雨あがりの散歩

2、3日前の夕方、日がな一日降り続いた雨があがり、湿気を含んだ蒸し暑さの中を、アキラと散歩に出掛けた。空一面に広がった灰色の雲の向こう側が、地球の陰に隠れようとしていた陽の光に照らされて、灰色の空一面が一瞬ピンクに染まり、次の瞬間、仄かなピンク色は消え失せ、再びグレイの空に変わった。気がつくと辺りはもうすっかり夜になっていた。
9月も残り3日。今日もどんよりと曇り空で蒸し暑い一日。秋は何時来るのだろうか。

 もう私の眼は、陽の當っているあの丘に行っている、
 まだ踏み出したばかりの道に先立ち。
 すると私たちの掴むことのできなかったものが、
 あざやかな姿を浮かべて、遠くから私たちを掴む―

 そして私たちがそれに達しないうちに私たちを
 殆どまだ自分でも気付かぬ私たちへと変えてしまう。
 私たちの合図に応じて彼方からも合図が来る・・・
 だが私たちはただ吹寄せる向かい風を感じるばかり。  『散歩』リルケ (高安國世訳)

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来年100歳になるキミコさんのお話

来年5月に、目出度く100歳を迎えるアキラのお母さんのキミコさんは、毎日朝と晩、今住んでいる老人ホームから私の携帯に電話をして来る。
「ちょっと、お声を聞きたくて。ここではお友だちがいないの。何時来て下さる?えっ?何日?私、ダイアリー(キミコさんはカレンダーのことをダイアリーと言う)を持っていないから、日にちが分からないの。今度来る時、ダイアリーを持ってきて下さる?それと、甘いお菓子。見つかると取られてしまうから、あなたのポケットにそっと入れて。それから、私の部屋のずっと向こうに、オーケストラの人がいて、その人と話すのがとても面白いの。私はマーラーが好き。だからマーラーの話しをするのよ。ウイーンに行った時、私マーラーの家に行ったの。彼が作曲するときの机を触ったわ・・・・。私の部屋から、大きな木が見えてとても美しいわ。それであなたは今どこ・・・?私ひとりで彼の部屋に行ったの。静かでステキなお部屋。繪が飾ってあったわ・・・」と脈絡のない話しに「そうね。この次はダイアリーを持って行くわ。一口羊羹をポケットに隠してね。待っててね」と私は返事をする。
そして、大きな羽飾りのついた帽子を冠り、世紀末のウィーンの街をグスタフ・マーラーと腕をくんで歩く淑女を夢想するキミコさんを想像する。今や、半分イメージ世界の住人になったキミコさんは、時空を超えて何処へでも飛んで行く。キミコさんの携帯電話のおしゃべりはつきない。
イマジネーションの力は、素晴らしい!!

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いつも思うこと

東京国立近代美術館に行く道すがら、いつも思うことがある。国分寺から中央線で中野まで、中野で地下鉄に乗り換えて竹橋まで、とすこぶる快適な直線コース。ところが地上に出るまでの階段の、あとわずか2、3段という所で、手すりが突然なくなる。そこまでふうふういいながら階段を上って来て、はてどうしたものやら、と困ってしまう。頸椎や足首の固定手術を受けたおかげで、バランスが極めて不安定な私にとって、階段の手すりがあってこそ、ひとりで美術館に行けるというのに。たった50センチほどのことなのにケチだな、といつも思う。
ついでにもう一つ。京王線の初台駅から新国立劇場の小劇場に向っていた時、後ろから大勢の人が押し寄せてきて、手すりにしがみついて階段を上っている私の脇を、足早に駆け上って行く。大劇場の開演時間が迫っているようだ。「ああ、せめて地下から地上に出られる身障者用のエレベーターがあったらいいなぁ、恐ろしい思いをせずに、楽しく観劇に向えるのに」といつも思う。

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育世さんの「きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている」を観た。

1週間前、黒田育世さんの新作公演「きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている」を観た。チラシの墨絵のように、育世さんの脚がギューンと天に向かって弧を描き、カラダの内から音が聞こえ、色が現れ、花が咲きはじめ、微風がそっと吹き抜け・・・無音の空間が、いつの間にか、人間の温かさで満たされていた。心地いいのでずっと観ていたいなぁ、と思った。
昨日でオイリュトミーシューレ天使館の夏休みも終わり、2学期が始まった。
そして、マリアピアが、9月の半ばまで、一緒にオイリュトミーの授業を受けるためにローマからやって来た。彼女は、自ら一年かけてローマ在住の日本人ダイスケさんと共に翻訳し出版した「UN LIBRO CHIAMATO CORPO」(「カラダという書物」イタリア語版)を持ってきてくれた。初めにマリアピアの挨拶文があり、舞台写真、索引も含めると259頁に及ぶ大著。でも、悲しいかな、私はイタリア語が読めない。ゴメンナサイ。
マリアピアは「アキラサンノカンガエハ、イタリアジンニハ、アタラシイデス。ムズカシイ。デモ、トテモオモシロイデス!!」と面白そうに微笑んだ。その大きな黒い瞳の眼差しは、温かく魅力的で、十数年前に出会った時と少しも変わらない。何時でも何処でも、若い彼女が、私を心地よく包んでくれるのだ。
Grazie Maria Pia D’Orazi!!

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暑い夏の日に

毎日の新聞で、ちょっと気になって切り取った記事が箱一杯に詰まっているので、思い切って大学ノートに貼付けてスクラップブックを作ってみた。その中の2006年10月7日の朝日新聞夕刊に、米国ペンシルベニア州にあるアーミッシュ=キーワード=の学校で、銃で撃たれて死亡した5人の女児の埋葬の記事があった。
「『私から撃って下さい』。亡くなった中で最年長だったマリアン・フィッシャーさん(13)は、教室に残された10人の女児を容疑者が撃  つつもりとわかったとき、そう進み出た。」マリアンさんの妹バービーさん(11)も、姉に続いて「『その次は私を」』と続けたという。2人は、より小さな子どもたちを助けたい一心だだったという。」
”事実は小説より奇なり”とは言うけど、でもねぇ〜・・・などと思いながら、セピア色に変色した新聞の切り抜きを、とりあえず大学ノートに貼付けた。  

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手紙(1981.1.9) ミツの災難

ドイツ語もままならないうちに、Stuttgartに住み始めてまず困ったことは、子どもが病気になった時だ。羊のように温かく優しい目をしたフラウ・ブルーメ(近所に住む老女医さん)に、「で、どんな具合なの?」と聞かれて、どう言っていいのか、私の方がドキドキする始末。Kopfweh(頭痛)とか、Bauchschmerzen(胃痛)などの単語は、勉強して覚えていたが、どの様に痛むのかを伝えられない。日本にいる時は、お腹が「キリキリ痛い」とか「キューっと痛い」とか、頭が「ガンガン痛い」「ズキズキ痛い」、背中が「ゾクゾクする」などと言って、お医者さまに、ある程度痛みの状況を分かってもらっていた。その時、日本語の痛みを表す豊富なオノマトペの存在の素晴らしさに、初めて感謝した。果たして、ドイツ語にもその様なオノマトペがあるのだろうか?ドイツ滞在中、ドイツ人の友人が「頭が、ズキン、ズキン痛い」とか「肌がヒリヒリする」などと言っているのを聞いたことがない。

1981.1.9。
全く慌ただしく、クリスマス、お正月が過ぎてしまいました。お母さんも随分と忙しい暮れのスケジュール、大丈夫でしたか?大晦日の日、日本の真夜中の12時を目がけて、こちらの夕方5時にお電話しようと思っていました。その日の昼、日本人の友だちが来られて、豆腐とか、ひじきとか、切り干し大根とかを煮て、みんなで昼食を頂いていたら、ミツタケがもの凄い声で泣き出して、足の裏に縫い針が刺さったと言って、自分でその縫い針を抜いて持ってきました。見ると、3センチ位の長さの針の頭の方の1.5センチ位のところで折れていて、その先が見当たりません。みんなで懸命に探しましたが、見つからず、アキラがミツの足裏を押してみると、どうやら、残りの1.5センチは足の中にあるようです。大晦日の夕方ですし、何所の病院に行っていいかも分からず、途方に暮れていましたら、アキラが、メッサーを消毒してミツの足裏を切開するなどと、恐ろしいことを申します。そこで私は、迷うことなく幼稚園の先生・フラウ・マイヤーに電話で病院を聞きましたら、直ぐに、先生の息子さんが飛んできて下さり、救急病院に連れて行ってくれました。やれやれです。一緒に行ったアキラによりますと、レントゲンの結果、骨まで針が届いているけど、幸わい骨の中まで入っていないので、直ぐに麻酔をして切開することになったのですが、大量の血が噴き出して、針の在処が探れないので、遂に、足の内部を映すカメラを通して針の影を追いつつ、医者がモニターテレビを見ながら無事に針をとったそうです。アキラがメッサーで切開したら、どうなっていたことか、ぞっとします。その時アキラもかなり動転していたのです。そんなこんなで、みんなで年越しそばを食べたら、すっかり疲れてしまい、お電話するのを忘れてしまったのです。
夜中の12時に、子どもたちを起こして、ジルベスターの花火をご近所さんと楽しみました。ミツも針を抜いたら痛みもなくすっかり元気になり、お正月から飛び回っています。私の方は、お正月休みで気が緩み、時々寝込んだりしていますが、きっと怠け病で、朝、是非子どもたちを起こして学校に出さなくては、という意気込みがあると、リウマチの朝の痛みも何とか乗り越えられるようです。最近、ドイツでも全てが値上がりして、ますます生活は厳しくなり、その上、外国人に対する圧力が強くなり、日本人が寄ると、話題は一つ、滞在許可の問題です。外国に住むということは、自分の家ではなく、他所の家に住まわせてもらっているということ。日本にいた時には、思いもしなかったことが、だんだんと透けて見えてきて、様々なことを考えさせられます。ではまた。久子

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