35年前の夏の日

御巣鷹山の飛行機墜落事故から今年は35年目の夏。その日も今日のように暑い日だったのをよく覚えている。
その年(1985年)の春、私たち家族は、5年間一緒に暮らしたリーデンベルクの丘の家を離れ、アキラとミツタケは国分寺へ、チカシはStuttgartの郊外のハーメニング家の半地下の部屋へ、レイジと私は市内のホイベルク通りの屋根裏部屋へと、家族がバラバラになった。そして、その夏、私とレイジは、夏休みを利用して、アキラ、ミツ、おばあちゃんのいる国分寺の家に、Stuttgartから一時帰国。成田に迎えにきてくれたアキラとミツの顔を見た時は、心底ほっとして嬉しかった(やっぱり家族っていいもんだ!)。
それから、楽しい 楽しい日本の夏休みの日々が始まったのだが、あの飛行機墜落の大惨事が起る。ちょうどお盆で帰省する家族、会社の休暇で、久しぶりに妻子、両親の顔を見るのを楽しみに我が家に戻る単身赴任のお父さん………みんなそれぞれがそれぞれに、目の前に迫った喜びの時間を信じていただろうに………。なんとも言い表しがたい悲しみ、痛みが日本中を覆った。
事故の直後のことなので、飛行機の旅に些か不安があったが、時間の流れは止められない。御巣鷹山の惨事から一週間後、私とレイジは、アキラ、ミツ、おばあちゃんに「またね!」と約束して、酷しい残暑の日本からドイツへ飛んだ。
Stuttgart はすっかり秋だった。冷たい空気、澄み切った青空。金色に色付き出した銀の森の木々の葉……。ドイツがすっぽり私の中に入ってきた。地球の向こう側に、アキラ、ミツ、おばあちゃんがいる。チカシは隣町にいる。私とレイジはここにいる。みんな一緒に生きている!と思った。35年前、パソコンも携帯もFAXもメールも無かった。手紙を出すと返事が来るまで2週間、胸を躍らせてじっと待った。
あの頃を思い出すと、なんとのんびりとしていたことかと、懐かしく、切なく、愛おしくなる。
WITH CORONAの今日、近くても遠くても、親子でも、兄妹でも、友だちでも、会うことも、お喋りすることも、一緒にご飯を食べることも、ままならない。いつまで続くのだろうか?

   わたしたちの最後から一歩てまえの………

  わたしたちの最後から一歩手前の言葉は
  みじめな言葉かもしれない、
  しかし、母なる良心を前にして
  わたしたちの言葉は美しいにちがいない。

  なぜなら、どんな苦さも
  押さえることのできない
  ひとつの望みのすべての努力を
  ひとつの言葉に要約しなければならないのだ。
            R.M.リルケ『果樹園』より  高安国世訳

琵琶湖畔の友から手作りの葉書が届いた。空の色、波の音、風のそよぎ……いっぱいある。

琵琶湖畔の友から手作りの葉書が届いた。空の色、波の音、風のそよぎ……いっぱいある。

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夏の記憶

やっと 夏が来た! でも、テレビのニュースは、日に日に増えるコロナ感染者の数の話ばかり。後期高齢者は、誰にも会わずに家に篭っていなければならないの………?
子どもの頃の夏休みは、楽しかったなぁ。

「夏の記憶」ーノートからー

 朝
 目覚めると
 大きな夏の青空が
 私の、リウマチで
 歪んだカラダの内側に
 するりと入り
 七十年前の朝が
 今日の朝と重なる

 幼い目に映った
 あの青空
 顔より大きい くし形のスイカ
 甘い香りが あたりに漂い
 小さな口から
 溢れ出る
 赤い果汁が
 洗濯したての 白い
 木綿のワンピースの胸もとを
 真っ赤に染める

 容赦なく
 照りつける
 真夏の太陽の光
 夢中でスイカに食らいつく
 汚れを知らない子どもらの皮膚を
 じりじりと 焼く

 ひまわりの黄色い花弁に 目が眩み
 ミツバチがぶんぶんうなる
 スイカの種 一番遠くに飛ばしたのは
 だあれ?
 明るい声が
 彼方の世界に木霊する

 無限の時間が 凝固する

 畑の中の
 野ウサギの滑走
 一匹の蜥蜴が
 焼けた石の上を
 過った

 未来から
 記憶の風が吹いてくる

田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。

田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。

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