選挙戦

いよいよ今日から衆議院選が始まる。秋晴れのさ爽やかな空気の中に、候補者たちの高らかな声が行き交うことだろう。
『枕草子』にこんな言葉があるーうちとくあじきもの。えせ者。さるは、よしと人に言はるる人よりも裏無くぞ身ゆる。—さすが、清少納言。

私は、今日からニューヨークへ。あちらの秋の空はどうかな・・・・?

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脳と身体

美術家の横尾忠則さんが、誰でも密かに抱えている自分の身体的欠陥に対してのコンプレックスのことを「脳を身体の支配下に置いた」ところから発生する「一種の思い込み」にすぎない。だから「脳が自分だと思う前に身体こそ『我なり』と認めればいい」と書かれていたのを読んで、然り、と同感し、私の身体的欠陥だらけの身体に「それが私よ」と言わせてみると、いっぺんに体が軽くなり、勇気が湧いてきた。・・・カラダの中を微風が吹き渡り、おおきな樹木がわさわさと揺れて、いつの間にかカラダが宙に浮き、青空に向かって飛んでいる・・・私のカラダの器に、脳から生み出されてくる思い込みが、脈々と流れ込む。
横尾さんの言葉「コンプレックスはコレステロールみたいになくても困る、多くても困る程度のまあ生活必需品だと思えばいいのです」ですって。自分に何かを思い込ませるというのも、案外、いいもんだ。ひょっとすると、これがダンスの初歩かも・・・?
 

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あっぱれ、100歳! 

「90歳。何がめでたい」とは、佐藤愛子さんが書かれた本の題名だが、我が姑の君子さんは、今年5月でめでたく100歳を迎え、先月の敬老の日に、国から銀杯と安倍晋三首相の賞状・東京都から江戸漆器の箱と小池百合子都知事の賞状・国分寺市からウールの膝掛けなど、お祝いの品々が届いた。そこで、秋晴れの今日、アキラはその品々を持って、介護施設に君子さんを訪ねた。100歳に近づくに従って、さすがに携帯で電話してくる回数が減ってきたので、家を出るとき「『あなた誰?』と言われるかも」と、いささか自信のないアキラだっが・・・・。
お母さんは、元気、元気!何の問題はない。持参したお祝いの、銀杯と晋三さんの賞状は要らない。百合子都知事の賞状と漆器の箱、市からの膝掛けは要る、とはっきりしている。日頃は、村上春樹とか五木寛之の本を読んでいると言った(すごいね!でも、ホントかな?)。ヒサコのことは忘れてないよ。お母さんからは「今度、何時宇宙に帰るの?何時、宇宙からくるの?何処の宇宙に行くの?宇宙に赤道はあるの?宇宙は面白いところだよね・・・・」など、宇宙の質問が尽きない。100歳過ぎてから、体は車いす生活になったけど、頭の中は宇宙大に広がりつつある。というのがアキラの訪問報告。そして、最後に「どうも150歳くらいまで大丈夫」と自分で言っていたよ、と付け加えた。
100歳、あっぱれ、あっぱれ。

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昭森社の森谷さん

「春の訪れ」を書いてから、もう「秋の訪れ」が来てしまった。春から初夏、盛夏から晩夏。私は一体何をしていたのだろうか。
9月初め、横浜能楽堂での「左右左」公演が終わったので、久しぶりにアキラと神保町の岩波ホールに映画を観に行った。始まるまでにまだ時間があるので、伝説の喫茶店「ラドリオ」でお茶することに決めた。
大通りとすずらん通りの間にある狭い露路のデコボコの石畳に足を踏み入れると、突然50年前の自分が思い出されて、懐かしいというより不思議な気持ちに襲われた。露路の突き当たりは三省堂の裏口、左側に赤提灯の飲み屋、軽食のチャボ、珈琲ミロンガ、その隣が森谷さんの昭森社。左側に富山房、喫茶ラドリオと並んでいる。昭森社は、私が大学を卒業して、昭和43年3月アキラと結婚するまでの1年間通った出版社。森谷さんは、私たちの結婚式に参列してくださり、その1年後の昭和44年3月71歳で、旅立たれた。
私の手元にある森谷さんが戦前から亡くなるまで出版し続けた雑誌「本の手帖」の、没後出版された別冊「本の手帖」森谷均追悼文集を読むと、堀口大学、西脇順三郎、埴谷雄高、里見勝蔵、安西均、田村隆一、草野心平、大岡信、折目博子、高田俊子、多田智満子・・・戦前から戦後、昭和の時代にキラ星のように活躍した多くの作家、詩人、芸術家たちが心から森谷さんに感謝し、哀悼の言葉を寄せている。今ではその多くが旅立たれたが、今日でもなお輝き続けている。
森谷さんがガンで日大病院に入院していると知ったときすぐに私はお見舞いに行った。布団の上に、ゲラ刷りや原稿をいっぱい置いて「本の手帖」の校正をしてらした森谷さんは、私の顔をみると、鼻眼鏡の奥から、いつものおおきな眼をニコッとさせて「遠くから来てくれてありがとう。喉が乾いたろう。これを食べなさい」とナースが持ってきたおやつのアイスを私に差し出した。それから「さあ、おしごと、おしごと」と面白おかしく、茶目っ気たっぷりの言い方で言うので、私は思わず「プゥ』と吹き出してしまった。まだまだ、私は子どもだった。
森谷さんは、詩を愛する前に詩を愛する人を愛し、芸術を愛する前に芸術を愛する人を愛した人だ。当時の私は、不覚にも、森谷さんの、深くおおきく暖かい芸術宇宙の片隅で、無意識に心地よく、ふわふわと眠っていたようだ。
そして、先日50年振りに、狭い露路の中程の2階にある窓(当時その窓のところに私のデスクがあった)を見上げた時、森谷さんの優しさが、ふと私の体を通り過ぎた。もう直き私は73歳。森谷さんのこの世の歳を越えて、やっと目覚めてきたのだろうか。
「久子クン、まだまだ駄目だよ。こちらの世界はもっと大変」と嬉しそうな森谷さん。
どうぞ、どうぞ、お酒をこよなく愛する森谷さん。そちらで、たくさんの詩人、芸術家と、心おきなく酒宴を愉しんでいてください。やっと目覚めてきた私です。もう少し、広く世の中のことを目に入れていきたいと思いますので・・・・。まっていてくださぁ〜い。

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春の訪れ 

「須賀敦子の手紙 1975-1997年 友人への55 通」を読んだ。須賀敦子さんの私信がそのままの形(便箋、絵葉書、AEROGRAMME、美しいお菓子の包み紙、切手etc)で印刷されていて、友に語りかける言葉がブルーブラックのインクで、会話をしているように、呼吸するように、流れるように、美しく、綴られている。
読書のこと、仕事のこと、草花のこと、日々の生活のこと、嬉しいこと、悲しいこと・・・よもや一冊の本になって多くの人の目に触れるなんて、生前の須賀さんは思ってもみなかっただろう。

「須賀敦子さぁ〜ん、彼方の世界から見ていてくださぁ〜い。『国は病みつづけけていますが・・・日差しが春の訪れを知らせています』とあなたに書いた詩人の言葉に、ふとイタリアの南の野に咲きはじめるプリムラ想い出したと、お書きになったのは、1997年2月18日の2回目の癌の化学療法を受ける前日の手紙でしたね。そしてその1年後の春、あなたは旅立って行かれました。
今日は、2017年1月27日金曜日です。世界は病みつづけていますが、日差しは春の訪れを知らせています。昨秋家の庭に植えた球根の芽が、緩んだ霜柱の間から世界を覗きはじめました。もう直ぐ春がやってきます。では、つつがなく」

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雪の翌日

昨日、東京に雪が降った。11月の東京の雪は、実に50数年振りだそうだ。そして今日、初冬の透明な青空に太陽が輝いている。11月25日はアキラの73回目の誕生日。

 Tomb la neige
 ゆきぃ〜はふる〜〜 あなたは こないい〜〜  
 
アダモの「Tomb la neige」をアキラが舞台で踊ったのは、いつのことだったけ。確か40年ぐらい前の12月、もうじきクリスマスというので、我が3人のわんぱく小僧たちは、サンタさんが何を持ってきてくれるか、日がな一日お祈りしたり、いい子になったり、大賑わい。そんなお祭り騒ぎのようななかで、アキラはひたすら、迫り来るソロ公演の作品創りに没頭。ついに衣装が決まらず、本番の日の朝を迎えた。えい、これでいこう!とアキラが選んだのは、いつも着ている膝が抜けかけよれよれのコールテンのズボンととっくりの黒のセーター。つまり、普段着。
いつものカサイさんがそのまま、当時有楽町にあった第一生命ホールの舞台に現れ、アダモを踊った。
舞踊評論家の故市川雅さんが、その踊りをとても喜んで「なんと笠井は膝が抜けたコールテンのズボンで登場したよ」おかしそうに、笑って言われたそうな。
背水の陣の普段着も、聞くところによると、結構評判が良かったらしいので、ひとまず安心。

ところで、アダモとアキラはともに1943年11月生まれ。しかも、アキラの大好きなシチリアで生まれたそうだ。

 Tomb la neige
Tu ne viendras pas ce soir
 ・・・・・・・
時が過ぎても、雪が降るとアダモの歌声が聴こえる。
哀しく、切なく、恋人を想う歌声。

歳はとっても、いつまでも心はロマンティストでありたいなぁ〜。 

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