大野チエさんのこと

先日、散歩の途中で、大野一雄先生の奥さまチエさんにそっくりの方にバッタリ。思わず近寄って、立ち話してしまった。

上星川の大野先生のお家に初めてお邪魔したのは、二十歳の頃だったと思う。
「夜空に流れる星の川」なんて、上星川とは、なんと素敵な地名なのだろう、などと思いながら、暗い上星川の駅から細い上り坂の道を丘の上の先生のお家まで、アキラと一緒にワクワクしながら登ったのは、昨日のことのよう。深い闇にすっぽりと包まれて、先生のお家があった。玄関を入ると暗い廊下の先に部屋の灯りが見えた。確か廊下の左側には、当時ご存命だった先生のお父様のお部屋があったように思う。灯りの見えた廊下の突き当たりの南に面した部屋は、6畳位の広さで、そこは、右側に小さな流し台と調理台、真ん中に大きな食卓があり、キッチン・茶の間・居間・応接間………人が集まる場としての全てが備わっていた。大野先生は、私たちにすき焼きをご馳走しようと、食卓の上に用意された牛肉、長ネギ、白菜、春菊などをコンロ上の鍋に突っ込み、豪快に味付けをする。ぐつぐつに煮え始めると「さあ、食べろ 食べろ」と勧める。そんな先生と背中合わせになって、チエさんは流しに向かい、黙々と野菜を刻んでいた。
いつ伺っても、突然、誰かが訪れても、いつもご飯が出てくるので、まるで手品のようでミラクルだ、などと呑気に思っていた私も、後で、あの大量の牛肉や野菜類の重たい買い出しを、毎回チエさんが一人で、細い上り坂の道を運でいたと知り、若い私が何のお手伝いもしないでご馳走になるばかり、自分の至らなさに呆れて、恥ずかしかった。そんな大人になりきれていない私とアキラの結婚の仲人を、大野先生とチエさんは喜んで引き受けてくださり、緊張しまくっている花嫁の私の手をそっと握ってくれたチエさんの優しさが忘れられない。
多く言葉を交わしたことがないけど、チエさんに会うといつも肌の温もりを感じた。
それからずいぶん経って、横浜郊外にできたテアトルフォンテという劇場に先生のソロ公演を観に行った時、終演後、ファンでごった返す楽屋の入り口に、チエさんが一人で座っているのを見かけた。その時ふと、珍しいなぁ、先生の公演にいらっしゃるなんて、と思ったのを思い出す。その後、先生の海外公演に慶人さんのご家族と一緒に行かれたとか。確かに、アキラの「花粉革命」北米ツアーでロスアンジェルスに行った時、劇場のオフィスの壁に貼ってあった「ラ・アルヘンチーナ」の大きなポスターの出演者やスタッフのサインの中に、小さな字で大野チエとあるのを見つけ、懐かしく、うれしかった。
最後にお目にかかったのは、高井富子さんの踊りを渋谷のジャンジャンに観に行った時だった。狭い会場の最前列に、チエさんは先生と並んで座っていた。終わって、地下から地上に出ると、薄曇りの春の夕暮れ時で、まだ昼間の暖かさが残っていた。叡と私は、先生と手を繋いで渋谷駅に向かって坂を下っていくチエさんの後ろ姿を見送った。
それから間もなくして、チエさんの訃報を聞いた。急いで、上星川のお家に向かい、玄関を開けると、突き当たりの部屋から慶人さんが出てこられ「母さんが亡くなってしまった………」と、少年のような美しい目に涙をいっぱいためて、悲しげに呟かれた。

チエさんも、大野先生も、高井富子さんも、慶人さんも、もういない。
目を閉じると、あの時この時の、光の色、匂い、人々の温もり……が、私のカラダのすみずみに広がり………ああ、美しい人たち‼️

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復活祭

お友達が「この間まで、ピンクの花が並んでいたけど、きょうは黄色がおおかったわ」と言って、黄と白のマーガレットにレモンの輪切りまでついているお花のアレンジメントを持ってきてくれた。明日は復活祭だものね。

12年前、フランスのアンジェでの復活祭の日を思い出す。日本人も含めて7つの国からやってきたアキラのダンスWS生17人が狭い屋根裏部屋に集い、肩を寄せ合って卵に色付けし、ワインを飲み、お喋りをし、ワイワイ楽しんだ。イラン人のモハマッドとイスラエル人のヤイルも一緒。ブラジル人のミッシェル、ポーランド人のアグネッツッカ、インドネシア人のエマ、ポーランド人のマリア、日本人の芽里……みんな今どうしているかな………みんな自国の問題、自分の悩みを抱えながらも、ダンスを通して共に在ることに喜びを感じていた。落ち着いた佇まいの中世の古都アンジェで体験した復活祭。今日のコロナ禍にあっては、あれは遥かむかしの話なのだろうか。

日々、カラダの機能が失われていく。失ってみて、人間の体の機能の素晴らしさに気がつく。初め、誰がこの体を創造したのだろうか………などと考えながら、散歩に出ると、暖かな陽射しを受けて、桜の幹に可愛い若葉があちこちに見える。ああ、気持ちがいい……。明日はキリストが復活した日。

近所の空き地 たんぽぽの群生

近所の空き地 たんぽぽの群生

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上村なおかのソロ

同じように、春が再び巡ってきた。桜の開花宣言と緊急事態宣言の解除と睨めっこしている。庭には春の陽光がいっぱい。いつの間にか、ライラックの濃紫色の芽の先は白味をを帯び………いつの間にか、壊れつつあるリウマチカラダの内に美しい春の光が差し込んで……。

天使館で、上村なおかのソロを観た。
気がつくと、中庭の扉から螺旋状にねじった体に自然を丸ごと引き連れて入ってきた。漆喰の白壁と白木の床の空間に、ダンサーの内なる自然が現れる。床の感触、微かな空気の揺れ、喉の奥底から聞こえる声、痙攣する指先、飛び跳ねる足先……窓を開ける。突然、闇が覗き込んできた。荒々しい呼吸、遠い体の記憶、幼い頃の……。
いつの間にか、私の体もダンサーの内なる自然のなかで、呼吸し、感じている。静かな時間。時間を超えた時の流れ……。宇宙を内包する女性存在の強さ……。
 
春爛漫。うれしくもあり、おそろしくもありのヨワムシヒサコさん。

国分寺の桜の園

国分寺の桜の園

明日はどんな天気かな?

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あれから10年……

「天使館 VOL.II」は、2011年4月18日に上梓された。その【編集後記】を読む。
 
 1971年8月から79年8月までの8年間、その稽古場ではもっぱら舞踏の稽古が行われた。同年、笠井の渡独にともない天使館は休館。1985年春、オイリュトミーの研鑽を終えた笠井は、天使館をオイリュトミーの活動の場として再び開いた。
 昨年の秋ふと、文集「天使館.II」を出すのは、今だ、という思いが頭をよぎった。「VOL I」は35年前、当時天使館に舞踏の稽古に通って来ていた若者たちの文章を編んで出版した。VOL IIでは、オイリュトミーシューレ天使館の卒業生たちで結成されたペルセパッサ・オイリュトミー団の団員たちと、シューレ卒業後、様々な道でオイリュトミーを深めている人たちに、原稿を依頼した。
 今年2月になって、次々と手元に届く原稿からオイリュトミーが、ゆっくりと確実に、書く人の「いのち」に結びついていく様がうかがわれて、感銘を受けた。
 3月、南からの花の便りもうれしく、編集作業にも拍車がかかり始めた時の3月11日午後2時46分、東北関東大震災が起こった。一瞬にして多くの「いのち」が失われ、多くの方の生活の根拠が消え去った。
 今、深い悲しみの内にありながらも、35年ぶりに文集「天使館」に寄せられた「コトバ」が、根こそぎ消えた大地の底から、再び、「カラダ」が紡ぎ出す「いのち」に結びついた「コトバ」の芽となることを、私は信じたい。(H.K.)

あれから10年、私は何かを学ぶことができたのだろうか?

「天使館 VOL.II   オイリュトミー」

「天使館 VOL.II オイリュトミー」

 

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散歩にでる時

いつも散歩に出る時、エィっと自分で自分に気合を入れなくてはならない。ヨワムシだなぁ〜ナマケモノだなぁ〜ナサケナイなぁ〜ヒサコサン。でも、首にカラーを巻いて、靴を履いて、マスクをして、せつ子さんから頂いた超カッコいい帽子を頭に載せて、カートを出して……やれやれ、玄関を出ると、急に嬉しくなるのは何故だろう。
首の骨が頭を支えられないので、転倒しないように、前方を見ずにもっぱら自分の靴の動きを見ながら歩く。でも、春先の空気の匂いや、袖口からスゥーと入ってくる風が胸の辺りを通り過ぎるのを心地よく感じながら、今はまっているユルスナールを頭のどこかで思いながら歩いていると、自分の壊れかかった体のことが気にならなくなる。
史蹟公園の一本松の曲がり角まで来た時、私が曲がる方向に大きな車が止まっているのに気がついた。私が通り過ぎるのを待っているのだ、急がなくては!と思った途端、公園で作業をしていたおじさんが「おばあちゃん、大丈夫だよ、私がいるから」と言って、私の背に手を当てて、車が通り過ぎるまで守ってくれた。「ハイハイ、ご親切にどうも ありがとうございました」と、それまでユルスナールになっていた私から、急におばあちゃんになった私の体に、ゆっくりと温かさが行き渡る。また、しばらく行くと、前方からオートバイの音がして止まった。次男のレイジだ。「どこいくの、散歩?気をつけるんだよ!」まるで母親が子どもにでも云うような口振りでいうと、さぁと走り去っていった。……ハイハイ、充分気をつけます、ありがとう……。それからも、自分のペースでゆっくりカートを押しながら、自分の十字架は自分で背負わねば………などとぶつぶつ言いながら、背中を丸めて前屈みの姿勢で、ひたすら地面を見ながらあるいていると…極楽とんぼのヒサコサン。アナタはそれで充分幸せよ…と、どこかでもう一人のヒサコサンの声がする。ココロはカラダをいたわりカラダはココロを支え……沈丁花が香ってきた。明日も散歩に出よう。

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ふにゃふにゃの指

今日は、寒い。いつの間にか、自分の手の変形が驚くほど進んでいるのに気がついた。始まりは20年ほど前の3月のこと、右手の中指が脱臼して、みるみる間にふにゃふにゃになってしまった。その時、私は頚椎固定手術を受けた後で、首にハローベスト(頚椎固定器具)を装着して病室のベッド上で寝ながら自分の指を眺めていたのだ。直ぐ、主治医にぶらぶらになった中指を見せると「よしよし、当て木でも当てて縛っとけ」と取り合ってくれない。指の関節より頚椎の方が重大事なのだろう。お陰で、今までもふにゃふにゃのままだ。
それから20数年、ゆっくりゆっくりと骨の崩壊が進み、今はマシュマロみたいに柔らかい小さいお団子が重なっているような掌に、ふにゃふにゃしたクラゲのような指が付いている手となった。それでも、私の思いをiPadのキーボードにペンシルで打ってくれるからありがたい。
このちょっと滑稽で可笑しい形の、私の愛しい指たち、いつまで私のために働いてくれかい?

昨夜、浅見裕子新作舞踊「コーボルト・スペーシー」を、天使館で観た。暗黒の地中からボソボソと地上に這い上がってきた四人のコーボルトたちが、一斉に色を纏い、カラダに音を響かせ踊る姿を観ているうちに、私の修理不能のカラダの内も、一緒に踊った。

いつの間にか消えてしまったクリスマスローズが、庭の片隅で一輪咲いている。クロッカスも水仙も伸びてきた。小鳥たちも飛んできた。風が吹いている。

クリスマスローズ。庭の片隅で咲いていた。

クリスマスローズ。庭の片隅で咲いていた。

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笠井久子ブログ

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