おしいれのぼうけん

「おしいれのぼうけん」の著者の訃報をネットで知った。何度子どもらにせがまれて、この田畑精一のお話しを読んで聞かせたことか。懐かしい愛読書のひとつ。かつての我が家の六畳間の押入れも三人の男の子たちの格好の遊び場だった。夜、寝る時間だよぉ〜と言って、部屋いっぱいに三つの布団を敷き詰めると、そこは途端に大海原になり、砂漠になり、コンバットごっこの戦場になる。子どもらは、何度も押し入れからジャンプして大海原に飛び込む。風呂敷のマントを首に巻き、カッコいい仮面ライダーになり切って「トォー!」と掛け声をかけて、天井めがけて飛び上がる。ある時は、お兄ちゃんが弟を中に閉じ込めて、外から押し入れの戸を叩いて脅かす。やがて、ケンカがはじまり、下の子の泣き声が、上の子たちのクスクス笑いがもれ聞こえる。私は、さあみんな、お布団に入って………と号令をかけ、明かりをパチンと消す。押し入れの熱も鎮まり、眠りについた子どもたちの夢が、宇宙の果てまで広がっていく。

50年前の子どもたちの風景。コロナ時代の子供たちはどんな風景を生きるのだろうか。

夕陽

夕陽

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煌く彗星

栗の花が咲く6月。私が子育て真っ最中の頃、我が家の周辺に栗林や柿園が多くあったのに、いつの間にか消えて、広い更地になっている。秋の実りの頃には、地主さんが近所の子どもたちを集めて栗拾をして楽しんだものだが……いまはひっそりとして、子どもたちの明るい笑い声も聞こえない。さみしいなぁ。

アメリア・イアハートという名前を、茅香子先生の英語翻訳の課題で初めて知った。1937年世界で初めて世界一周飛行に挑んだ女性飛行士。同年7月彼女の飛行機は、目的達成寸前に太平洋上で消えてしまう。その後の消息についてはあれこれと語られているが確証がない。宇宙に向かっていち早く飛び出し、彗星のように見えなくなったアメリアは、今でも多くの人の心に煌く星となって生きている。
大空を鳥のように飛びたいという人間の切なる希望が実現しはじめてから、まだ100年しか経っていないのに、今日の地球を取り巻く宇宙環境は、なんと嘆かわしいことか。絶え間なく人工衛星は回り続け、目に見えない電波は飛び交い、人々は飛行機でグローバルにどこにでも移動できるようになったが、その結果、今やコロナ禍が地球上全てに広がり、飛行機は飛べず、燃料はあまり、国と国とがギスギスしはじめ………。ついこの前100年前は、満点の星空に向かって人々の心は、夢と希望で輝いていたというのに………。

課題の翻訳作業はお休みして、その頃のことを調べてみる。
ライト兄弟 1903年世界で初の飛行機を発明。
アメリア・イアハート 1897年〜1932年。1932年女性として初めて大西洋単独横断飛行成功
「翼よ あれが巴里の灯だ」のチャールズ・リンドバーグは、1902年生。1929年プロペラ機でニューヨーク・パリ間の大西洋単独無着陸飛行に初めて成功する。
そして、何より嬉しかったのは、懐かしい飛行少年イナガキタルホと「星の王子さま」のサン=テグジュペリが同じ1900年生まれだった❣️

 星を食べた話 
   ある晩露台に白ッぽいものが落ちていた 口へ入れると 冷たくてカルシュームみたい
  な味がした
   何だろうと考えていると だしぬけに街上へ突き落とされた とたん 口の中から星のよ
  うなものがとび出して 尾をひいて屋根のむこうへみえなくなってしまった
   自分が敷石の上に起きた時 黄いろい窓が月下にカラカラとあざ笑っていた
                             稲垣足穂「一千一秒物語」

1968年6月のある日、京都伏見桃山の婦人更生寮に志保夫人とお住まいの稲垣足穂をお訪したことがある。更生寮に向かう道すがら、辺り一面栗の花の匂いがいっぱいだった。何のお喋りをしたのだろうか、時間も忘れて話し込み、結局、志保さんにお世話になり一泊した。思い返すと何と礼儀知らずだったかと恥ずかしい。温かい先達たちに心から感謝。

タルホと一緒に月を見上げて

タルホと一緒に月を見上げて


空に浮かぶ星の王子さまのヒツジ

空に浮かぶ星の王子さまのヒツジ

    

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庭の花に

夏に向かって、庭の雑草が日に日に勢いを増してきた。自分で草取りもできないのに、生協で苗を注文し、アキラに植えてもらう。市場から黒いビニールのポットに入れられ運ばれてきた疲れ果てた様子の小さな苗も、土に戻してやるとホッとしたように生気を取り戻す。石ころだらけの大地でも、雑草に埋もれそうになっても、黙々と新しく生まれ変わり……健気だなぁ!

緊急事態宣言の解除の後は、コロナ時代を生き抜くために、コロナと生きる新しい生活がやってくる。40年以上リウマチと共に生きてきて、それに加えて、コロナとも共に生きていくとは、と思いあぐねていると、庭でアキラが花の水遣りをしている。昼間の太陽でぐったりした花が気になったのだろう(自分で植えた花でもあるしね) 。たっぷり水をもらった今日の花は、明日の花ではなく………やがて……。

蕾が膨らんできた

蕾が膨らんできた

   いそぐ水、走る水……
いそぐ水、走る水、ーぼんやりした大地に
すいこまれる忘れやすい水、
わたしたちのくぼめた手のひらに、しばしとどまれ、
    思い出すがいい。

きよらかな、すみやかな愛、無関心、
走りすぎるほとんど不在といっていいもの、
おまえの慌しい到着と出発のあいだで
ふるえる僅かな滞在.       R.M.リルケ『果樹園より』(高安国世訳)

オレンジ色が可愛い

オレンジ色が可愛い

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夕暮れの散歩

久しぶりに朝の光。いつものように、空に向かって、おはようぉ〜と呼びかけたが、空も雲もよそよそしい。目を閉じて、たっぷり空気を吸い、太陽の温かいぬくもりを体の隅々まで感じよう………少しづつ、私も世界も動き出し、鳥の囀りが聞こえる。

エッセイスト大平一枝さんが、チカシの花の写真に寄せた文章をネットで読む。写真も美しいが、文章がとても素敵だ。
 だれかには見えていて、自分には見えないもの。
 あなたには見えなくて、私には見えるもの。
 同じ風景なのに、私達の目は不思議だ。
 見ようと思うと見えて、みようと思わないと永遠に見えない。

夕暮れ時、二日ぶりに、アキラと散歩に出た。雨でたっぷり水を含んだ道端の名も無い小さな花々が、うれしそうに風に揺れている。

      森の大きな樹の後ろには、
      過ぎた年月が隠れている。
      日の光と雨の滴でできた
      一日が永遠のように隠れている。
      森を抜けてきた風が、
      大きな樹の老いた幹のまわりを
      一廻りして、また駆け出していった。
      どんな惨劇だろうと、
      森のなかでは、すべては
      さりげない出来事なのだ。 
      ……………       長田弘 「森のなかの出来事」より

大きな樹 国分寺にて

大きな樹 国分寺にて


     
      

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ポスト・コロナ

雨の日が続いて……。
ポスト・コロナの生活形態についてのニュースが多くなってきた。もう今までのような生活は戻らない。慣れ親しんだ習慣、感覚、価値観、人間関係のあり方……着なれた服をやめて、まったく新しい服を着る。私にできるだろうか?

40年前の今頃、私たち(アキラと私)は、突然(彼らにしてみれば)三人の息子たちを、あたかも、うららかな春の陽が差し込む小川で、愉しく泳いでいた淡水魚たちを、突然、網で救い上げ、塩辛い海に投げ込むようにドイツに投げ込み、塩水の海にやっと慣れた頃、予告なしに、また淡水の川に戻した………。ずいぶん、身勝手なことをしてきたなぁ、息子たちにとっては、さぞ迷惑なことだったろう、などと、今更ながら自分に呆れたり……。
 
  たえまなくあちらへこちらへ
  花盛りの枝が風に揺れ動く
  たえまなく ゆらゆらと
  私の心が子どものように揺れ動く
  晴れた日と曇った日のあいだを
  欲望と諦めのあいだを。

  花々が風に散って
  枝が実をつけるまで
  心が幼年期に飽きて
  おちつきを得て こう告白するまで
  不安にみちた生のたわむれは
  喜びにみち むだではなかったと。  
            「花盛りの枝」 ヘルマン・ヘッセ/岡田朝雄訳

樫の森の子供たち ミツ5才チカシ10才レイジ6才

樫の森の子供たち ミツ5才チカシ10才レイジ6才


  

   

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「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」

梅雨のような雨の日。毎日桜の木に飛んでくる小鳥たちも今日は来ないなぁ……。稽古場の窓に灯りがついた。誰か一人で稽古しているらしい。三密を守って、ひっそりと静かに。

今の時間、やってくる新しい時を考えるより、今までやってきたことを振りかえって見る方が、弱虫ヒサコにとって、今を生きる力になるのでは?と思いながら………。
私が医者からリウマチ性関節炎と診断されたのは、1978年3月3日(なんと10回目の結婚記念日)
その当時の日記を読むと、我がことながら面白い。その年の1月から各月1週間の「エーテル宇宙誌のための天使館における連続公演」が始まり、3月末の1週間は「エーテル宇宙誌」の第Ⅲ期が予定されていたから、私のリウマチ診断は想定外の出来事だったが、すぐに色々な方面の方々から「西洋医学はダメ、玄米と胡麻塩で体質を変えこと」「まず断食療法をすること」「薬は漢方薬で」等々、温かいご意見をいただき、それまで健康だけには自信があり、医者要らずの私だったので、一つ一つ教えに従って実行した。朝手首、膝がこわばり痛む、生活が苦しい、などと愚痴を言いながらも、断食に向かい、1日の食事、野菜スープ、生野菜のサラダ、さつまいもだけ。肉が好きな私としてはかなりがんばっている。8才、5才、3才の男の子の母親である私は、午後になると下の二人を引き連れて、スーパーに買い物に行く。子どもらを寝かし、「エーテル宇宙誌」公演真っ最中の天使館からもれてくるバッハのピアノ曲「フーガの技法」ドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴きながら、高橋たか子の小説を夢中になって読だり、子どもたちの寝顔を眺めて「3人とも全く手に負えない腕白になった。でも、あと2年もすれば、状況も変わるだろう。焦ることはない」などと自分に言い聞かせたり………。
「がんばっていたなぁ〜」と思わず声を出すと、机の向こう側から「子どものままおとなになったような人だからね、あなたは」とアキラが言った。えっ………それどういう意味⁉︎ 聞き捨てならない、と思ったが、ひょっとしたら当たっているかもしれない。今だに成長しない私がいる。

「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」フランシス・ジャムに

「驢馬といっしょに天国へ行くための祈り」フランシス・ジャムに

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