退院してから7日目

退院してから今日まで蒸し暑い曇りの日が多かったが、今日の国分寺の夕方の空は美しかった。
家に戻ってみると、相変わらず我が家の日常は忙しい。春から夏にかけて懸命にカラダの中に育くんだものが、秋から冬に向かって実りとなって現れてくる。そんな、みんなのワクワク感、緊張感が稽古場から流れてくる。

夕方の空を眺めていたら、
ーまだまだ「歩きはじめたミヨちゃんが……」みたいだけどね、頑張んなくちゃねー
と、悠々と浮かんでいる白い雲が、わたしに向かって大声で言っているではありませんか⁉️j

そう言えば一ヶ月の入院生活の間、私は病室の窓から見える夏の空の白い雲に、毎日、自分勝手なお喋りを聞かせていたっけ。白い雲は私の無言の声を辛抱強く聴いててくれたらしい。

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病室の窓から空を眺めて

澄んだ青空に雲が流れていく。いつまで見ていても飽きない。
羊の毛のようにもっこりした雲。真っ白なレース糸のような雲。綿毛のようにふわふわした雲。
いっときも休まず、形を変え、悠然と、淡いブルーの大空を右から左に流れていく。
なんと豊かな時間なのだろうか……などと、病室の窓から空を眺めてのんきな時を過ごせるのもあと数日。来週半ばに、忙しい日常の日々がやってくる。

病院という所は、日常とは全く異なる空間だ。トーマス・マンのあの主人公ハンス・カストルプが従兄弟を訪ねてたアルプスのサナトリウムのよう、とまでは言わないが、数日の入院ならまだしも、一ヶ月もいると、身体はともかく、この保護空間に心までも慣れてきてしまうから恐ろしい。でも、窓から見える美しい空の雲を眺めているとー私はこれからどこにいくのだろうか?ー などと、日頃あまり真面目に考えないことが頭を巡り、このかけがえのない時間から離れられない。

首尾よく部品交換をして貰った私の愛するポンコツ車、果たして上手く路上運転できるのかしら?いささか不安でもあるのだが………。

そうだ! あの白い雲のようにー悠々と、たっぷりと、ゆたかにー行こう。

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300グラム

今日から九月、朝夕少しは涼しくなったのだろうか?
夏 真っ盛りのお盆に手術を受けて、九月三日に抜糸。そして、数日後には極暑の夏をすっぽり通り越して、秋の日常に戻ることになる。
歩いてみると、やはり左膝は重たい。人口関節と私の関節の重さは、どのくらい違うのかな?

ずっと以前、「21グラム」という映画を観た。ストーリーは全く忘れてしまったが、タイトルの「21グラム」とは、人の命(魂)の重さのことを言っていて「なるほど、魂もグラムであらわすことができるのか。面白いね。でも、人の命は地球より重い、と言った人もいたな」などなど思い出した。

澁澤龍彦の「高丘親王航海記」で、親王が虎に喰われて天竺に飛んで行ってしまった後に、地上に残された親王の骨は「プラスチックのように薄くて軽い骨だった」という。
すべてを肯定して包み込む宇宙大に広い魂をもつ親王の、この世のカラダの骨は、硬質な薄いプラスチックのようだったとは。さすが澁澤さん❣️

さて、人口関節と私の関節の重さは? 先生にお聞きしたら、両方とも、およそ300グラムくらい、と教えて頂いた。
300グラムといえば、1束100グラムのよもぎ蕎麦が三束、一本50グラムのササミが6 本。ご飯二杯……。頭に浮かぶのは、食べ物ばかり。
それから、先生は「1年くらいしたら、自分の脚のようになりますよ」と言われた。

もともと、ポンコツ車。まだまだこの地上で、焦らず、のんびり、ゆっくり走って行かねば!

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チンのだし巻き玉子

入院生活も今日で二週間目。久し振りにチンが顔をみせた。チンとはイヌの呼び名ではない。長男の爾示(ちかし)のこと。我が家では、三兄弟の間で、お兄ちゃんとか、ちいにいちゃんとか呼んだ試しがない。幼い頃から、ちかしはチン。れいじはレイボウ。みつたけはミツ。

ドイツに住み始めて直ぐに、お向かいに住むベルガー家と親しくなった。その家のひとり息子クヌーツが、れいじと同い年(8才)ですぐに仲良しになった。クヌーツのお母さん、バーバラは、突然日本から来た言葉も知らない三人の男の子たちを、温かく優しく受け入れてくれてた。
ある日、クヌーツがわがままを言った時、バーバラが「クヌーツ!私の言うことを聞きなさい」ときっぱりと言った声を今でも覚えている。その時とっさに、私は幼い我が子に向かって、自分のことを「ワタシ」とはっきり言うだろうか?と心の中で思った。きっと私だったら「おかあさんの言うことを聞きなさい!」と言うだろう。また、クヌーツが自分のことを「クヌーツはね…」と言ったのを聞いたことはなかった。さすがドイツ人と感心したがけど…。日本のお母さんである私には、なかなか出来ないことだったのを思い出す。

さて今日、チンは手製のだし巻き玉子を見舞いに持って来てくれた。どこでどう覚えたのか、意外と美味しい。
〜 私は、あなたに、だし巻き玉子をおしえたことはありません〜のに。

あれ以来、バーバラは私にとってかけがいのない友人で、地球の反対側から私のリウマチを案じて、毎年電話をくれる。
クヌーツは、内科のお医者さまになり、スイスで開業している。

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リハビリ室で

膝に人口関節を埋め込んで、10日経った。歩くと左脚に重たいゴムの輪っかをはめているようで思うようにいかない。両親から与えられた生来の体に、全く異なる素材の物質を入れたのだから、そう簡単には馴染まないだろう。

リハビリ室で、リウマチを患っている10歳年上の女の方と出会った。彼女は、首に頭部を支えるカラーをして車椅子に座り、 変形した指や腕のリハビリに、黙々と、無表情で励んでおられた。 ひとしきり作業が終わると、リハビリの先生が、彼女の前にA4の紙を置いて鉛筆を手渡した。
「お耳は遠いのですが、病室からお迎えがあるまで、いつもこうして百人一首のうたを書かれるのですよ。もう何枚目かしら」と、リハビリの先生が言った。紙の右端から細かい字で、びっしりと書かれているのが見えた。

翌日、私が歩行器で、車椅子に座ったその人の前を通りかかると、 大きな声で呼びかけられた。
「歩けていいね。私は両膝が人口関節、ももの脇にも人工の骨、嫌だねぇ〜」と言って、カラーを付けた顔をまっすぐに向けて、横目で私を見て、ニッコリ笑った。
おおきな瞳の中から、無邪気なこどものもつ、茶目っ気たっぷりの明るい光が飛び出してきた。

素敵な人だ!

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頸椎固定術を受けた時のこと

20年くらい前の3月の初め、秋葉原の三井記念病院で頸椎の手術を受けた。外が白々と明け始めた頃、手術用の衣を着せられビニールのキャップを被って、病室に運ばれたストレッチーの上に寝かされて待っていると、若い麻酔科の先生がベットの脇にやって来て、こう言った。

「笠井さん、術前に顎の写真を撮らせてください。お顔は隠しますし、お名前も出しません。それから、もし麻酔が掛からなかったら、残念ですが、お部屋にもどってきます」

今から、自分の首の手術に臨もうと覚悟を決めていた時、どう答えればいいのだろう。
もし手術ができなかったら、今まで耐えて来たあの激しい頭痛を一生抱えていかなければならないのか…と言う思いが、無感動に脳裏をよぎったのを覚えている。

手術室に運ばれると、麻酔科の先生たちが、カメラを用意したり、私の口内をしらべたり、忙しく動き回っている様子だったが、突然、「何している、患者が怖がっているではなななな…」という大声を聞いた途端、意識を失った。
遠くから私を呼ぶ声がする。「手術は終わったよ」と耳元で聞こえた。

さて、それからが大変。助手の先生に説明では、手術は、頸椎を開けて頭蓋骨を正常な位置に戻し、私のお尻から接着剤として軟骨をとって頸椎に埋め込んだだけです。特別なことはしていません。脳味噌は、お豆腐屋さんのお豆腐のように水の中に浮いています。頭は重たいから、頸椎としっかりとくっつく迄、決して動かさないように!とのことだった。
頭と胸を長方形の角材状態にするために、次は、ハローベストという簡単な鎧のようなものを上半身に付け、頭には鉄の冠(?)のようなものをビスで額に直接埋め込んで(ビックリ!血も出ないし、痛くもない)、頭と胴体を支柱で繋げた。つまり、建築中の足場のようなものだ。
足場状態のままベッド上で数週間。土曜日には必ず、足場がゆるくならないように、先生がベストのネジを工具で締めてくれた。

ベッドから離れて歩行器で歩き出した頃は、もうすっかり春爛漫。11階の病室から下の歩道を眺めると、新しいランドセルを右に左に揺らしながら、走っていくピカピカの一年生が見えた。
そして、五月のある日、リハビリの先生が「笠井さん、外にいきましょう!」という言葉に誘われて、足場状態の自分の姿も顧みず、数ヶ月振りに戸外に出た。

太陽はきらめき、爽やかな風は都会の街路樹に触れながら、新緑の香りをわたしの体に満たしてくれた。
なんと素晴らしいことだろうか!

あの感動からもう随分ったった。今でも私の頸椎は働いてくれている。

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