6月から7月へ

あぁ、6月もあとI日。7月になると、子どもたちは、あと半月もすればやってくる夏休みを、毎日毎日楽しみに待っている。少なくとも私の子どもの頃は、そうだった。
夏休みといえば、海水浴、山登り、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家にお泊まり、花火大会、鎮守の森の夏祭り………。懐かしく、楽しかった思い出が目に浮かぶ。どれもこれも、濃厚接触、三密有りで、コロナ時代の夏休みスタイルにはそぐわないだろうなぁ〜などと思いながら、梅雨の晴れ間の洗濯干しをしていると、雑草の間から、チョロチョロと可愛い蜥蜴が2匹、干場のコンクリの上を横切った。親子だ!上を見ると、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。道路でお向かいの子供たちがボール遊びをしている。あかるい笑い声が聞こえて来る。
中庭から、ナオカさんが「ひと口一緒に食べませんか?」と、大きなお盆にざる蕎麦と卵焼きを載せて持ってきた。梅雨の晴れ間の昼下がり、思い煩うことはない。

   わたしは動物の………

  わたしは動物の目のなかに
  永続する穏やかな生を見た。
  冷静な自然の
  公平無私の静かさを。

  動物も恐れを知らぬのではない。
  けれども彼らはすぐ前に進み、
  その充溢の野の上で
  他処の味のしない
  現前を草はむ。
        R.M.リルケ <フランス語の詩>より 高安国世訳

梅雨の晴れ間………もうすぐ 夏がやって来る。

梅雨の晴れ間………もうすぐ 夏がやって来る。

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私は、何時も空を眺めている。

メールアドレスを新しくするにあたって、思い切ってメールサポートに電話する。こういう電話はいつも苦手。嫌だなぁ〜と思いつつ携帯で電話すると、女性の声が「コロナ対策でオペレーターの人数が少なく、ご迷惑をおかけします………今ですと15分ぐらいでお繋ぎできると………」と言う。やれやれではあるけど、どうせ自粛中の身、待つことにした。ぼんやり庭を眺めていると、雨水をたっぷり含んで重たくなった桜の葉の繁みの中から、黒い鳥がわたしの目の前を、左から右にスゥーと横切った。すると、屋根の上の方でキィキィと鋭い鳴声がする。すると、さっきの鳥だろう、今度は右から左にサァーと横切り、もう一羽がその後を追って上方に飛び去った。その素早さに驚いていると、携帯電話が繋がり、オペレーターの「今日は何のご相談でしょうか?」と言う声が聞こえた。それからの私は、しどろもどろ。必死に指示通り携帯の小さなキーボードに入力するもミスばかり。私の理解能力のなさ、スローな動作に、若いオペレーターはよく我慢してくれている……などと思い始めると、ますます、頭が混乱して、ああ、もうダメだ「またの日にお願いするわ、アリガトウ」と程よく言って、電話を切って、ホッとする。
庭に出て上を見ると、梅雨の雲間に青空が透けて見えた。

     人の権利   長田 弘

     木立の上に、
     空があればいい。
     大きな川の上に、
     風の影があればいい。
     花と鳥と、光差す時間、
     そして、おいしい水があれば。
     僅かなもの、ささやかなものだ、
     人の生きる権利というものは。
     朝、お早うと言う権利。
     食卓で、いただきますという権利。
     日の暮れ、さよならまたねという権利。
     幸福とは、単純な真実だ。
     必要最小限プラス1。
     人の権利はそれに尽きるかもしれない。
     誰のだろうと、人生は片道。
     行き行きて、帰り着くまで。
                   

私は、いつも空を眺めている。

私は、いつも空を眺めている。

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止まらないように

雨が降ったりやんだり、今日は朝から梅雨冷え。自粛規制も解けたようで、みんな自由に移動できるらしい。でも私の自粛はまだまだ……解除の見通しは未定。
巣篭もり状態だった天使館も徐々に起き出して、昨夜は、なおか×ミツタケ企画「ダンス現在」再開、叡がソロを踊った。観ていただく方は15名。みなさんマスクをして、手の消毒を済ませて、間隔を置いた客席に黙して座る。みんな協力して場を作る。オソノさん、ミヤコサン、ジョウサクさん、バラバさん、ヨシコさん……遠くからも近くからも、知ってる人も知らない人も、同じ場で、ダンスを共有できる喜び、嬉しさ、楽しさ、ありがたさ………。どんなことがあっても、止まらないように。

天使館の来訪者たち

天使館の来訪者たち

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紫陽花

6月になって、少しづつ天使館も動き出してきた。とはいえ、これから先、ダンスはどうなっていくのだろうか………?などと思っていると、名古屋に住むマキコさんから、お庭に咲いた額紫陽花(何とも美しい薄紫色の清楚なアジサイ)の写真を添えたメールを頂いた。
そして、今日、都内に住むミナコサンから愛猫ミミを素描した、素敵な梅雨見舞いのお葉書が届いた。
今日はミツの誕生日。45年前の分娩台の上で「あらあら、またおちんちんを付けたかわいいあかちゃん!」と言った助産婦さんの声が聞こえる。その彼も、何時の間にか踊る人になっている。
新聞の連載小説は、うっかり読み忘れるので苦手な私なのに、なぜか、先週金曜日から始まったジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」柴田元幸訳を楽しみにしている。遥か昔の時間が未来からやってくるようなワクワク感があるみたい。
どんな時でも生きることは祝祭でありますように。

 「水色のあじさい」    R.M.リルケ/高安国世訳
 
 これらの葉は絵具壺の底に残った緑のようだ、
 水気を失い、葉尖も鈍く、ざらざらしている。
 その前にある花房の水色も
 在るというよりは、ただ遠くの反映にすぎぬかのよう。

 その反映も涙にとけ、模糊として、
 今にもまた消えてしまいそう。
 古い水色の書簡箋のように
 黄色や、菫色や灰色の斑ができている。
 
 子供の前掛けのように洗いざらしで、
 もう着られなくなって、どこかへつっ込んでしまったもののよう。
 小さな生命のはかなさが何と胸に沁みることだろう。

 だが、とつぜん、水色はよみがえってくる様子、
 花房の一つに。緑を背景に歓びをとりもどした
 水色のかたまりを見ていると心がふるえてくる。

我が家の庭の紫陽花を描いてみた。

我が家の庭の紫陽花を描いてみた。

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雨の日に

いよいよ梅雨入りのようだ。まだ陽があったお昼前「駅に新しいパン屋さんができたので、散歩がてら買ってきたの。食べてみて」と久しぶりに玄関先に現れた和子さんが、疾風のように去っていった後、何時の間にか音もなく雨が降ってる。ミツが中庭から「市役所に行くから、何か買い物ない?」と聞きにきたので「ジャガイモと葡萄ジュース」を頼む。テレビでは国会中継をやっている。

書架の端にあった黒田三郎詩集をとって読む。
けし
 I
 私の上にのしかかる
 私の重さに
 耐えかねて
 憤然として立ち上る
 や否や
 貧血を起してぶっ倒れる
 ああ 何時かとおい日に
 私は立っていたことがある
 ただひとり
 白い果てしない野の中に
 真昼
 微かにけしが匂っていた
         黒田三郎「失われた墓碑銘」から

ああ 懐かしい黒田さん! 神保町の路地裏の古びた建物の二階の狭い昭森社の編集室で、詩人の清岡卓行さんと長田弘さんと貴方と三人の編集で「詩と批評」誌を刊行し始めた時、私はまだ何も知らない新入社員でした。お酒が入ると、優しく温和な紳士の黒田さんが、突然、おどろおどろしい黒田さんに変貌、びっくりでした。でも、その翌日は何時も、狭い13階段を音もさせず上ってきて、編集室の扉を開け、大きな背中を丸めて、ショートケーキのお土産をそっと差し出すのでした。またもや、びっくりする変貌ぶり。でも、何と優しい温かな人なのだろうか……!?
今日、忘れていた黒田さんの言葉に触れて、あの時の温もりが今も私を温めてくれているのに気がついた。相変わらず、のろまだなぁ〜わたしは。

あまりうまく描けなかった。でも、いいか。

あまりうまく描けなかった。でも、いいか。

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おしいれのぼうけん

「おしいれのぼうけん」の著者の訃報をネットで知った。何度子どもらにせがまれて、この田畑精一のお話しを読んで聞かせたことか。懐かしい愛読書のひとつ。かつての我が家の六畳間の押入れも三人の男の子たちの格好の遊び場だった。夜、寝る時間だよぉ〜と言って、部屋いっぱいに三つの布団を敷き詰めると、そこは途端に大海原になり、砂漠になり、コンバットごっこの戦場になる。子どもらは、何度も押し入れからジャンプして大海原に飛び込む。風呂敷のマントを首に巻き、カッコいい仮面ライダーになり切って「トォー!」と掛け声をかけて、天井めがけて飛び上がる。ある時は、お兄ちゃんが弟を中に閉じ込めて、外から押し入れの戸を叩いて脅かす。やがて、ケンカがはじまり、下の子の泣き声が、上の子たちのクスクス笑いがもれ聞こえる。私は、さあみんな、お布団に入って………と号令をかけ、明かりをパチンと消す。押し入れの熱も鎮まり、眠りについた子どもたちの夢が、宇宙の果てまで広がっていく。

50年前の子どもたちの風景。コロナ時代の子供たちはどんな風景を生きるのだろうか。

夕陽

夕陽

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笠井久子ブログ

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