暑い夏の日に

毎日の新聞で、ちょっと気になって切り取った記事が箱一杯に詰まっているので、思い切って大学ノートに貼付けてスクラップブックを作ってみた。その中の2006年10月7日の朝日新聞夕刊に、米国ペンシルベニア州にあるアーミッシュ=キーワード=の学校で、銃で撃たれて死亡した5人の女児の埋葬の記事があった。
「『私から撃って下さい』。亡くなった中で最年長だったマリアン・フィッシャーさん(13)は、教室に残された10人の女児を容疑者が撃  つつもりとわかったとき、そう進み出た。」マリアンさんの妹バービーさん(11)も、姉に続いて「『その次は私を」』と続けたという。2人は、より小さな子どもたちを助けたい一心だだったという。」
”事実は小説より奇なり”とは言うけど、でもねぇ〜・・・などと思いながら、セピア色に変色した新聞の切り抜きを、とりあえず大学ノートに貼付けた。  

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手紙(1981.1.9) ミツの災難

ドイツ語もままならないうちに、Stuttgartに住み始めてまず困ったことは、子どもが病気になった時だ。羊のように温かく優しい目をしたフラウ・ブルーメ(近所に住む老女医さん)に、「で、どんな具合なの?」と聞かれて、どう言っていいのか、私の方がドキドキする始末。Kopfweh(頭痛)とか、Bauchschmerzen(胃痛)などの単語は、勉強して覚えていたが、どの様に痛むのかを伝えられない。日本にいる時は、お腹が「キリキリ痛い」とか「キューっと痛い」とか、頭が「ガンガン痛い」「ズキズキ痛い」、背中が「ゾクゾクする」などと言って、お医者さまに、ある程度痛みの状況を分かってもらっていた。その時、日本語の痛みを表す豊富なオノマトペの存在の素晴らしさに、初めて感謝した。果たして、ドイツ語にもその様なオノマトペがあるのだろうか?ドイツ滞在中、ドイツ人の友人が「頭が、ズキン、ズキン痛い」とか「肌がヒリヒリする」などと言っているのを聞いたことがない。

1981.1.9。
全く慌ただしく、クリスマス、お正月が過ぎてしまいました。お母さんも随分と忙しい暮れのスケジュール、大丈夫でしたか?大晦日の日、日本の真夜中の12時を目がけて、こちらの夕方5時にお電話しようと思っていました。その日の昼、日本人の友だちが来られて、豆腐とか、ひじきとか、切り干し大根とかを煮て、みんなで昼食を頂いていたら、ミツタケがもの凄い声で泣き出して、足の裏に縫い針が刺さったと言って、自分でその縫い針を抜いて持ってきました。見ると、3センチ位の長さの針の頭の方の1.5センチ位のところで折れていて、その先が見当たりません。みんなで懸命に探しましたが、見つからず、アキラがミツの足裏を押してみると、どうやら、残りの1.5センチは足の中にあるようです。大晦日の夕方ですし、何所の病院に行っていいかも分からず、途方に暮れていましたら、アキラが、メッサーを消毒してミツの足裏を切開するなどと、恐ろしいことを申します。そこで私は、迷うことなく幼稚園の先生・フラウ・マイヤーに電話で病院を聞きましたら、直ぐに、先生の息子さんが飛んできて下さり、救急病院に連れて行ってくれました。やれやれです。一緒に行ったアキラによりますと、レントゲンの結果、骨まで針が届いているけど、幸わい骨の中まで入っていないので、直ぐに麻酔をして切開することになったのですが、大量の血が噴き出して、針の在処が探れないので、遂に、足の内部を映すカメラを通して針の影を追いつつ、医者がモニターテレビを見ながら無事に針をとったそうです。アキラがメッサーで切開したら、どうなっていたことか、ぞっとします。その時アキラもかなり動転していたのです。そんなこんなで、みんなで年越しそばを食べたら、すっかり疲れてしまい、お電話するのを忘れてしまったのです。
夜中の12時に、子どもたちを起こして、ジルベスターの花火をご近所さんと楽しみました。ミツも針を抜いたら痛みもなくすっかり元気になり、お正月から飛び回っています。私の方は、お正月休みで気が緩み、時々寝込んだりしていますが、きっと怠け病で、朝、是非子どもたちを起こして学校に出さなくては、という意気込みがあると、リウマチの朝の痛みも何とか乗り越えられるようです。最近、ドイツでも全てが値上がりして、ますます生活は厳しくなり、その上、外国人に対する圧力が強くなり、日本人が寄ると、話題は一つ、滞在許可の問題です。外国に住むということは、自分の家ではなく、他所の家に住まわせてもらっているということ。日本にいた時には、思いもしなかったことが、だんだんと透けて見えてきて、様々なことを考えさせられます。ではまた。久子

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手紙(1980.12.8) おばあちゃんのお迎え

演出家の倉本聰さんが「昔は節約が善だった。靴下に穴があけばお袋が夜なべして繕ってくれた。その靴下にはお袋の愛情がこもっていた」と言われたのを新聞で読んで、そういえば、35年前ドイツに住み始めて、日本に帰るまでの私の夜なべ仕事は、3人の男の子たちの靴下の繕いだった、と懐かしく思い出した。当時ドイツは、衣料品がとても高く、品質も悪く、直ぐに穴があく男の子の靴下などは、買っていられなかった。寒く長いドイツの冬を越すには、しっかりとした靴と暖かい靴下は必需品だ。私も実家の母のまねをして、靴下の中に電球を突っ込んで、次から次と繕ったものだ。当て布が何枚も重ねた靴下を穿くと、足の裏がもぞもぞするらしい。でも、彼らはそのもぞもぞ感が結構気に入ったようで、たまに新品の靴下を穿くと「もぞもぞの方が暖かくていいよ」とまで言うようになった。「お袋の愛情」なんて、心温まるはなしではない。ただ、何枚も布が重なり、生地が厚くなったので暖かかったのだろう。

さて、クリスマスにおばあちゃんがStuttgartにやって来ることなり、国分寺で一緒に住んでいた大おばあちゃん・春子さん(当時94歳位)は、熱海の伯母さん(おばあちゃんのお姉さん)のところに行くことになったようです。当時は介護保険制度もなく、ましてやショートステイの施設などもなく、親の介護はもっぱら家族同士で協力して担っていた。

1890年12月8日(月)
30日付けの手紙を6日の土曜日に受け取りました。春子おばあちゃんが、無事に熱海に着かれたのを知って、本当に安心しました。暖かいところで冬を過ごされるのは何よりです。でも、国分寺でたった独りで、お母さんは淋しいでしょうね。国分寺の家は寒いし・・・灯油は、相変わらず生協から買えるのですか?くれぐれも火に気を付けて下さいね。それから、天使館で稽古する人たちも、冬の稽古場はとても冷たいので、もし必要なら、原田さんにお金をお渡しして、あたらしい耐震装置付きの安全なストーブを買うようにお願いして下さい。バーラーのストーブは、もう古く、芯がよくないし、匂いがしますから。稽古後、ストーブを消し忘れないように注意して下さい。さて、お母さんがドイツに着かれる17日のことですが、アキラは、オイリュトメイムの学期末公演に加えて、新年早々Stuttgartで小さな舞踏公演することになり、その準備で毎日稽古です。子どもたちは学校なので、お迎えは私が必ず行きますので安心して下さい。こちらを朝4時の汽車でフランクフルトに向います。待ち合わせの場所は、ルフトハンザ出発階のロビーの前です。子どもたちは、おばあちゃんの来るが待ち遠しくてたまりません。お向かいのフラウ・ベルガーにケーキの焼き方を教わっておきますね。こちらは、1週間降り続いた雪も、今日は明るい太陽の光のもとで、キラキラ輝いています。時折、空からハラハラと雪の結晶が舞い降りてきます。新聞、ラジオがないので人から聞くのみですが、零下の寒さのようです。夜になると、黒々とした森の上に、凍てついた夜空が広がり冬の星々が美しく煌めきます。ホワイト・クリスマスが楽しみです。どうぞ、お気を付けてお出掛け下さい。みんなで待っています。久子

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手紙(1980.12.2) コルマールからバーゼルへの旅

それにしても、今年(2016年)のお正月は、何と暖かなお正月だったことか!この一年、みんなの心も、このように温かでありますように。

1980.12.2 夜
今やっと、3人がベッドの中で、スヤスヤ寝たところです。今日の昼間は、ミツの友達のフィリップとトビアスが来て、一緒にハンバーグのランチ。午後はお向かいのクヌーツと森でそり遊び。一日が終わる頃はくたくたです。今日はとても冷たい日でした。11月の異常とも言える暖かな日々も、山崎さんと二人で旅行に出る28日の朝から、急に冷え込み、巨大な雪将軍の到来です。でも私たちは、コルマール、そしてバーゼルの2泊3日の旅に、山崎さんの車(通称ヤマザキクルマ)で出発しました。どこまでも続く雪原の中を、アウトバーンにのって、ひたすら南へ、南へと向い、コルマールのウンターリンデン美術館に着き、イーゼンハイムの祭壇画の前に座った時は、ふたりとも念願が叶って、唯々感激。言葉も交わさず、ただボォーとしてしまいました。11月の末の冷たい雪の日なので、冷えきった石の会堂には人気もなく、回廊をあるく私たちの足音だけが聞こえる、静かなひと時でした。(とにかく凄い! このキリスト磔刑図。子どもたちを家に残して、思いきって独り離れて出掛けてきて、本当によかった)その日は、アルザス地方の山間の村のホテルに一泊し、翌朝、次の目的地、ベックリンの「死の島」があるバーゼル美術館に向いました。バーゼルの街は、丁度クリスマス前のアドベントの第一週とあって、とても賑やかで、雪で真っ白になった旧い美しい町並みを歩いて楽しみました。ベックリンの「死の島」は、以前画集で見た時、なぜかとても魅かれた絵で、いつか本物を見たいと思っていたので、とても嬉しかったです。そして再び、アウトバーンにのってStuttgartへ。夜遅く全てが凍てついた中を、我が家に戻ると、子どもたちはもうスヤスヤ。お母さんからのお手紙が届いていました。ありがとう。
また書きます。取り急ぎご報告まで。 久子

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手紙(1980.11.21) クリスマスにおばあちゃんがやって来る!

早くも、今日はおおつごもり。日に日に時間の速度に付いて行けなくなる。それにしても何と明るく暖かな年の暮れだろうか。来年は、内も外も明るく暖かな年になりますように。

さて35年前のこと。10月25日にアキラが一時帰国しStuttgartの戻り、その年のクリスマスには、おばあちゃんが日本からやってくる事になった。
1980年11月21日(木曜日)
アキラの突然の帰国、短い間で慌ただしく、大変お世話さまでした。さて、今度はお母さん、12月17日の飛行機の正確な時間をお知らせ下さい。必ず、お迎えに行きます。クリスマスに欲しい物は、いろいろありますがあまり重くない程度に、おもち、ふじっ子、漬け物など。でも、おばあちゃんがこちらに来られる事が、子どもたちへの最大のプレゼントですから、ご無理のないように。チカシは「おばあちゃんが独りで来るのは大変だから、本なんかは、送ってくれればいいよね」と言っています。毛糸はこちらにありますし、編み棒も持っていますが、編み物の本が是非欲しいです。こちらは、11月初めは、とても寒い日がありましたが、ここ1週間は、暖かく、春のようで、少々不安です。また何時あの寒さがやってくるのか、と思うとです。チカシもレイジも元気に学校に通っています。レイジも来週からは、11時45分までになります。週3時間/ロシア語、2時間/英語、2時間/宗教、その他は、手芸、音楽です。ロシア語は全く分かりませんから、レイジが授業で聴いてきた言葉と動作を合わせて「それは、人形の事じゃない?」とか「取る、じゃない?」とかみんなで想像ごっこをして遊んでいます。「立て」のことは「スタイヨット」、英語の「stand up」にちょっと似ているね、などと、言ったりして。チカシのHaupt Unterricht(基本授業)は、ドイツ語文法で、とても難しく、チカシだけ別の老婦人の先生が、個人指導してくれます(レイジも15分、1対1で教わります)。日本人の友達も「よかったね!」と喜んでくれました。みんな私たちの子どもたちの事を、とても心配してくれています。ドイツに長くいらっしゃる柳さんの奥さんに話したら、「それはとても恵まれていて、人によっては、学校に馴染めず、遂に辞めさせたり、外人労働者の子どもたちだけと遊ぶので、ドイツ語を覚えられず、親子共々円形脱毛症になったりして、とても苦しんでいる方もいます」と言っておられました。チカシは、昨日から週一度、フラウ・ウールバッハにドイツ語の読み方を教えて頂く事になり、今、グリム童話を読んでいます。日本語の本も少しは読んで欲しいのですが、そちらは相変わらず「明日のジョー」に夢中。親も子も闘争の日々です。そこで、月末に山崎さんと二人でだけで、コルマールに行ってもいいという事になり、久しぶりに、子ども3人から離れられるので、バンザ〜イです。その様子はまた手紙に書きます。お元気で。久子

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手紙(1980.10.25)ヨーロッパでの初めての秋

1980年10月17日付けの手紙を読むと、その翌年のエルゼ・クリンク・オイリュトミーグルッペの日本公演ツアーの下準備のために、アキラが同月25日アエロフロートで2週間ほど帰国する事になり、その際にお母さんにお願いごとを書いている。今、読み返してみると、これが嫁が姑に書く手紙か、とあきれるばかりだ。
アキラに持ってきてもらいたい物のリスト
1、母子手帳(和ダンスの小引き出しの一番右)2、ケーキの型(上の戸棚、円型とマドレーヌの型)3、子どもたちのソックス(短いもの)4、あれば、ミツとレイジのズボン下 5、歯痛止め 6、アキラの冬のパジャマ 7、コンタクトレンズ(ハード)の保存液 8 あずき、上新粉、白玉粉 6、コンスターチ(子どもたちがお団子が食べたいというので)7 「明日のジョー」8巻 8、カレーのもと。
まるで、離れ小島に漂流した家族が援助を求めて書いた手紙のようだ。日本でこの要求を引き受け、用意するお母さんも、またそれをトランクにつめて運ぶアキラも容易でない事だったでしょう。もう35年前の事、今更気がついても、遅い。

そして、10月25日の早朝、日本に向うアキラを市電の駅まで送って後、
1980年10月25日(土曜日)
重く垂れ込んだ灰色の寒空の下で、木々の葉は、真っ黄色に色づき、その鮮明な色合いは、美しいというより、むしろ哀しいまでの透明感があります。暖かく紅葉を愛でる日本の秋とは、ほど遠く、静かで冷たく硬い空気に支配された秋。これがヨーロッパの秋なのか、と思います。人びとは、厚手のオーバを着て、黙々と自分のなすべき事を行ない、自然は、大いなる力でもって、厳しい冬に向って、容赦なく時を進めます。夏、賑やかにさえずっていた黒ツグミの姿も、今は見ることはありません。窓から遠く、色づいた木々を眺めていると、リルケやヘッセの詩が、自然に体に染み込んできます。子どもたちは外に出ると、寒くて、もかけっこをしたり、木登りしたり、すこぶる元気ですからご安心下さい。
さて、アキラの急の帰国、びっくりなさった事でしょう。帰国する前は、風邪を引いたり、出掛けたり、何のお土産も用意できずごめんなさい。それに引き換え先の手紙では、お願いごとばかり並べて、申し訳ございません。もし可能であれば、というつもりですから、決してご無理をなさらないように。
ところで、お母さんはいつ頃こちらにいらっしゃいますか?クリスマスの頃は、きっと寒いでしょうけど、全く異なった自然の中に身を置くというのも、いいものです。ミツの幼稚園は、12月22日までです。そのに以前いらっしゃれば、ミツの送り迎えの様子、またチカシとレイジの学校にも行けると思います。マーケットでは、もう、クリスマスのろうそくとか、美しい飾り物が出ています。
みんな、おばあちゃんが来てくれるのを楽しみに待っています。どうぞ実り多い日々をお過ごし下さい。お大切に。久子
追伸:アキラへ、チカシがシャープペンシルの芯を父さんに頼めばよかった、と言っておりました。

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