今年も、カサブランカが咲いた………

秘めやかな雨の梅雨日も、やがてくる夏の太陽が予感されて、昔は嫌いではなかった。荷風の「梅雨のあとさき」も、なぜか梅雨の頃になると題名に惹かれてか、読みたくなったりしたもんだが、昨今の日々は、押し付けられた静寂の下で、じっと我慢している自分がいる。先が明ける兆しが見えず………。

シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」を読む。
『代数』
………人間を自分の手でつくり出したものの奴隷とするにいたった罠を、確実な方法で明るみに引き出そうと努力すること。方法的な思考や行動の中に、いったいどこから無自覚なものが忍びこんで来たのだろうか。原始生活への逃避は、怠惰な解決法である。わたしたちが現に生きているこの文明のただ中で、精神と世界との原初的なつながりをふたたび発見しなければならない。……… わたしたちはみな、獄中で殺されるのを待ちながら、竪琴をひく練習をしていたソクラテスとよく似た境遇におかれてる………
ともかくも、よく生きたといえるように……… (田辺保訳)

まだ降り続いている雨の中で、気がつくと、伸び放題の雑草の合間から、数年前に植えたカサブランカが、今年も花をつけていた。初めは、純白で、もっと大輪だったのに、年を追うごとに花弁にうっすらとピンクを載せ、小振りになっていく

雑草の間の百合。さすがに強く、美しい!

雑草の間の百合。さすがに強く、美しい!

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バーバラからの手紙

外出規制が緩和されても、相変わらず、高齢者及び基礎疾患のある人は要注意。コロナに感染したら、重症化する恐れあり、という文言がどのニュースにも、見え隠れする。
高齢者+基礎疾患有り+身体障害者 の私は、さてどうしたものか。外側の日常と私の日常がだんだんと離れてくるなぁ……。
バーバラ・ベルガーから手紙が来る。40年来のドイツ人の親友。不思議なことに、私の心に、ふっとバーバラが過ぎると、数日後、彼女から電話がある。いつもそうだ、いつも。日本語が全くダメな彼女と片言のドイツ語の私とが、どうしてそんなに長話できるの?と周りのものが呆れるほど、私たちは握り締めた受話器を離さないで、長話?する。私の拙いドイツ語一言で、バーバラは私の言いたいことをドイツ語で的確に言ってくれる。地球の向こう側で、電話線を通して、私の内側をまっさらに受け取ってくれる。なんと爽やかなことだろう。
私たちは、シュットガルトのイゾルデ・クルツ通りで、たまたま五年間のお隣同士だったにすぎないのに……。あの頃、森を歩きながら、随分色々なことー愛について、男と女について、結婚について、教育について、信仰について、経済について、病気について、東洋と西洋について、人間について………などなどーを語り合った。今でも、その不思議な時間が、生き生きと蘇る。気がつくと、遠く離れているバーバラと地下水でいつも繋がっている。
今回の手紙も、バーバラはコロナの日々をどうしているかなぁ〜と思い描いていたら、届いた。もう、会えないかもしれない。寂しいなぁ、でも、寂しくはない。

バーバラの文字を読むのも難しい。暫く眺めていると、霧が晴れていくように、意味が透けて見えてくる

バーバラの文字を読むのも難しい。暫く眺めていると、霧が晴れていくように、意味が透けて見えてくる

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私は、歌舞伎町が好きだ!

またもや、梅雨前線の猛威で各地で多くの被害が出ている。九州に住むクララちゃん、カワバタさん、エハラさん、ムラカミさん、ミレイさん………みんなご無事かな? ご無事でありますように、とお祈りするしかないのだが……。

毎日毎日、夜の町歌舞伎町がニュースにのぼる。歌舞伎町は私の育った町。私は、小学1年生からアキラと結婚するまで新宿区役所通りに住んでいた。今から70年前のことだ。家族と一緒に住み始めた頃、今の区役所はなく、コマ劇場もなく、鬼王神社から大久保小学校につづく一本道は、ジャリ道で、途中に伊勢丹の倉庫があっり、あちこちに雑草だらけの空き地があったように記憶している。夏になると、風鈴やさん、キャンディーやさん、金魚やさんが、天秤棒を担いで大声で「キンギョォー、キンギョ。キンギョォー、キンギョ」などと叫びながら通っていく。
やがて、コマ劇場ができると、その周辺の映画館が、我が大久保小の夏休みの映画鑑賞会会場になった。前夜の繁華街の熱気がようやく鎮まり、まだ町全体が深い眠りに沈んでいる真夏の早朝、私はワクワクして、爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、映画館に急いだ。
「ダンボ」「白雪姫と七人の小人」「シンデレラ姫」「砂漠は生きている」「野ばら/ウィーン少年合唱団」……。夢のような不思議な世界!楽しかったな。今でも思い出すと、そのワクワク感が体の中に蘇る。歌舞伎町には、八百屋のヤエコちゃん、料亭のケイコチャン、お勤めのナミちゃん、学者のフクハラくん、中国人のラさん、美容師のヤマノくん………ありとあらゆる職業の、お金持ちの家の子も、貧しい家の子も、みんなごちゃ混ぜになって住んでいて、一緒に遊んだ。親たちは、町の戦後復興に夢中で、子どもたちのことに構っていられない。青線地帯、売春婦、パンパン・ガールとGI、シスターボーイ、ヤクザの親分とおかみさん、警察、花園神社のお酉さま、バナナのたたき売り………哀しくも、懐かしい思い出。
朝まだき、区役所通りに斜めに差す淡い透明な光を背にうけて、私は、仙川の女学校に六年間通った。
人間の、あまりにも人間臭い町/私を育ててくれた町。私は、歌舞伎町が好きだ❣️

文学座のアトリエ公演に通ったりして、ちょっと気取った女学生。

文学座のアトリエ公演に通ったりして、ちょっと気取った女学生。

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純粋であること

昨夜、天使館で鈴木ユキオくんのダンスを観た。夜、夢で「純粋であること」という声を聞いたような気がした。ユキオくんのダンスと関係があるのかないのか分からないけど…………。
天使館という白いキャンバスの上に、ダンサーは、B5の鉛筆でひたすら線を描いていた。意図を消し、解釈せず、薄暗い闇の中で、ただひたすら………。

今日、梅雨前線の大雨で、九州地方の人々が、コロナ禍の上、またしても大きな被害を受けている。どう考えても、心が重い。

久しぶりに、リウマチの整形外科の主治医の診察を受けた。人工関節を入れた右膝はバッチリ。左膝はグラグラ。崩壊するのは時間の問題、と主治医は言う。
さてどうするか?with コロナの新しい生活様式をどう生きていけるだろう。帰り、車のフロントガラスを叩きつける雨の音を耳にしながら、うつらうつらしていると、目の前に前夜のユキオくんのダンスがあらわれた。
意図せず、解釈せず、ただひたすら………純粋であること。

心のなかで、何時もそうありたいと願ってはいるものの………

    二つの牧草地に………

  二つの牧草地にはさまれて
  どこへも通じていない道、
  まるで、じょうずにその目標から
  そらされてでもいるように。
  しばしば自分の前に
  純粋な空間と
  季節よりほか
  何も持たない道。
        R.M.リルケ「フランス語の詩」より 高安国世訳

   
   
           

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eine Tüte Bitte‼️

今日からレジ袋が有料になるそうだ。もう久しくスーパーへ買い物に行っていないなぁ!コロナで外出自粛ではなく、もっと以前から、私の外出自粛は始まり………あぁ、ゆっくり一人で、好きな菓子とか果物とか探したいな、などと時々思ったりするのだけど………。
40年前、家族でドイツに移り住み、初めて近所のスーパーに食料品を買いに出かける時、アキラに「レジのおばさんに、グリュス ゴット(Glüß Gott )アイネ テュテ ビィッテ( eine Tüte bitte)とニコッと笑いかけ、最後に、チュス(Tschüß)と言えば、完璧、大丈夫」と言われた。ほんとかな? と思ったが、先ずは、10、6、5歳の男の子たちの胃袋を満足させなければ、とアキラが教えてくれた三つの言葉を口の中でモグモグ唱えながら、スーパーに向かったのを懐かしく思い出した。
Tüteはレジ袋。その当時から、ドイツではレジ袋が有料だったのだ。レジ袋をお願いするとレシートの一番下に〇〇ペニッヒと、ちゃんと記載されているのを後で知った。
Grüß got は、南ドイツ、オーストリアでの 「こんにちは(Guten Tag)」。私がベルリンでグリュス ゴットと挨拶したら、ベルリーナたちは「ヒサコがグリュス ゴットと言った❣️」とおお笑い。みんなにハグされた。北ドイツでは言わないそうだ。古臭く大袈裟な言い方なのだろう。でも、素敵な響きで私は好き。笑われても構うものか、今でもドイツ人に会うと「Glüß got!」が出てきてしまう。
    
  「ウィーン、旧市街の小路にて」  長田弘
  …………………………
 
  グリュス・ゴット!
  挨拶のなかに神さまのいる街
  小広場のカフェで、メランジュを啜る。
  刻がくると、塔の鐘の音が、
  波紋のように、夕空にひろがった。
  鐘の音は、天翔ける
  ウィーンの死者たちの足音だった。

  

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6月から7月へ

あぁ、6月もあとI日。7月になると、子どもたちは、あと半月もすればやってくる夏休みを、毎日毎日楽しみに待っている。少なくとも私の子どもの頃は、そうだった。
夏休みといえば、海水浴、山登り、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家にお泊まり、花火大会、鎮守の森の夏祭り………。懐かしく、楽しかった思い出が目に浮かぶ。どれもこれも、濃厚接触、三密有りで、コロナ時代の夏休みスタイルにはそぐわないだろうなぁ〜などと思いながら、梅雨の晴れ間の洗濯干しをしていると、雑草の間から、チョロチョロと可愛い蜥蜴が2匹、干場のコンクリの上を横切った。親子だ!上を見ると、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。道路でお向かいの子供たちがボール遊びをしている。あかるい笑い声が聞こえて来る。
中庭から、ナオカさんが「ひと口一緒に食べませんか?」と、大きなお盆にざる蕎麦と卵焼きを載せて持ってきた。梅雨の晴れ間の昼下がり、思い煩うことはない。

   わたしは動物の………

  わたしは動物の目のなかに
  永続する穏やかな生を見た。
  冷静な自然の
  公平無私の静かさを。

  動物も恐れを知らぬのではない。
  けれども彼らはすぐ前に進み、
  その充溢の野の上で
  他処の味のしない
  現前を草はむ。
        R.M.リルケ <フランス語の詩>より 高安国世訳

梅雨の晴れ間………もうすぐ 夏がやって来る。

梅雨の晴れ間………もうすぐ 夏がやって来る。

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