天使館ダンス現在『展示するカラダ』構成・演出・振付 笠井瑞丈 

天使館  ダンス現在  「展示するカラダ」  
構成・演出・振付    笠井瑞丈
2011年4月11日・13日14日

笠井瑞丈が西洋古典音楽の最高峰のひとつと言われるJ・S・バッハの「フーガの技法」に挑んだ。
ピアノ演奏は高橋悠治。用いられた譜は「未完成の草稿譜」ではなく、1986年に初めて出版されたバッハの自筆譜そのものである。高橋悠治によれば、この譜は初めの主題が単純な対位法によるものから、リズム的にも音楽的にもだんだんと複雑さを増していくように配列されている。
 フーガはソナタ形式のように、一つの主題を様々な音楽形式によって構成されるものとは異なり、多様な多声的音楽によって展開される技法である。人間の運命になぞらえて言うならば、ソナタ形式が人間には、はかり知ることのできない出会いや出来事によって作り出される起承転結に貫かれているとするならば、フーガ形式は偶然によって生じる運命ではなく、運命そのものに働きかけている天界法則に導かれているといえる。人間の恣意的思いをすべて吸収し尽くして、螺旋階段を上っていくバロック建築のようである。
 笠井瑞丈が40代を過ぎてから、どのように、この厳格な法則に導かれるバッハの音楽に、内的な出会があったかは、はかり知れないものがあるが、彼の祖母が在野のバッハ研究家であり、パイプオルガ二ストであったことと無関係ではないだろう。
 今回踊ったダンサーは小暮香帆、青沼沙季、志築瑞希、宮脇有紀。この四名の女性ダンサーの構成はソプラノ、テノール、バリトン、バスの四部構成からなる曲とあわせて、天使館 内部の四つの白い壁面に「動く銅版画」のような効果をもたらした。衣装は簡素な稽古着にちかく、手足の素肌を晒しながら、動きの速度に関わりなく、常にやわらかい空気感を周囲に流し続けた。
 音楽がダンスのためのパックミュージックであるという要素を完全に排しながら、振付に至るまでに細部にわたって、かなりこの16曲を聴くき込んだのであろう、曲と振付の関わりが、それぞれ親和したり反撥しあいながら、直接、最終曲に流れ込むのではなく、複線的な要素が随所に編み込まれていて、厚みのある仕上がりであった。
 始まりはこうである。
 観客はのんびり、折り込みチラシなどを見ながら、これから始まるだろうと思っていると、突然、やや緊張気味の4人がスタスタと4方に分かれて入り込み、数少ない客席の椅子にそれぞれ座る。何人かは、頭をうつ伏せ気味にしている。この入り込みは、観客も自分が一瞬ダンサーになったような錯覚で身が引きしまる。最初に上手中央に立ったのは香帆。それに合わせて下手寄りの中央に仰向けに床に横たわったのは 有紀。次にそれを挟むように左右から沙季と瑞希が立つ。「ラミドラソ#」の主題が、目に見えない時間の流れの中に撃ち込まれる。第1曲の三分弱の間、ダンサーはほとんど動かない。その分、見ている側のカラダは停止するというよりも、ゆっくりとした音の波に乗せられる。観客のカラダの中をゆっくりと波打っているこの第1曲の気分が、それに続く全15曲を展開するダンスの床の役割を果たす。作品を見るフレームとして、始めに与えられるのは、「動き」ではなく、音楽そのものである。よく言われることであるが、バッハは前半生、職人的なプロの作曲家意識というよりも、自分を無にして神から与えられる音をただひたすら受け取る側に徹していた。それらの音を、音楽愛好家や観客のために作曲したのではなく、「教会」という「神の家」の中に響かせるにふさわしい音として捧げた。音楽をコンサート形式として、はっきり意識し始めたのは、様々な『受難曲』以降であるといわれる。そのような意味で言うと「フーガの技法」は、その名の通り、恩寵的音とは対極の「技法」「マニエラ」に徹したものである。一時間にも満たない長さの曲であるにもかかわらず、なんと、バッハは10年をかけているのである。バッハはその時、まるで音楽建築家のようである。しかも、未完で終わった。それはシューベルトの『未完成』のような曲が持つ「未完成さ」とは全く異なっている。「神とは職人である」というコトバは全くこの時期のバッハにふさわしい。振付はその第1曲をほとんど動かないことによって、音と動きを両極に分断することから始めた。このバッハの超職人的な音が現れるのは、第1曲に対して「鏡像的な単純対位法」として現れる第2曲目である。一目曲の上向する音の流れによって創られる「天上性」が、ここで鏡に映されて下降する「地上性」に変わる。香帆は一切の感情的起伏をあらわすことなく、「激しい冷たさ」でソロとして、この第2曲を動ききる。以前よりもさらに体が削ぎおとされ、とりわけ右脚の動きは筋肉をまったく感じさせない「音の結晶体」であった。彼女はこれまで様々の笠井瑞丈の振付を踊ることによって、ダンスのために造るれたカラダという以上に、音楽を受容するにふさわしいカラダを造りあげてきた。この第2曲目のソロは、彼女の運動筋肉ではなくて音楽筋肉によって、踊られたものである。第三曲目は有紀と沙季のデュエット。はぎれのいいテンポと自分独自の空間性をそれぞれ保ちながら、全体に統一感のある動きを作り出している。二人のカラダ若々しく、未成熟である。対して、音は成熟を突き抜けて、完全性を備えた1点非の打ち所のない音楽法則の結晶体である。この2人のカラダが鉱物のような音楽壁面に体当たりしては崩れるさという光景は、ダンスの真骨頂である。いつまでも、見続けていたい。
 第4曲目は上手側に有紀,瑞希が立ち、下手に沙季が立ち、緩やかな曲線を描きつつ、動きと音が離反したり融合したりする。この3人を見ていると、個人的には「三姉妹」を思い出した。この「フーガの技法」をバッハと同じくヨーロッパ系の、あるいはドイツ系の3姉妹が踊るとするれば、どことなく不釣り合いなものが生じる。ヨーロッパのダンサーであるならば、個体主義的なダンサーがいい。それに対して日本人の3姉妹が一体となって「フーガの技法」に向かっている姿は、それを通して新しい日本人のカラダが見えてくるような気がした。何なのであろうがこれは・・・。ダンスが人間のカラダの完全性を求めているとするならば、ヨーロッパ系のカラダの完全性は、個体主義的なものの中にあるのに対して、日本人のカラダの完成形というのは、全体主義的なものの内にあるのかもしれない。とはいえ、この3姉妹の中の1人の瑞希が、一瞬の短いソロ的動きとして、上手から下手に観客に背を向けて動いた瞬間、私はこの4人の中では一番、瑞希が個体主義ダンサーの資質を持っているのではないか、という気がした。彼女はその瞬間に激変したからである。いずれにせよ、「フーガの技法」という恐るべき曲は、踊ってる人間の細部までをも映しとる鏡である。第五曲はテンポの早い二重対位法で構成されたもの。おそらく笠井瑞丈はこの曲に相当の思い入れを持っていたのではないか。四方から四人のダンサーが回転しながら入りこんでは散ってゆく構成で、動きが曲を引っ張ってゆく感じが見事であった。振付の完成度も高く、フーガが開花したように思えたのであるが、その一端は、曲冒頭のオクターブのインターヴァルの持つ感覚を振付の中に取り組んでいたからである。まったく無いわけではないが、曲の冒頭にオクターブのインターヴァルを持ってくる曲は珍しい。なぜなら、しばしばオクターブのインターバルは音楽や曲の「完全性の達成」をもたらすものであるから、冒頭にオクターブ音程を持ってくると、作曲する意味がそがれてしまう恐れがある。振付者はこの「完全性の達成」を振付の中で先取りしていた。振付者はこの曲をどう振付るかによって、曲全体の振付が決定するほどに、重要に感じていた。カラダを軸回転させる振りとオクターブの音程が結びついて曲が終わるよりもはるかに前に、ダンサーたちをゴチック建築の一番上の尖塔に立たせせていたのである。その思いが見てる側に非常によく伝わってきた。
 それに対比するかのように、第6曲は香帆と有紀のゆったりしたデュエット。二人は結びつきを持たずに自立した空間と唯我のうちにたゆたいながら、見ている側が二人を、自由に結びつけることのできる楽しみがあった。それは有紀が動きの主張をはっきる持っているダンサーであるのに対し、香帆は動きに主張を入れないダンサーだからである。第7曲最後の、瑞希と沙季のデュエットは、反対に二人でありながら一人の動きのように思えた。
8曲目は沙季のソロ。「動く」と同時に、自分と対話している感じがひしひしと伝わってくる。彼女は自分の動きを「他者の動き」のように感じとりながら、自分の心の空間にその動きを招き入れて、対話し続ける。もし、それが歌であるならば、あたかも自分を慰めるために歌っている歌手のようでもあるが、そこはダンスと歌の違いであろう、沙季の内部でのダンス的対話は、自分を慰めるのではなく、観ている側の人間を慰めてくれる力がある。
 どの曲に対しても、4人のダンサーはつねに新しい感覚で向かっていく。それは振付の力だけではなく、本質的に「フーガの技法」という曲の特性にも拠るのではないだろか。共通の一つの主題を、東西南北春夏秋冬のなかの、まったく異なた光の中で、予想もしえない輝きを放出する。そして4人のダンサーがその中に全身で入っていくというダイナミズムに溢れていた。時間の経過を感じさせぬままに、15曲、16曲の鏡像フーガに移行していく。ブルーの光の中の上手に向かう、ゆっくりとしたユニゾン的動きから、鏡の中に新しい実存を全身でつかもうとするうっすらした全16本の手足が、桜の散ってしまった国分寺周辺の闇の中に開花するかのごとくに、広がっていった。
それにしても、高橋悠治は昨年の12月の末、笠井叡のために二晩にわたって天使館において即興演奏を行った、音として響いているわけではないが、この「展示するカラダ」においておいても、高橋悠治の気配は実に濃厚であった。
                      2011年4月11日、13日所見      笠井叡

comment(0 )

ページのトップへ戻る

鈴木ユキオsolo incomplete live評2 笠井 叡

                 ダンス現在
        鈴木ユキオsolo  incomplete live 2020.7.5 天使館
               『不完全なライブ』

ソロダンスにおける流れの中の新しい展開は、しばしば見てる側にとっても、ダンサーにとっても予期せぬ形で生じる。たとえそれが構成上、その展開がもともと決まっていたものであろうと、決められた道を歩いていても、上から「落下物」が落ちるときは、落ちるのである。ライブが半分以上も経過した後に、鈴木ユキオは観客から見て左側面の鏡面にかかっている白いカーテンを、奥の方から数枚取り外した。多分これは、半ば予定していたことであったろう。しかし、その鏡面に何が落下してくるかは、誰にも決められない。何も落下してこなければ、いわゆる「予定調和」ということになる。落下してくるならば、鈴木ユキオの動きはたった1人で行っていながら、もう1人の未知の参加者がいるということになるだろうか。これはたとえダンスにおいて、鏡面の扱いを、たとえば「鏡の間」における能楽師のように、120%知り尽くしたダンサーと、鏡は鏡像を作り出すという、単純な光学現象で用いられるダンスとでは、その展開に大きな違いが生じうる。しかし、このことはダンスにおいて、鏡面の扱いを知っているという事が、必ずしも創造的に働くわけでもなく、また。鏡面を光学上の出来事としてのみ取り扱っているダンスにおいて、予期せぬ落下物が落ちてくる場合もありうる。

 
その時の、筆者の単純な印象からいうならば、これまでダンスにおいていろいろな鏡面を見てきたと思うが、これほど鮮やかで、新鮮で、驚きに満ちた鏡面とダンスの関係は初めてである。なぜこんなことが生じたのかといえば、鈴木ユキオが鏡面の扱いを、一切考慮していないからである。彼は鏡の光学現象を計算に入れてダンス したのであろうか。それとも、鏡とダンスの関係は観る側に自由に任せておいて、その全体の場の流れをカラダの中にただ、取り込もうとしたのであろうか。多分、そのいずれでもない。しかし、ここで生じたことは舞踊の本質に関わる、ある出来事である。なぜなら、人類に鏡が生じなければ、ダンスが生じなかったからである。ここが動物体と人体の一つの決定的な差である。どんな素晴らしい動きを行う動物、鳥であろうと、魚であろうと、はたまた象や犀や蝙蝠であろうと、動物体の動きはダンスとは言えない。ダンスは鏡を通して始まり、誕生したからである。動物に鏡の概念がないのは、動物は自分の姿を鏡に写しても、それに対して何の関心も示さない。あのライブにおける鏡面とダンサーとの間に生じたことは、彼のダンスの本質、或いはその出自、或いは未来の地平を暗示するものであるかもしれない。 

一体、何がその時生じたのか。これをコトバで説明するのは、むつかしい。幼児といえども鏡の前に立つならば、鏡に取り込まれる。途端に鏡を遊び道具の対象にしたり、写ること自体に単純に喜びを感じたりである。 しかし、その幼児が鏡に対する意識を、半分だけ削ぎ落したとするならば、そしてその外にある鏡面を幼児が体の中に沈めることができたとするならば、あのライブの中で生じた鏡シーンが再現されるかもしれない。 

キリスト教の異端の一つであるグノーシス派のポイマンドレ―ス神話においては、人間は宇宙内の存在ではなくて、宇宙外からやってきたものらしい。そして、宇宙の外側から天蓋を打ち破って、宇宙内部に入ろうとすると、そこに暗い水の表に映る自分の姿を初めて見るのである。不思議なことに。宇宙外からやってきたポイマンドレ―スは、まだ自分のカラダすなわち体を持っていない。覗き込んで水の鏡に映った時、自分の姿はを見て初めて、カラダが誕生する。つまり体が先にあってそこに鏡像が生まれるのではなく、その逆である。鏡像を見ることによって、カラダが誕生するのである。そしてポイマンドレ―スはその鏡像に、すなわち自分の姿に恋をすることによって、鏡像が実体になる。別の言い方をするならば、これがダンスの誕生である、と言っていいのではないだろうか。ダンスがダンスの根元に立ち帰ろうとする時には、常にこの鏡像が実像になるという過程をたどるのであろう。そしてこのことが、「創造することの本質」と結びついている。人体も宇宙も自然界もすべて、鏡像が実像になることによって創造されるのであろう。鈴木ユキオというダンサーが鏡面にかかっている、白い布を外して、再び鏡像から離れて建物の中心部に移動して、鏡の方に体を倒した時に、それまで外にあった下手側の鏡面が、私は錯覚かもしれないが、鈴木ユキオの体の中に転移したように見えた。無論それは彼が意図したことではない。しかし私の視線の中で、鏡像と実像が結びついたのである。それが錯覚であろうと、一つのリアリティを持って、そのように感じられた。そして、そのことによってそれまでの弓に矢を接ぐことなく、振動し続けた弓糸の持続した流れの中に、それまでとは、明らかに異なった要素が入り込んだのである。上から石が落下してきたのである。私は何か、それを見ていて、救われたような気分になった。それまで鈴木ユキオは天使館の内部にしか存在しなかったが、その時ポイマンドレ―スとは逆の、天使館の壁を打ち破って外の世界に飛び出たような気がした。それとともに、これまでの鋭い鉱物的爆発を続ける花火が、あたかも映像を見ているかのごとく、やわらかい線に変わり始めた。

ダンスはスポーツではない。直接的な目標に駆り立てられて生じる動きではない。的を射る必要もない。だからといって、すべての目的を有しない純粋運動であり続けることも不可である。なぜなら、純粋運動を持続すること自体は、すでに目的の中に組み込まれてしまうからである。このことを鈴木ユキオよく知悉していると思う。そしてしばしばその二律背反の中で、動きは時に苦悩に変わる。それらのカテゴリーをすべて誠実にたどっている、彼のダンスの態度が実にはっきりと見えたライブであった。室伏鴻とこのことを比較して考えてみるのは、酷なことかもしれない。しかし常に言葉に対して、否、nonをつきつけ続けた室伏鴻である。あえて言わせてもらえば、室伏の真骨頂は、「生きたままの死体」「生きたままの木乃伊」であって、鏡像ではない。室伏鴻はあくまで物体と重さに、そして重力にこだわり続けた。それは鈴木ユキオにおいても同じであろう。しかし今回のライブを見る限りにおいて、鏡面シーンにおいて、彼は明らかに重力そのものから、カラダを抜いたように見えた。そしてこの事を、観客として見る限りにおいて、彼は全く室伏鴻とは異なった道を、歩み始めたのである。

comment(0 )

ページのトップへ戻る

鈴木ユキオ solo 『incomplete live』評1 笠井 叡

  ダンス現在 in Tenshikan  2020年 7月5日(日曜日) 19:30~20:30

鈴木ユキオのダンス的光景に初めて出会ったのは、2015年8月5日、草月ホールで催された「室伏鴻のお別れの会」の時であった。その時、彼も含めて3人の男性ダンサーが追悼として室伏鴻にダンスを捧げた。鉄と氷の原野に立つ三つの黑いオベリスクが、猛烈な勢いで時間を先取りしながら、大地の上に倒壊するまでの時間、舞台上で立ち尽した。その不動の凝縮した時間は、ダンス行為に特有のものであるというよりも、この世に存在するもののすべての根源の中に流れている虚無そのものである。室伏鴻はカラダとコトバの出会いの中で、常にコトバに対して、NON,NEIN,否を投げかけ続け続けたダンサーである。生命の根元においてコトバとカラダが本質的に一つであり、融合しているものであるという前提に立ってダンスを作ることを拒絶し続けた。それがダンスにとって、普遍的な方法論であるからそうしたのではなく、ダンスの一瞬一瞬のフォルムと形態が、この融合を拒絶している証しであり続けようとしたからである。

師の室伏鴻と鈴木ユキオを結ぶ核は、このコトバとカラダの融合を拒絶する意志においてであるかもしれない。と同時に、彼は室伏鴻が突然の「死」によってやり残した、或いは、開示しようとしたところの領域にまなざしを向けているのかもしれない。それは今回、天使館というスペースで行われた『ダンス現在』において、彼のダンスに立ち会った時の最初の印象である。それは、室伏鴻と共有された部分と、もはや共有されえない、鈴木ユキオ自身のカラダの中から出てくるものの相違である。
天使館は縦5メートル、横7メートルほどの長方形の空間であり、その5m のところは高さ2メートル弱の鏡面である。普段はその鏡面は開いているが、このパフォーマンスにおいては、前半部、白い布で覆われ、天使館の全壁面の漆喰の白と共に、全体が白の空間である。床面は生の桜の木。15名ほどに限定された観客は、横の7メートル幅の面のところに間隔を持って座る。観客から見ると左側が鏡面の壁で、右側には、小型のグランドピアノが置かれ、コロナのために部屋はクーラーを効かせ冷え冷えとしている。ほとんど暗転状態の中を上手より入り込み、正面の7m 壁面の中央に板付く。ダンサーは透明の生灯りに、うっすらと照らし出される。

右手、左手、脚、足、首の、鋭い輪郭を持った動きが、断続的にカラダから放射される。足の爪先が下方空間を突いた瞬間に、それは後方に引き戻され、その途中で、引き戻された足を中心に180度向きを変え、途中で素早く二つの肘が別々の方向に向けて、空間を撃つ、と同時に体がふっと浮かびあがって、1メートル先に滑るように無音で着地する。右膝が空間を下方より突き、下すと同時に左足が左の空間の中に切り込む込むように蹴り上げられ、その脚を下ろすと、全身、天に打ち込まれる荒々しい釘のように垂直に伸び、そのまま緩やかな雷光のように全身が二重,三重鋭く曲げられ、床にしゃがみ込んで、瞬時、凍結する,,,

これは私の印象記であって、個々の動きの正確さは、全く問題にしていない。ただそのように私のカラダの中で、ダンサーの動きが現在も動き続けている。空に打ち上げられる花火が、薄明かりの天使館の中に突然、打ち上げられたかのようである。鈴木ユキオの体全体が、等身大の止むことのない、時間を消去した凍結した花火を、銅版画のような空間の中に刻み続ける。それらの動きは時間とともに、強さを増してゆくように見える。私の眼といえば、もうすでに左眼は加齢黄斑症のため、ほとんど見えず、節穴から世界を右目でのぞきこむように、ダンサーの動きを追っているに過ぎない。だから目に見えるものは、大ざっぱな輪郭以上のものではない。にもかかわらず、私の心臓はその動きの鋭さにことごとく反応する。彼の顔と目の表情をもっと正確に見たいと思う。その時には、眼を細め、視力を5倍ほど強め、その一点に力を込めると、一瞬、彼のまばたきと黒目、白目の動きが私の網膜に焼きつけられる。彼は目を見開いていた。ほとんどが白目で、わずかに上瞼のところに半分黒目が見えている。その表情は土俵際で力士が最後の力を振りしぼる瞬間に似ている。相撲であるならば、それは短時間のうちに終わる。勝ち負けがない、勝負事でもないダンサーの顔の表情は、外には向いていない。そのダンサーの眼の動きは、全身の動きをのみ込むようなブラックホールである。

それにしても、一体彼はなぜ、あの1時間動を動き続けたのであろうか。あの『不完全なライブ』で現れ出た運動の中には、何かを成し遂げるという目的が込められていたのであろうか。農夫が田を耕すのは、そこに野菜や果物や穀物が育つという、収穫とひとつに結びついているはずである。あの1時間の動きが一体どのような収穫への思いを込めて、動かれたのであろうか。それとも、あのソロダンスの動きは収穫を求めない、単なる純粋運動の連続なのであろうか。

10人の人間が同時に一つの的に向かって弓を絞って矢を放つ。当たる矢もあれば当たらない矢もある。しかしそこで共通しているのは「弓糸をはじくという行為」であり、そのことによって、一つの的に矢を打ち込むという結果である。もし、この10人の人間が弓に矢をつがずに、弓糸を引いて、ただ弾いただけであるなら、そこに八つの振動が、妙な八つの音による「不協和音的なメロディ」を生み出すだけである。人を殺害する弓も、矢をつがなければ、音楽を生み出す一つの契機ともなる。鈴木ユキオは矢をつぐことを断念した弓糸による振動体験だけを求めたのであろうか。あるいは最終的には、そこに矢をつぐうとしているのであろうか。彼の1時間の動きは、そこに弓矢をつぐるなら、十分に何者かを殺害するだけの凶器ともなりうる。弓に矢をつかずに、はじく行為そのものの中に何者かを発見しようとしているのであろうか。
ダンスという純粋運動に、ある種の物語性をまぶしたり、或いは音楽体験をまぶせたり、或いは感情の表出と結びつけたりするならば、ダンスは身体の振動という弓に、矢をつぐことになるであろう。

弓に矢を継がない、純粋な振動を体験としての身体とは、一体何なのであろうか。私見によれば、土方巽というダンサーが生涯の半分を賭けたのは、弓であるならば振動をする弓の「糸そのもの」を切断し、もはや一切の存在性から、振動性を抜きとる行為であったと思う。なぜそうしたかといえば、ダンスをダンス以前のところから始めるには、無為の根源から始めなければならなかったからであろう。しかし、土方巽がそれを試みたのは『肉体を反乱』という彼のソロ公演までのことだとである。このことはしかし、土方巽を師と仰ぐ室伏鴻においては、どうだったのであろうか。ある意味で室伏鴻は土方巽以上に、土方巽たらんと、意志したダンサーである。土方巽はタンゴ、ルンバ、サンバを踊るならば、それをものの見事にやってのける。ショパン踊るならばショパンの音楽の本質を的確に掴むダンサーである。しかし室伏鴻が土方巽に見たのは、弓糸を切ることによって、ダンス以前のダンスの、一切の音楽性を排除した鉱物質なオブジェ的身体であった。晩年、室伏はば磨き上げられたアルミ板とデュエットを繰り返し行った。しかし鈴木ユキオはその切れた弓糸を、自分の手で結び直した。なぜそうしたのか。室伏鴻の身体の中に存在した、振動という可能態を一つの事実体に変えることによって新しいダンスの地平を開こうとしているのではないのだろうか。

四足の猿人から、直立の二本脚て歩く類人猿に移行するまでに、例えば、アウストラロピテクスは4千5百万年の時を、生きた、いわばタンスし続けた。この「直立に立つ」という一つの「振付」を完成させるために、4千5百万年をかけたのだ。これほど貴重なことがあろうか。弓から矢を外した身体から生まれるものが、そこにある。なぜなら、それによってホモサピエンスは地上に新しい生を見いだすことができたからである。アウストラロピテクスの四千五百万年がなければ、現在のホモサピエンスは存在し得ない。ホモサピエンスはこれから。4千5百万年かけて、もう一つの「振付」を完成させなければならないのである。鈴木ユキオの『不完全なライブ』とは、その一つの先駆けである。

comment(0 )

ページのトップへ戻る

コロナの時代からの労働とダンス 2  笠井叡

コロナの時代からの労働とダンス 2

無題

すべて事の発端は、2020年3月26日から始まったKAAT、神奈川芸術劇場の大ホールで催された、笠井叡『DUO の會』である。この公演は笠井叡が大野一雄氏と1963年の春に出会い、以来、大野一雄氏が他界されるまでの間に行われた三つのDEO作品、57年前の1963年に朝日講堂で催された『犠儀』、1972年青年座で行われた『丘の麓』、2002年に行われた『病める舞姫』、そしてこの三作品に、新作「笠井叡の大野一雄』を加えて、全部で4部構成の作品として、上演された。珍しい企画なので、公演前から、評判も高く、歴史的な作品になるのでは、と期待された作品である。

そして、3月半ば頃から、急激に世界の状況が一変した。コロナウイルス感染症の世界的な大流行である。次ぎ次に、大きな企画や劇場公演、様々な集会等が中止となり、この公演もそのような雰囲気の中で、何とか上演まではこぎつけることができた。プレビューは3月25日、評論家、新聞社関係等には、密接空間を避けて上演され、3月26日、日27日の2日間は客席をかなりゆったりと間を取って、少人数の観客で上演された。しかし28日29日の週末の公演は、奈川県の方からの公演中止要請を、関係者全員との話し合いで受け入れ、中止を決定した。

この公演は笠井叡個人にとってみると、三つの点でこれまでの公演とは大きく異なっている。第1は、そもそも笠井叡は1963年に大野一雄氏と出会ったことが、舞踊家として生きる決定的な出来事であり、今回は、大野一雄氏とのそういう出会いの大団円としての公演という意味がある。おそらく大野一雄氏との出会いなくして、笠井叡の現在はないと言っても過言ではない。
そして、第2は、公演中止という出来事である。コロナ感染拡大という歴史的な出来事の中で、ダンス公演を行うということの意味を徹底的に考えさせられた、ということである。
そして第3は上演中止によって生じる経済的な負担を解消するために、「クラウドファウンディング」と方法とったことである。この三つのことはそれぞれ異なった局面における出来事であり、バラバラに生じたことではあるけれども、この三つは、一つの出来事の三つの側面でもありうる。それは、「舞踊」ということと「」舞踊という職業」とそしてそれに伴う「経済的な事柄」の三つである。コロナ感染拡大という外的な出来事によって、今回この三つの出来事の本質な意味の前に立たされたのである。

これは笠井叡の個人的なことではなく、社会全体として、それまで行われてきた事業やレストラン営業やパチンコ店や映画館や大きな公演、音楽会、演劇やありとあらゆるものが一挙にその影響を受けて、必然的に自粛に追い込まれ、それまでの事業方法が根底から成り立たなくなった。集団作業が一旦中断されて、ホームワークのような個人的な作業に戻された。舞踊で言えば、それまでカンパニーやあるグループで行われていた事柄が、一挙に寸断されて、その繋がりを作るものはカラダによる直接的なもおのではなくて、次第次第にオンライン化の方向に行かざるを得なくなり、改めて職業とは一体何であるかを、考えさせれる時期に来ている。そして一つの職業は自分とって何かということは、直接的には「生きることが何である」かという問題に、改めて直面させられるのである。

これは異常に思われるかもしれないが、舞踊の練習を始めて以来、60年弱。社会的には舞踊家という名において活動し、それによって何らかの収入を得、税金を払って生きてきた。しかしこれは、社会的的経過においてはそうであるが、自分が舞踊家であるか、という職業的な意味で言えば、舞踊家があるという意識は今もって定かではない。というよりも、舞踊家であるということと自分が生きるということは決して切り離すことはできない、という意味において、ただひたすらこの60年間「生きてきた」としか、言えないのである。生きる事の結果が舞踊家だったともいえる。生きている、という事はただこの世に生きているということでもなく、何をもって生きていると、いいえるのか。
このような疑問が生じるのは、舞踊家という存在自体に由来するのだろうか。つまり、舞踊という行為は、目に見える生産とか生産物が存在するのではなくて、常に自分のカラダに戻されるのである。舞台で踊ったり、人前で踊ったりしても、結局やってる行為はすべて自分のカラダに戻され、何も残らない。一体何が生じたのか。舞踊において、カラダに戻されるというのは、その瞬間にカラダが変わる、ということも意味している。すなわち以前のカラダではなくなって、別のカラダなのである。それは技術を身につけたということ以上に、「喜び」という言葉でしか、言い表せないのかもしれない。スポーツ選手がある困難な目標に挑戦して、それをクリアしたときの感情と変わらないかもしれない。スポーツにおいても、具体的な生産物が外に存在するわけではない。結局、昨日よりも今日、今日よりも明日と前進することしかないのかもしれない。

音楽家とって、或いは声楽家にとって、演奏した歌とか音楽は、その場で消え去っていく。でもやはり音楽を行うという行為の結果は、その音楽家の存在自体に戻ってくる。そして演奏する以前の存在と、終わったときの存在はやはり、変化してるのであろう。人間のカラダは機械ではない。地球と共に、宇宙とともに、すべてのものが変化している。その目標は普遍的に定めることできない。個々の人間によって違うだろう。職業をもつということ、或いは仕事をするということ、あるいは労働するということは、その結果生じたものが、社会に還元されようと、されまいと、個々のカラダにフィードバックしてくるものが労働、仕事、ワークであり、それによって一人一人の人間が真に生かされている。家具職人が家具を作り、建築職人が家を作り、漁師が魚を取り、作家が作品を描く。この生み出す過程は誠に精神的な経過である。生産物として形があるわけではなく、現在進行形で生み出し続けているのである。その結果、作品、生産物は外に広がり、社会的に受容され消費される。しかし作品や生産物が流通として社会に消費されていく過程は、もはや労働やワークプロセスや仕事の過程とは、全く異なった次元のことになる。そこから初めて労働から経済過程に移行するのである。

経済過程は、生産物が流通機構にゆだねられたところから始まる。そして需要と供給に従って、それにふさわしい利潤を生み出す。制作者やワーカーや仕事する人間は自分の仕事にふさわしい報酬を得る。しかし、それらの利潤が製作者や労働者や作家やワーカーに賃金として振り当てられるのではない。報酬と賃金は経済生活の中で、はっきりと区別されなければならない。それらの利潤は、ふさわしい資本形態の中に組み込まれたり、更に新しい分野の企業にゆだねられ、新しい領域の経済機構や流通機構のために使用されるべきである。或いは精神生活を支える教育や科学研究や舞台芸術のために振り分けられる。経済生活の目標は目的は、利潤の追求や社会的富の蓄積ではなく、常に新しい流通機構を作って、利潤が他の資本を通して、さらに豊かな経済生活のために使用される。そもそも政治は国民の権利と義務にこたえるのがその主要目的であり、この権利の力は経済過程の中に影響を与えてはならない。なぜなら経済過程は権限義務の問題ではなく、栄養が十分に社会有機体の隅々にまで行き渡るための経済的流通機構作ることなのである。そして国家はそのための法的力を、其処に流さなければならない。国家の法的力は利潤を高めるための法的基礎を作るのではなくて、どこまでも社会の栄養のための流通機構のを支えるのである。
利潤は、経済機構の中の中に組み込まれたり、或いは他の精神活動や行政活動のために振り分けられ、やがてそれは、労働者や芸術家が仕事をしていく上で、最上の条件で仕事を支えるだけの十分な生活費が国家によって、無償で国民全体に還元されなければならない。生きることそのものに、最大の喜びを得るのは、人間の権利である。生きることに喜びを見いだせないとするならば、国家はそのためにあらゆる手段を用いて、その個人を、生命的にも健康においても、或いは教育的な手段においても、必要な保障をしなければならない。そしてワーカーの、製作者の、芸術家の全生命と健康と生きる条件を十分に整え、それによって労働が真の精神生活たり得るように、最大のサポートすべきなのである。この過程の中に、労働に対する賃金契約は入り込んではならない。労働者、仕事をする人間は賃金契約によって行うのではなく、自分が自分にあった仕事を選択し、そして最高の成果を上げられるよう、ある特定の経済機構や行政機構を通して、何の仕事を責任をもって行うかの「分担契約」を行うべきである。そこには一切の賃金的制約が入らない。純粋に何の仕事をするかだけの契約なのである。そして、生きていく上で、仕事をしていく上でのすべての生活臭を、国家は最大の努力を持って補償する。すべての労働者、ワーカー、制作者は、舞踊家に作品、生産物が全く存在しないのとある意味で同じ状況に立たされている。経済機構はその需要と供給の中で、社会有機体の栄養バランスを有機的に創造する。

comment(0 )

ページのトップへ戻る

コロナの時代からの労働とダンス   笠井 叡 2020 5/12

akira

経済活動は今日、最も重要な課題である。それは現代という歴史的な転換期において、唯一解決しなければならない最大の課題である。この問題を解決しようとしない限り、アート全体の未来的な方向は見えてはこない。今日、人間は総じて、経済活動の本質が何であるかを、明瞭に意識しているとは、言えない。なぜならば、「人間の労働力は, 経済活動に組み込むべきだ」と,いまだに考えているからである。人間の労働力は、経済活動に組み入れるべきものではない。人間の労働力は、賃金契約の対象でもない。労働における「賃金契約」は、現代社会において、最後の奴隷制であるといえる。人間は今もってなお、金融奴隷制の中に甘んじている。人間の労働は、神聖な個人の「精神生活」、それは権利でも義務でもない、「自由」を基調とする、個人の精神生活に属している。ダンサーにとって「舞台公演」は自己の祭壇に載せるせるべき、神聖な供物である。同じように、すべての「労働」は、一人の人間の精神活動が生み出す最高の供物である。それは、賃金契約の中に組み込まれるべきものではない。労働力を経済活動から引き離したとき初めて、多数決を基調としている民権制社会から、真の人権社会への移行が生じる。
神権制という最も高度な精神性を実践しようとする古代社会において、その経済基盤は奴隷制によって、実現されていた。奴隷は売買の対象か、商品以下の存在であった。或いは贈与品として扱われた。動物と同じような扱いを受け、一切の人間の権利を有しなかった。これは古代神権制の最高の矛盾ではある。しかし神権制から王権制に移行していったのは、この奴隷制の矛盾解決のためではなく、神権という精神性を失った者たちによる、肥大化した地上的欲望によって、王権社会の経済活動が成り立っていた。その経済活動とは、人間存在のすべてが「経済活動」の中に組み込まれ、農産物や工業製品や武器産業のための「経済力としてのみ」、人間が存在した。その点において、古代の奴隷制と王権制による農奴制は、変わらない。民権制は人間存在を労働力として扱うことの矛盾から、民主主義という名のもとに、人間を引き離した。
しかし、それに代わって、「商品」という名の「労働力」が現れたのである。民権社会において、もはや古代的な奴隷制や王権制社会の中における農奴制は消滅した。しかし、新たに現れたのは労働力そのものが、「商品」「に変わったのである。いずれにせよ、経済活動における奴隷制は、こうして基本的に民権社会の中においても、存在し続けている。労働の本質を人間がみずからの中からとらえようとせず、自分の労働力が商品化されているということに対する「嫌悪感」を感じながらも、それが当然であるかのごとくに、一種の「催眠にかけられた状態」で、人間は経済活動に組み込まれている。
人間有機体において、頭部の感覚神経系の働きと腹部の新陳代謝系、消化器系の働きは、互いに結びついてはいるけれども、互いに有機的にそれぞれの働きが自立することによって人体は保たれている。もし、頭部の感覚神経系が常に新陳代謝に働きかけて、結果として体がストレスを強く持ったまま代謝系の働きを行うならば、それは、やがて病的な状態に移行しうる。それは社会有機体でも同じである。
立法・司法・行政を行う政府や政治的な働きが強く、経済活動に介入するならば、経済活動は自立して自分の活動を行うことができない。それは政治利用の経済活動、病的な経済活動となる。経済活動は国家や政治的目標から完全に自由になって、経済そのものが自立した働きを有機体の中で行うことができなければならない。経済活動の目標は、富の獲得や資本の蓄積が問題なのではなくて、資本が一つの有機的社会の中で、必要なところに常に流れていく、その流通ができていなければならない。資本が一箇所に集中しすぎたり、人間的活動に供されない富みが、一つの場所に集中して、流通性を失ったり可動性を失ってしまうと、経済は肥満状態に陥ったり、やがて死んでしまう。経済活動によって、個々の必要な利益は得られなければならないが、それは、経済活動の「目標」にはならない。経済活動が健康であるためには、人間はそこから自分に必要な利益を得なければならない。しかし、経済全体の目標は、利潤追求や富の蓄積そのものにあるのではない。経済活動においては、各人が自由に自分に合った労働、仕事を行い、そこから利益を得るわけであるが、その利益は、本来、賃金契約から来るものではない。
一人一人の人間は、自分に合った仕事を見出し、社会の中でそれを分担する。自分は農業のいかなる部分を請け負うか、工業のいかなる部分を行うか、舞台芸術においては、いかなる部分を自分が分担するか、という分担が社会全体の中で承認され、その承認にふさわしい労働を行い、その労働が社会全体の中に組み込まれるような契約が、「賃金契約」に代わって基本になければならない。このような契約を「分担契約」という言葉で表したい。そしてそのことによって労働を賃金契約という制度から、純人間的な「労働の本質」と結びつくような契約へと、移行すべきであろう。
自分がある仕事を「分担しよう」とするのは、基本的に労働を経済活動から分離しているからである。労働は自分にとって自己実現のための唯一の精神活動であり、利潤を目的しているものとは、根本的で異なっている。労働が経済過程の中に組み込まれている限り、労働は必ず「商品の性格」を持たされることになる。そして商品の性格を持つ限り、労働は、商品の生産と商品の消費からなる、経済生活の中に組み込まれる。そこから出てくるものは、商品を通しての「利潤の追求」が、経済活動の目標とならざるを得ない。
労働による生産物 (ダンサーであればダンス作品) は商品として流通するのではなく、カラダの中における栄養素が必要なところに必然的に流れなければならないように、生産物は商品的な価値として流通するのではなくて、社会の中における必要なところに速やかに流れるための社会的な栄養物なのである。人間の生活形態は、生産物が商品として流れるところの利潤を、自分の労働力の当然なるものとして受け取ることによって成り立つのではない。彼が精神活動としての労働を行うのに必要な当然の結果として、すべての生活費は基本的に国家によってすべて、保障されなければならない。すべての生活費は労働によって得られるのではなくて、 「生きるために労働するのではなく、労働するために生きる人間」  の当然の結果として、国家によって完全に保障されなければならない。
すべての利益は人間が「意識の力によって生きている」という事実から、生じるものである。労働する人間は、この世に存在するから生きているのではなく、自分の生きることに全意識の力を投入し、生きることを物質の世界における「単なる物質代謝」としてではなく、自分の肉体と出会うこと、物質的な環境と出会うこと、大自然とという物質の総体と出会うことによって、常にそこに対して最大の意識の力を流し込もうと、努力すべきなのである。そうするならば、全くカラダを動かすことのできない病を持つ人々であろうと、存在してること自体が、すでに精神活動としての労働となりうる。すべての生活に必要な利益は、労働の結果によるものではなくて精神活動を行っていく上での「意識の運動」そのものから生じる。
そして労働を、精神生活として行うことから生じる一切の責任は、個人が担うべきものではなくて、社会全体がそれを担うべきものなのである。

comment(0 )

ページのトップへ戻る

9月22日より笠井叡ダンス・オープンクラス開講

この9月より天使館の「ダンスの学校」が開校されます。
8月15日までに参加希望者を募り、多くの方々に応募いただきました。
この学校は個人スタジオという小さな空間で、
持続的にダンスの体験を積み重ねながら、カラダ作りを行ってゆくことを
趣旨としているために、人数が12名に限定され、多くの方々が参加できなくなりました。

そのために、改めて持続的な参加のダンスの学校と並行して、
月1回のオープンクラスを開講することにいたしました。
内容はほぼ学校と同じですけれども、クラスは一か月に1回、
一講座を4時間とし、毎回異なった一つのテーマを、1年間、
12回を通して取り組むというものです。

場所   天使館
日時   9月22日 日曜日 17時~21時
    10月20日 日曜日 17時~21時
    11月24日 日曜日 17時~21時

参加ご希望の方は,下記のところにお申し込みくださいますよう,
お願いいたします。
申し込み kasai_uemura@yahoo.co.jp
問い合わせ 090 8309 5096
    

comment(0 )

ページのトップへ戻る