小春日和の日の散歩

自分で可笑しくなるほど、指先、手の動きが鈍くなってきた…ヒサコサン、モウスコシ マトモナ 字 ガカケタデショ、モウスコシ スバヤク ウゴケタデショ!…という声がする。努力が足りないのかなぁ〜とちょっぴり思ってみるが、ナマケモノのヒサコサン、シカタナイジャン と諦める。
今日は小春日和。お日様が暖かいうちに散歩しよう と張り切って、首にカラーの装具をつけて、やっと靴を履き、カートを出して、玄関の鍵を閉めて、やっと道路に出た時、あっマスクをしてない のに気がついた(出発準備段階でなんと30分は要する)。ヤレヤレ 鍵を開けて 靴を脱いで やり直し………きっと暖かなお日様は待ってはくれないだろう。えぃ マスクなしで行こう と…晩秋の昼下がり、静かな淡い陽射し…なんと心地よいことか……と国分寺史跡の広場をカートを押してノロノロ歩いていると、突然「ヒサコさん お久しぶり」と目の前にオイリュトミストのテラの顔が現れ……本当に お久しぶり……うれしいな、コロナでどうしてるかな、と思っていた、会えてよかったね…えっ もう47歳!「僕が天使館に来たのは23歳の時。我が初人生の半分以上ヒサコさんと一緒です」って……半分家族だね……と心の中で呟く。曲がり角で、大きなトラックの窓から男の人が首を出し私の方に向かって、何か叫んでいる。なんだろう、近づいてみると、宅急便のお兄さんだ「お散歩ですか?暗くなるから、気をつけて」ですって……アリガトウ マイニチ ゴクロウサマ と心の中で手を振り……わずかに残る小春日和の暖を背に受けながら家の方へ、ゆっくり ゆっくり歩いているうちに、何故か 視覚・聴覚・歩行機能すべてが衰えつつある自分の体が、無性に愛おしく思われてくる。

    秋

樹の葉が降る 樹の葉が降る、遠いところから降ってくるように、
空の中で 遠い庭がいくつも凋んでゆくかのように。
樹の葉が降る、否む見ぶりをしながら降る。

そして幾つかの夜のあいだに 黒い地球が
孤独の中へ沈み込む、他のすべての星から離れて。

われらみんなが落ちる。この手が下に落ちる。
君のもう一つの手もー見たまえ、どの手も落ちる。

しかし或るひとりの者が在って
これらすべての下降を 限りなく穏やかにその両手の中に保っている。
             R.M.リルケ『形象詩集』より 片山敏彦訳

comment(0 )

ページのトップへ戻る

小さな小さな歩みでも……。

もう11月かぁ〜。アドベント…酉の市…クリスマス…おおつごもり…どんどん昼間の時間が少なくなり、夜の時間が長くなる。
 自分でびっくりするほど、様々なことができなくなってきた。例えば、今日は料理しよう!と張り切って取りかかるが、包丁がうまく握れず、野菜を刻むのに四苦八苦。お皿を取り出すのも、脱臼した指は使い物にならず………というわけで、出来上がるまで長時間を要す。やれやれと思うのだが、1日一つ何か生み出すと、やったぁ〜という気分になり、何かが動く。ほとんど自己満足の小さな小さな歩みでも、自分が自分になれて嬉しい。そんな時、自分も、周りも、限りなく愛おしく、美しくなるから不思議だ。
毎日、そうあってほしいと願うのに、そう、うまくはいかない。日々の天気のように、晴れたり曇ったり。

   山羊

ぼくは山羊にはなしかけた。
草地にたった一匹、つながれていた。
草を食べあきて、雨にぬれ、
めえめえと啼いていた。

あの啼き声は、ぼくの哀しみにそっくりだった。
だから、ぼくは答えてやった。まず冗談半分に、
また、哀しみは永遠だし、
ひとつの
声、おなじ声しかないのだから。
その声が、淋しい山羊の
なかで、啼いていた。

ユダヤの顔をした、山羊のなかに、
この世のすべての痛みが、すべての
人生の、争いが、聞こえた。
         ウンベルト・サバ『家と田園と』より/訳・須賀敦子

 

comment(0 )

ページのトップへ戻る

笠井久子ブログ

CATEGORIES

  • カテゴリーなし