったので、一つ一つ教えに従って実行した。朝手首、膝がこわばり痛む、生活が苦しい、などと愚痴を言いながらも、断食に向かい、1日の食事、野菜スープ、生野菜のサラダ、さつまいもだけ。肉が好きな私としてはかなりがんばっている。8才、5才、3才の男の子の母親である私は、午後になると下の二人を引き連れて、スーパーに買い物に行く。子どもらを寝かし、「エーテル宇宙誌」公演真っ最中の天使館からもれてくるバッハのピアノ曲「フーガの技法」ドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴きながら、高橋たか子の小説を夢中になって読だり、子どもたちの寝顔を眺めて「3人とも全く手に負えない腕白になった。でも、あと2年もすれば、状況も変わるだろう。焦ることはない」などと自分に言い聞かせたり………。
「がんばっていたなぁ〜」と思わず声を出すと、机の向こう側から「子どものままおとなになったような人だからね、あなたは」とアキラが言った。えっ………それどういう意味⁉︎ 聞き捨てならない、と思ったが、ひょっとしたら当たっているかもしれない。今だに成長しない私がいる。

「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」フランシス・ジャムに
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また、絵を描いた。次第に体が壊れて行く速度が増してきた。特に頭部を支える頸椎の変形が進み、歩行時のバランスが危うくなり……などなど、いろいろあるが、私にとっては40年来の、私のリウマチの体と私の意識の共存生活の流れのうちなので、あまり驚いてはいないものの、身体的な辛さや苦しさが増すと、いい加減、自分を放棄したいな、と心の中に住んでいる弱虫が頭をもたげてくる。アブナイなぁ〜。
絵を描いている時、頭の中に、ローマで見た黒々とした松の色と風にそよぐポピーの群生、パリの街をおおう薄紫の光、ドイツの銀の森の黄金の紅葉、奥入瀬渓流の若緑の空気、春はあけぼの大和三山の黎明、真夏の国分寺の杜……記憶の底から生まれてくる色がいっぱいに広がり、そんな時、私は体を忘れている。色の中に私がすっぽり入ってしまっている。イマジネーションが私をリウマチの体から解放してくれる。
ポスト・コロナの社会がどうなるのか、想像がつかない。今までのように人にも自然にも直接触れて、目に見えない何かを共有し歓び合うような時はもう来ないのだろうか………?
「貧しさは内面にさす美しい光」 R.M.リルケ

花と女の子と猫と蝶々
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Marienkäfer / Ladybird / 天道虫
朝、キッチンの机の上に、可愛い聖母マリアの虫・テントウムシがいた❣️
シュッツトガルトの銀の森のお菓子屋さんにテントウムシのチョコレートがいっぱい並んでいる頃だけど、今年は?……と、心と体が重たい弱虫の私に、小さな体の黄金虫は何か言ってる。
ずっと以前あなたが私を見つけたころ、
私は小さい、ほんとうに小さい子供でした、
そうして菩提樹の枝のように
ただ静かにあなたの中へ花咲いていました。
私はほんとうに小さくてまだ何の名前もありませんでした、
そうしてただほのかなあこがれに生きていました。
今あなたは言うのです、私がどんな名前にも
もう大きすぎると。
すると私は、神話と五月と海と
ひとつになっている私を感じます、
そして私は葡萄酒の香りのように
あなたの魂を含んで重いのです………
R.M.リルケ『初期詩集』より (高安国世訳)
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