夏の記憶

やっと 夏が来た! でも、テレビのニュースは、日に日に増えるコロナ感染者の数の話ばかり。後期高齢者は、誰にも会わずに家に篭っていなければならないの………?
子どもの頃の夏休みは、楽しかったなぁ。

「夏の記憶」ーノートからー

 朝
 目覚めると
 大きな夏の青空が
 私の、リウマチで
 歪んだカラダの内側に
 するりと入り
 七十年前の朝が
 今日の朝と重なる

 幼い目に映った
 あの青空
 顔より大きい くし形のスイカ
 甘い香りが あたりに漂い
 小さな口から
 溢れ出る
 赤い果汁が
 洗濯したての 白い
 木綿のワンピースの胸もとを
 真っ赤に染める

 容赦なく
 照りつける
 真夏の太陽の光
 夢中でスイカに食らいつく
 汚れを知らない子どもらの皮膚を
 じりじりと 焼く

 ひまわりの黄色い花弁に 目が眩み
 ミツバチがぶんぶんうなる
 スイカの種 一番遠くに飛ばしたのは
 だあれ?
 明るい声が
 彼方の世界に木霊する

 無限の時間が 凝固する

 畑の中の
 野ウサギの滑走
 一匹の蜥蜴が
 焼けた石の上を
 過った

 未来から
 記憶の風が吹いてくる

田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。

田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。

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「詩は生命から生まれる/生命は詩からうまれる」

ブッシュ孝子全詩集「暗やみの中で 一人枕をぬらす夜は」を読む。
私のカラダのすみずみまで差し込んでくる美しい光……透明で目に見えないど………。

 私の身体が痛みと闘っている時は
 私の心は必死で それに耐えている

 私の心が苦しみと闘っている時は
 私の身体は一生けん命 それに耐えている

 ああ いつになったらお前達二人
 手をとりあって喜びあう日がくるのだろう     10/6

 
 迷子の小鳥は
 わたしの窓辺にとんでおいで
 私の手の中で
 お前はきっと忘れた歌を思い出す

 迷子のそよ風は
 私の窓ガラスを叩いておくれ
 私はお前にふるさとへの道を教えてあげる
 
 迷子の流れ星は
 私の窓辺に落ちておいで
 私はお前を赤いローソクにともして
 この世の闇を照らしだそう            11/18

 失うという事を
 知らない人がいる
 得るという事を
 知らない人がいる
 なんだか最近は
 そんな可哀そうな人ばかり            1/21 
   
    ブッシュ孝子全詩集「暗やみの中で 一人枕をぬらす夜は」より 

1945年3月20日生まれの詩人は、1944年12月10日生の私とほぼ同い年。同じ頃、大学を卒業し、不安と希望とともに自分の人生を歩み出し、結婚し、病を得て………。癌のため28才で早逝した詩人の魂は、光の言葉を纏って、私のカラダに命の食べ物を与えてくれる。

懐かしい聖イグナチオ教会 私たちも大好きだった

懐かしい聖イグナチオ教会 私たちも大好きだった

  

 

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「マルテの手記」

いつになったら、梅雨が明けるのだろうか? 今日も雨降り………。何か明るいニュースはないかなぁ〜。まだ30歳なのに突然自殺した青年俳優のこと、筋萎縮症に苦しむ女性を自殺幇助し逮捕された医師達のこと、増え続けるコロナ感染者の数。「人間は生まれた瞬間から死に向かって歩き出す」なんてよく言うことだけど、からだの中に抱えてきた自分の死が、自分のからだで支えられないほど重たくリアルに感じられるようになったら………死を実行するほうが、生きるより容易いのだろうか?などと頭の中で思考を空回りさせているより、友人に電話しよう。
「わたし、死ぬのはいいとしても、コロナでは死にたくない!」と訴えると「同感!苦しいのは嫌よね」と、私より10歳も年長で、その上、心臓疾患を抱える私のお姉さん的存在の友だちの、明るい温かな声が返ってきた。それにしても、年若い人たちの死ー自死ーのニュースを聞くと、心が痛み哀しくなる。
         

生きることが大切だ。とにかく、生きることが何より大切だ。
………………
詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって………、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。……… 詩は本当は経験なのだ。………
               R.M.リルケ「マルテの手記」 大山定一訳

「マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)

「マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)

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今年も、カサブランカが咲いた………

秘めやかな雨の梅雨日も、やがてくる夏の太陽が予感されて、昔は嫌いではなかった。荷風の「梅雨のあとさき」も、なぜか梅雨の頃になると題名に惹かれてか、読みたくなったりしたもんだが、昨今の日々は、押し付けられた静寂の下で、じっと我慢している自分がいる。先が明ける兆しが見えず………。

シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を読む。
『代数』
………人間を自分の手でつくり出したものの奴隷とするにいたった罠を、確実な方法で明るみに引き出そうと努力すること。方法的な思考や行動の中に、いったいどこから無自覚なものが忍びこんで来たのだろうか。原始生活への逃避は、怠惰な解決法である。わたしたちが現に生きているこの文明のただ中で、精神と世界との原初的なつながりをふたたび発見しなければならない。……… わたしたちはみな、獄中で殺されるのを待ちながら、竪琴をひく練習をしていたソクラテスとよく似た境遇におかれてる………
ともかくも、よく生きたといえるように……… (田辺保訳)

まだ降り続いている雨の中で、気がつくと、伸び放題の雑草の合間から、数年前に植えたカサブランカが、今年も花をつけていた。初めは、純白で、もっと大輪だったのに、年を追うごとに花弁にうっすらとピンクを載せ、小振りになっていく

雑草の間の百合。さすがに強く、美しい!

雑草の間の百合。さすがに強く、美しい!

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バーバラからの手紙

外出規制が緩和されても、相変わらず、高齢者及び基礎疾患のある人は要注意。コロナに感染したら、重症化する恐れあり、という文言がどのニュースにも、見え隠れする。
高齢者+基礎疾患有り+身体障害者 の私は、さてどうしたものか。外側の日常と私の日常がだんだんと離れてくるなぁ……。
バーバラ・ベルガーから手紙が来る。40年来のドイツ人の親友。不思議なことに、私の心に、ふっとバーバラが過ぎると、数日後、彼女から電話がある。いつもそうだ、いつも。日本語が全くダメな彼女と片言のドイツ語の私とが、どうしてそんなに長話できるの?と周りのものが呆れるほど、私たちは握り締めた受話器を離さないで、長話?する。私の拙いドイツ語一言で、バーバラは私の言いたいことをドイツ語で的確に言ってくれる。地球の向こう側で、電話線を通して、私の内側をまっさらに受け取ってくれる。なんと爽やかなことだろう。
私たちは、シュットガルトのイゾルデ・クルツ通りで、たまたま五年間のお隣同士だったにすぎないのに……。あの頃、森を歩きながら、随分色々なことー愛について、男と女について、結婚について、教育について、信仰について、経済について、病気について、東洋と西洋について、人間について………などなどーを語り合った。今でも、その不思議な時間が、生き生きと蘇る。気がつくと、遠く離れているバーバラと地下水でいつも繋がっている。
今回の手紙も、バーバラはコロナの日々をどうしているかなぁ〜と思い描いていたら、届いた。もう、会えないかもしれない。寂しいなぁ、でも、寂しくはない。

バーバラの文字を読むのも難しい。暫く眺めていると、霧が晴れていくように、意味が透けて見えてくる

バーバラの文字を読むのも難しい。暫く眺めていると、霧が晴れていくように、意味が透けて見えてくる

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私は、歌舞伎町が好きだ!

またもや、梅雨前線の猛威で各地で多くの被害が出ている。九州に住むクララちゃん、カワバタさん、エハラさん、ムラカミさん、ミレイさん………みんなご無事かな? ご無事でありますように、とお祈りするしかないのだが……。

毎日毎日、夜の町歌舞伎町がニュースにのぼる。歌舞伎町は私の育った町。私は、小学1年生からアキラと結婚するまで新宿区役所通りに住んでいた。今から70年前のことだ。家族と一緒に住み始めた頃、今の区役所はなく、コマ劇場もなく、鬼王神社から大久保小学校につづく一本道は、ジャリ道で、途中に伊勢丹の倉庫があっり、あちこちに雑草だらけの空き地があったように記憶している。夏になると、風鈴やさん、キャンディーやさん、金魚やさんが、天秤棒を担いで大声で「キンギョォー、キンギョ。キンギョォー、キンギョ」などと叫びながら通っていく。
やがて、コマ劇場ができると、その周辺の映画館が、我が大久保小の夏休みの映画鑑賞会会場になった。前夜の繁華街の熱気がようやく鎮まり、まだ町全体が深い眠りに沈んでいる真夏の早朝、私はワクワクして、爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、映画館に急いだ。
「ダンボ」「白雪姫と七人の小人」「シンデレラ姫」「砂漠は生きている」「野ばら/ウィーン少年合唱団」……。夢のような不思議な世界!楽しかったな。今でも思い出すと、そのワクワク感が体の中に蘇る。歌舞伎町には、八百屋のヤエコちゃん、料亭のケイコチャン、お勤めのナミちゃん、学者のフクハラくん、中国人のラさん、美容師のヤマノくん………ありとあらゆる職業の、お金持ちの家の子も、貧しい家の子も、みんなごちゃ混ぜになって住んでいて、一緒に遊んだ。親たちは、町の戦後復興に夢中で、子どもたちのことに構っていられない。青線地帯、売春婦、パンパン・ガールとGI、シスターボーイ、ヤクザの親分とおかみさん、警察、花園神社のお酉さま、バナナのたたき売り………哀しくも、懐かしい思い出。
朝まだき、区役所通りに斜めに差す淡い透明な光を背にうけて、私は、仙川の女学校に六年間通った。
人間の、あまりにも人間臭い町/私を育ててくれた町。私は、歌舞伎町が好きだ❣️

文学座のアトリエ公演に通ったりして、ちょっと気取った女学生。

文学座のアトリエ公演に通ったりして、ちょっと気取った女学生。

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笠井久子ブログ

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