金鱗の鰓を取り置く術 限定500部

tuka

「金鱗の鰓を取り置く術」限定500部
笠井叡が構想十年、執筆に五年余りをかけた大作がついに刊行。

先行予約(11月20まで)は 消費税・送料無の本体価格一割引き
18,000円で販売いたします。
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ペルセパッサ公演リハーサルを観る

轟ROBpromotionURA35
昨夜、ベートーヴェンの「悲愴」の第一楽章を観た。
彼らは音楽の中に「崇高」「畏敬」「供犠」という感情を発見し、
、それを彼らの筋肉の中に結晶化させた。この時代に、日本人が失った
この三つの感情を。

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ダンサーによる、批評視座

              
                                                      

ダンサー主義と作品主義

ある辞書で「ダンス」という項目を引いてみましたら、「意識された人間の身体運動」、という言葉に出会いました。誰が書いたものかわかりませんが、これほど簡潔に「ダンスとは何か」を言い表した言葉はないかもしれません。ダンスには様々な形態があり、民族舞踊、古典舞踊、伝統芸能、、祝祭ダンス、、即興的な踊り等、そしてさらに歴史的な意味では、古代に戦争を始める前に執り行われた戦争ダンス、死者のためのダンス等、様々な形態があります。それらに共通しているのは、ダンスは何らかの形で「意識された身体運動」という要素があるということです。外側から見た場合に、ダンスは様々な視覚的な形態の違いというものは,明瞭に見て取れるわけですが、そのような感覚的な領域からダンスを考えるのとではなく、ここでは、ダンスに共通している要素として「意識」を挙げているわけです。

このようなダンスのとらえ方は、ダンスを行う側の立場から考えられたものです。それはダンスを成立させる人間の最も根源的なあり方と結びついております。そのようなダンスのとらえ方は、カラダと意識の結びつき、カラダと意識の関わりというところにダンスの本質というものを、捉えます。けれども、このことはダンスを行ってる本人にとっては、重要な問題ですが、意識それ自体は、外側から眼に見えるものではなく、カラダの内側からのみ体験され得ることですから、そのようなダンスの見方は、ダンスを行う側から、生じることになります。そのようなダンスのとらえ方を、ここでは「ダンサー主義」という言い方をしておきたいと思います。

一方、ダンスというものを外側から視覚的に眼に見る対象としてとらえ、そこで生じる様々なダンスの現象的な側面や、民族による違いや、歴史や言語による違い等から、ダンスの本質に迫る捉え方があります。ダンスの動きを外側から創造していく方法は一般的に振付とか様式と呼ばれています。振付や様式はダンスを意識とカラダの結びつきより以上に、目に見える具体的な動きと形を問題にしており、それらを中心として、ダンス全体を作り上げていくようなものを「作品主義」という言葉で表してをおこうと思います。広い意味でヨーロッパの古典バレエや日本の伝統的な舞踊、創作舞踊等は作品主義という範疇に入れることができます。

もちろん、このような分け方は、どこまでも便宜上ものであって、一つのダンスは、ダンサー主義的な側面と作品主義的な二つ側面は、深く結び合って形成されています。意識とカラダの結びつきを観察しながら、動きを形成していくやり方は主として即興的な運動形態をとりやすく、そのような意味において、ダンスは常に即興と振付の二つの要素があるわけですから、両者は常に一体であると、言わなければなりません。たとえどれほど厳密に指先の細かい動きまで、或いは呼吸の取り方、まばたきの仕方においてまで振付られたとしましても、その振付が振付家からダンサーに委ねられた瞬間に、必然的にその振付の中には、ダンサーの即興的な要素が、つまりダンサー主義的な要素が加わって参ります。そしてこのことは、即、ダンスの二つの方向性に関わっていることです。

ダンサーがスタジオの中で、「見せること」を前提にせずに、ひたすら自分自身のために動くと時、観客というものを前提にすることなく、自分自身のため、或いは特定のグループや或いは祭的なダンスにおけるように、「踊ること自体」が重要である時、「見せること」は二次的な要素になります。ここでは第三者的な或いは客観的な批評家的な視点を一切前提にしないで、ひたすら自分自身のために動くわけです。けれどもそこに全く批評的、客観的な第三者的側面がないわけでは決してありません。
踊ることそのものは、常に意識と運動の関わりを形成しているわけです。この結びつきは決して単一のものではなく、無限のバリエーション、結びつきがそこに存在し、この二つのものの、結合のあり方を形成していくことそのものに、ダンスのありようを求めるならば、そこでは全く観客というものを必要としません。ひたすら自分自身がこの結びつきを様々な側面から形成してゆくことが求められているからです。

それに対して、「見せることを前提」にするダンスとは何でしょうか。このことは、即ダンスが作品主義的になるということではなく、「見せること」を前提にしながらも、ダンサー主義という、意識とカラダの結びつきの方向性でダンスを形成し得ます。それでは両者が違いとは、一体何なのでしょうか。見せることを前提にしない場合と見せることを前提にする場合において、その意識とカラダの結びつきにおいて、何が変化するのでしょうか。それは意識の中に、全く別の意識、すなわち10人の他者がいるならは10の異なったり意識が、100人の観客がいるならば、100の異なって意識がそのダンサーの中の「意識と運動」の中に入り込んでくるのです。このことは見せることを前提にする作品主義的踊りにおいても、全く変わりません。ある一つのコンセプトや美意識や時代意識に基づいて、外側から構成され、振付られた作品においても、それが、不特定の他者の前で踊られた場合、必然的にそこに「意識と運動」の中に、他者の意識が介入してきます。

そのとき、ダンサーの中における他者の意識のありようは、ダンサー主義と作品主義における場合においては、全く異なっています。その違いを次のように表すことが出来ます。
ダンサー主義的舞台においては、1人のダンサーは、自分の意識を観客全体に広げていかなければなりません。その時、ダンサーの踊る場は、観客の「心の中」なのです。それに対して、作品主義的舞台においては、すべての観客はダンサーが踊っている舞台の上に引き上げられ、観客という他者が、踊ってるダンサーの心の中に招き入れなければならないのです。ダンサー主義的舞台においては、客席空間が舞台になるのに対して、作品主義的舞台においては、客席が舞台空間に引き上げられるのです。
ダンサー主義的舞台においては、ダンスの主体は次第次第にダンサーから観客という不特定の他者に移行して行き、ついには、ダンスの主体が観客になるのです。作品主義的舞台においては、全観客は、ダンサーの心の中に自分の場所を見出を出しているのです。

今述べたことは、かなり抽象的ですので、次に私の個人的な経験から、このことを述べてみたいと思います。私は自他ともに、かなりダンサー主義的なダンサーである、と言えるのではないかと思うのです。実際、2015年まで多くのダンサーには振付という、作品主義的な関わりを持ってきましたが、自分自身のダンスに関しては、1966年のデビュー・リサイタル以降、振付作品を踊った経験は数度しかなく、この50年間、全く舞台上においても、スタジオ内での即興的な動きの延長として、踊ってきました。ダンサー主義的な即興を徹底した作品においては、事前に決まってるのは劇場と始まる時間だけで、用いる音楽(当時はレコード使用がほとんどでした)を、その当日、出かける直前レコードボックスの中から選び、同じように衣装ケースの中からその日の気分によってに衣裳とそれに合った照明を劇場についてから決めるという具合でした。もちろん、今日の劇場を用いてのダンス公演においてそのような事は全く成立しません。すべて事前に決められた照明プランに従い、舞台監督、音響担当がいて、公演前から何度も繰り返されるランスルーやゲネプロがあり、でたとえそれが即興的な舞台であったとしても、大まかな方向は外側から決定されていなければ、公演そのものが成り立ちません。以前のように徹底した即興によるダンスにおいて、舞台上でダンサーに要求されるのは、自分自身の内的な深みの中からやってくる様々なイメージや直感をカラダと結びつけながら、動きを形成していくということです。そこで観客を前提としてないスタジオや稽古場内の動きと、舞台上の動きの唯一の違いは、どこまで観客意識の中に入り込んでいかれるか、ということです。意識とカラダの結びつきというダンスの原点において、意識がどのように人間の中で生まれるのかということは、深い謎でもありますが、いずれにせよ、舞台上で要求されるのは、自己の内部の意識の糸をたどって、観客の意識の中にまで入っていくことなのです。自分自身が踊る主体であることを止め、観客の意識が踊りの主体であるところにまで、その結びつきを深めていくこと、といえます。コンテンポラリーダンスを「同時代舞踊」というならば、この「同時代の現場」とは、まさに「観客という現場」なのです。ダンサー主義とはこのコンテンポラリーの現場としての観客の心の中に入っていく作業であり、そこで掴み取ったものを動きとして、目に見える形で提出するのです。観客の心の中に生じているものは、すでにコトバを超えた何ものかですが、同時代認識とは、この言葉を超えたものを直感的に掴み取り、それを「動き」にするです。ですからダンサー主義とは、どこまでも観客がダンスの主体です。世阿弥が伝書の中で言う「客席を読む」というのは、ダンサー主義の根本です。
個人的に私はこの方向において、1966年から約50年間、ダンス活動を行ってきたのは事実です。そしてこの方向でダンスが成立することに対して疑いを持ったわけではないのですが、このたび、2016年の2月初めて、「セルフコレオグラフィー」という手法を用いて、ソロ公演を行いました。音楽はフランツ・シューベルト作曲、ヴィルヘル・ムミューラー作詞による歌曲「冬の旅」全24曲です。歌手フィッシャー・デーィスカウの1985年度録音盤。これは私にとって、初めての作品主義的な舞台でした。24曲に対して、自分自身に24のコレオグラフィーを与えるわけですが、そもそもコレオグラフィーというのは、身体運動というものを、「客体」として眺めることができるとき、初めて可能になるものです。振付家がダンサーに動きを与えることによって、外側から初めて「運動」を客体として見ることができることによって、成立するものです。という意味において、セルフコレオグラフィーなどというものが、果たして可能なのかどうかということは、私自身疑わしく、やってみなければわからないという感じで舞台に臨んだわけですが、結果としては、自分自身の中にダンサー主義とは全く異なった空間がそこに生まれた体験がありました。

このことを少し詳しく、ここに述べておきます。
振付が主としてパの組み合わせによってなされるクラシックバレエ以外の場合、振付が生まれる瞬間は即興です。振付家が自分自身で見ることのできない、その即興的な動きを、振付として他のダンサーに移し、そのことによって空間の中に「動き」が客体として固定されることによって、初めて振付空間が現れてきます。ところがセルフコレオグラフィーの場合には、そのような意味で「動き」を客体として空間に固定する事ができないのです。にもかかわらず、作品主義は「動き」というものを外側から形成して行く必要があります。その意味ではセルフこれグラフィーというのは、一つの矛盾した状況を担わなければなりません。即興ダンスは即興で生まれた「動き」をそのたびごとに捨てて行き、新しい動きを生み出すことですが、セルフコレオグラフィーは、即興で生まれた一つの動きを、1回で捨てることなく、2回3回4回と繰り返すことによって、少しずつ動きが空間の中に固定されていきます。けれども、そのことによって動きが、一つの客体になるわけでは決してないのです。セルフコレオグラフィーは、「客体化された動き」とは全く別種の客観性を生み出さなければ成立し得ないのです。今回の場合、セルフコレオグラフィーのために、非常に長い準備期間を必要としました。それは24曲の振付を覚えるということより以上に、この別種の客観性を生み出すという作業のためです。それはダンサー主義的な、自分自身の内面から立ち昇ってくる無意識や記憶や思い出や感情と動き結びつけだけでは、成り立たないからです。ダンサー主義的な意識と動きの結びつきとは、自分の内面の核のようなものから皮膚を突き抜けて身体の外広がっていく、意識と動きの結合です。この遠心的な意識に対して、セルフコレオグラフィー とは徹底的に求心的に外側からやってくる「未知のイマジネーション」を受容しなければなりません。そもそも、ヴィルヘルム・ミューラーの「冬の旅」の詩イメージは浪漫主義的な「冬景色」、「凍結した小川」、「雪や嵐」、「銀色の霜」、「凍れる 涙」、「冷たい水の流れ」等です。ですからフランツ・シューベルトの音楽を通して流れてくるヴィルヘルム・ミューラーの詩的イメージというのは、ある種の日常的な具体性を伴うイマジネーションです。このように他者のイマジネーションと音楽を振付ること自体は、作品主義的な方向に歩み出しているにもかかわらず、その「冬の旅」という具体的なイマジネーションが私個人のイマジネーションと結びついている限り、それらの詩や音楽は、私個人の意識と動きを結びつけるための素材でしかなく、そこから「客体として存在する外的な動き」という客観性にまでには至りません。
すでに知られている事実ですが、このヴィルヘルム・ミューラーの「冬の旅」という詩は、一連の錬金術的なアレゴリーであり、この宇宙によそ者としてやってきた人間が、この物質世界で様々な錬金術的な意識の変容を経験して再びこの宇宙を去っていくという、それは西洋の伝統的な秘教主義的アレゴリーに満ちており、「冬の旅」は単なる叙情的なものであるより以上に、物質の変容を伴う人間の意識の変革を扱っています。その象徴的な言葉は第23歌のこのフレーズです。
Will kein Gott auf Erden sein,
Sind wir selber Goetter.
「この世に神が存在しなければ、我らが自ら神となる。」
このような錬金術的な具体的な生きたイマジネーションが現在の私の体の中に存在するわけではなく、それは未知のものとして外側から、ある一つの可能態として降り注いで来る「光」でしかありません。けれども、振付における「客体化された動き」という外的な客観性に見合う、もう一つの客観性を形成しようとする時に、単なる外的客観性ではなく、すべての人間の主観性を超えたもう一つの客観性に向かわざるを得なくなります。しかもそれは宗教的な次元ではなく、芸術の領域における、このすべての人間の主観性を超えた客観性です。具体的にこの作業を、「冬の旅」において私は次のように方向から、取り組みました。
それは、振付の中を流れる意識といしてのマジネーションを、どのよう私個人の記憶やイマジネーションから解放して形成していくかという点に尽きます。
第1歌の「扉」は、この世とあの世の間の門
第2歌の「旗」は、「魂の風」
第3歌の「涙」は、物質と魂の間の「反物質」
第4歌の「雪」は、「霊化された石」
そして、第23歌の「幻の太陽」では、「太陽処刑」等
半年に及ぶ振り付けの練習とは、動きの練習では、なくこのような個人を超えたイマジネーションと動きの結びつきというところに集中していたと思います。それはダンス作品が、新しい「宇宙の庭」を創造するという感じです。今回の3回の東京芸術劇場シアターイーストでの舞台上での経験は、これまでのダンサー主義的なものとはかなり違ったものでした。それは、自分が客席へ降りていくというより、すべての観客を舞台の上に乗せ、そしてこの新しい「宇宙の庭」を共有したいという想いです。

ダンスにおけるカラダ

ある公演演後のトークにおいて、1人の演出家と演劇におけるカラダと、ダンスにおけるカラダについて語ったことがあります。その時、その演出家はダンスにおいても演劇において、カラダそのものは共通の要素であり、この共通のカラダを基盤として、演劇はカラダがコトバと結びつき、、ダンスにおいては、カラダが「動き」と結びついているという考えを披露しました。このことは、先に述べた作品主義という観点から考えるならば、そう言えるでしょうが、すべてのダンスが作品主義ではないという意味においては、この演出家はダンスを作品主義としてだけ考えているのではないかと、思えたのです。しばしば作品主義や演劇において、カラダを単純に「表現の道具」として捉える傾向あります。それはスタニスラフキー演劇等に顕著な傾向ですが、身体を一つの、最終的には物質と捉え、感情や意識や本能的衝動等は、その物質である身体の中から生じたもの、精妙な神経組織の放電作用の中から生まれたものと捉えています。そのように考える限り、ダンサー主義的な演劇、ダンサー主義的なダンスは決して生まれません。ダンスを「意識された運動」、或いは意識と運動の関係性の中から成り立つと考えましても、そこにおいて意識は運動と関係性を持ち得ません。何故なら、意識そのものが、初めから物質であるカラダから生じているからです。それは、「海の水が辛い」のは、そこに塩分があるからではなくて、「水そのものが辛いのだ」と言っているのと同じでしょう。意識が物質から自律した存在性を有しているという事を感覚しない限り、ダンサー主義或いはカラダの本質には、決して至らないと思います。とはいえ、意識が物質から自律しているという実感に至るのは、それほどたやすいことではないのかもしれません。なぜなら西洋哲学史においても、何百年とこの問題についてけんけんガクガクと討論してきたわけですし、現在の脳科学においてでも事情は全く同じです。けれどもダンサーがダンサー主義の側に立ちますと、単純に次のように発言するでしょう。「私は<カラダで何が出来るか>ということよりも<カラダが何か>ということの方に、どうしても情熱が傾いてしまうのです」と。
<カラダで何が出来るか>を考えるならば、それは生きることのすべてでしょう。社会生活を行い、学校に行き、勉強し、スケート、スキーをし、ダンスをし、スポーツをし、喰いたいもの食べる、これらすべてが<カラダで出来ること>です。けれども<カラダが何か>という問に向かいますと、人間は「脳が脳について考える」「カラダがカラダを感じる」という、途方もない「迷宮」を引き受けなければならなくなります。言葉や思考の領域だけで、この迷宮の中に入り込むと、永遠にさまよい続け、深淵の中に落下して行き、ついには、ニーチェ的な狂気に至ることになります。人間はカラダに外部から関わっているのではなく、その内部から関わっています。つまり自然科学のように、物質に外部から関わっているのではなく、物質そのものの内部に入り込んでいるのです。だからダンサー主義が成り立つのです。意識とカラダの結びつきとしてのダンスが生まれるのです。そしてこの「物質の内部」に入ることのできるものは、決して物質でありません。物質以外の何者かです。それを「意識」と呼んでいます。物質が意識を生み出したのではなく、意識が物質を生み出しているのです。そのような意味では、世界は意識一元論と言っていいはずなのですが、現実には、世界はその逆転した姿を私たちに示しています。このことを痛く感じているのが、ダンサーです。カラダは内側から捉えられた時と、外側から見られたとき、あるいは、世界はその内部から観られた時と、その外側から見られた場合は全く正反対の姿を、人間に見せているからです。世界を内部がら眺めるならば、人間は「肉体」を有してのではなく、「肉体意識」だけを有していると言わなければなりません。ダンサー主義においては意識がどのように、またどのような身体運動を生み出すかというところに、全エネルギー、全感覚が集中します。カラダが意識や諸感覚を、どの様に舞台上で現わすのか、カラダがどのようにダンス生み出すのか、という事にすべて意識を集中します。ダンサー主義は、意識の様々な形態によって変容していく身体のありようを提示しているのです。それはカラダで何かを表現しているのではなく、カラダそれ自身です。
鉄素材を用いて、彫刻家は様々な作品を作り出すこともできますが、その時、鉄という素材を生かすことそのものが作品性を決定しています。その意味ではダンスにおいては、素材性と作品性が完全に融合していて、それを分離することができません。ダンス作品はこのカラダの素材性そのものの内部から常に現れてきます。
このことは、ダンス作品を他の芸術作品から隔てる大きな特徴といえます。素材性と 作品性が融合しているということは、ダンスにおいては、「作家が作品である」ということです。作品を作家から引き離すことができないのです。
クラシックバレエのすべてのダンス技法は、この主体即客体というダンスの原則から、ダンサーを引き離し、ダンスをカラダから自律させるための技法といえます。それにより、クラシックバレエにおいては、振付とダンサーは厳密に区分けされ、ダンサーが作家即作品という方向でダンスにかかわらずに済むように、完全に振付家が外側からダンサーに結びついています。音楽家と振付家とダンサーが完全に分離しているということは、近代バレーの一つの原則でした。そのような時、1人のダンサーに中において、ダンサー主義はどのようなあり方をしていたでしょうか。その時、ダンサー主義は四つの「ドデス」と完全に一つに結びついていました。「ドデス」とは、カソリック教会において、神性と結びついた信者が神から与えられる「四つ聖性」のことです。
光輝性 
敏捷性 
無重力性 
受苦不能性
この四つの ドデスはすべてのバレエダンサーがダンサー主義の極北として、ある時代まで受け止めていたと思います。ですから、作品主義的な近代バレエにおける批評はダンサー主義的な方向には向き得なかった、といえます。作品を支える個々のダンサーがこの四つの「 ドデス」をどのように体現しているか、に向かっているからです。
この四つの「ドデス」と結びついているダンサー主義が崩壊していたのは、大ざっぱに言えば、次のような過程を通してであるといえるでしょう。
*バレエリュスとニジンスキー    バレエの中に作家即作品というダンサー主義の始まり
*イサドラ・ダンカン          バッハ、ベートーベン、ショパン等の純粋音楽とダンスの結び
*ルドロフ・フォン・ラバンとメリー・ヴィグマン  モダン・ダンスと表現主義
*マーサー・グラハム                アメリカのモダン・ダンス
*カニングハム等のポスト・モダン
このような流れの中で極めて重要なのは、土方巽の出現です。彼は1960年代以降、東京中心に活動を始めましたが、彼の行ったことは、ダンサー主義であれ作品主義であれ、ダンスの根源に関わる変革を行った人物です。土方巽が自分の作品の中に障害者、病人、犯罪者、死刑囚、老人等、これまでダンス的なテクニックとは無縁と考えられているカラダから発する動作を、進んで自分のコレオグラフィーの中に取り入れたことです。そのことによって、それまでのタンステクニックの持つ意味が、解体したとも言えるのです。ダンスとダンステクニック、カラダとダンステクニックはそれまで深く結びついていましたが、土方巽の出現によって、ダンスはそのようなダンス技術から解放された、というよりも、それ以前のところに引き戻されたと言わなければなりません。つまり、動きそのものの根元にダンスが立ち戻されたのです。これまでのダンスの前堤が一度、御破算になり、その時ダンス零年が始まったともいえるのです。もちろんそのことによって、それまでの様々なダンスの流れが消滅するわけではありませんし、土方巽の行ったことは、彼自身のダンス個人史に即して考えるならば、その動きの根元から、新しい身体様式が始まったことも事実です。しかし他のダンサーがその動きの根源に戻ることなく、そこで生み出された土方巽の「新しい様式的な動き」だけを受け取るというのは、それほど重要なことではありません。ダンスが前堤なのではなく、「動くことそのもの」が一体何なのかというところに、そして人間のカラダはなぜ動くのか、動きはどこからやってくるのかという、ダンサー主義の根本に今、ダンスが立っているからです。

ダンス・暴力・戦争―時代感覚

美術史家で東京芸術大学教授である伊藤俊治氏が、写真家の高橋恭司氏の写真集である。「津津と・・・異本ザ マッド ブルーム オブ ライフ」に次のような文章を寄せています。
「人間が世界を夢見ているのではなく、世界が人間を夢見ている。
写真は時としてそのような転移と変換を強く感知させるスクリーンになる。もしかしたらカメラは人間が世界からその存在の輪郭をそっとなぞられる道具なのかもしれない。世界が人間という淡い意識を瞬間的に夢見る媒介がカメラであり、その夢見られた印が写真となる。」(2012年)
この文章の「写真」という言葉を「ダンス」に、「カメラ」を「カラダ」に置き換えると、「世界」と「ダンス」と「カラダ」の係わりが、次のように浮き彫りにされてきます。

「人間が世界を夢見ているのではなく、世界が人間を夢見ている。
ダンスは時としてそのような転移と変換を強く感じさせるスクリーンになる。もしかしたら、カラダは人間が世界からその存在の輪郭をそっとなぞられる道具なのかもしれない。世界が人間という淡いに意識を瞬間的に夢見る媒介がカラダであり、その夢見られた印がダンスである。」

「私」という主体がこの世界の中で、「生きている」或いは、ひょっとしたら「夢見ている」という習慣的な感性に対して、世界が人間を夢見ているとするなら、戦争も殺人も社会生活も、すべての歴史の総体は世界が夢見ているスクリーンであると言えます。この時、ダンスが存在する理由は、人間をして、「私」という主体の奥深くに「世界」というもう一つの主体が存在し、それが単なる想像ではなく、「人間の動き」という、ひとつの現実としてそれを掲示することなのかもしれません。世界が歴史の主体であるという考え方は、プラトンのイデア論やヘーゲルのイデア哲学の永遠のテーマですが、この真の現実をリアルに人間が感じ取ることは、ほとんどありません。東日本大震災のような、人間の力を超えた巨大な自然力を前した時、ふと予感されるようなものです。ダンスはしばしばこのような世界意志を、身体運動という「出来事」の中に生じさせます。この「出来事」というのは、単なる現象的表れでなのではなくて、その瞬間に目に見える形で「世界が出現する」ということです。その歴史の主体としての世界が出現するためには、人間を通過するのではなく、カラダを通過し、カラダによって、世界の輪郭がなぞらえられることによってです。
「世界が人間という淡い意識を瞬間的に夢見る媒体がカラダであり、その夢見られた印がダンスである。」
歴史は一つの原因に対する結果が機械的に生じているのではなく、常にこの不可視の世界という主体意志が働いてるとするならば、その現場はカラダなのでしょう。ダンサーはこの言葉にならない世界意志を言葉にならない「「身体運動」という動作言語として語ります。ですから、どんなダンスの内部にも、時代意志というもの存在しており、それは踊っているダンサー本人にも全く気づかない形で空間の中に流れていきます。ダンサーは、人が自分の顔を一生眺めることができないように、自分自身の踊りを外側から眺めることは、決してできないのです。ですから、ダンサー主義的であろうと作品主義的であろうと、どのように世界が人間を夢見ているのかという内実に、ダンサー自身は直接触れることができません。ただそれを提出するだけなのです。野に咲く花がどれほど美しくとも、その美しさを知ることができるのは、人間だけであって、花自身は永遠にその美に触れることができないように。ダンサー自身は世界によって夢見られたその内実に触れることはできません。劇場とは、他者がそれを読み取る場であり、舞踊批評が存在するのは、ただ、この一点につきます。
障害者、病人、犯罪者、老人、子供、幼児そして、動物・植物・鉱物自然界のすべての動作がコレオグラフィーの対象です。つまり、動きの中に美醜、善悪、高等下等が無いのです。病院の中に、介護老人施設の中に、収容所の中に、死体置き場にこの世界意志が流れています。今日一冊の本を「書く」よりも1冊の本を「読む」ことの方がより重要な時代です。著者は常に一方的な想い、一方的なイマジネーション一面的な表出から自由ではありません。けれども、「読む」というのは、そのような個人性から離れて、自由にそれを読むことができるはずです。しばしば、著者にも読み取ることのできないものを、読者は読み取ることができます。このことはダンスにおいても、いえます。今は「踊ること」よりも「観る」ことの方が、ずっと重要です。そしてどんな「動き」からも最高の感動と美と世界意志を読み取ることができるからです。どんなつまらないダンス公演でも、そのカラダは時代意識を呼吸しています。たとえ、そのことを踊ってるダンサー自身が全く無意識であり、気がつかなくても、そのカラダから世界を「読む」ことができます。どんな暗号解読表にも載っていないダンサーの動きを、読み取る意志が必要なのかもしれません。
一方、「沈黙の動作」としてのダンスは、常に暴力に変化する可能態を有しています。そして事実、今日カラダは、たやすく暴力の道具と化しつつあります。戦争や殺人行為が自己表現になっているからです。世界がカラダを通して、暴力を夢見ているのです。その暴力性はいじめや無関心や差別意識や病的な甘えや功名心や不機嫌や虚栄心や独断や迷信や饒舌となって、世界と人間の橋であるカラダの中に浸透しています。この「透明な暴力」はたやすく戦争やテロの方向に流れて行きます。この傾向は単なる教育や道徳性や政治力によって、変えることができません。それは夢見る世界意志の中にまで繋がっているからです。外においては、他者のカラダを読み続けること、内においては、この透明な暴力性に立ち向かう、ダンスにおける個的な視座をもち続けたいと思います。
                                                 2016年 3月 17日

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第47回舞踊批評家協会賞辞退について

 以下の文書を、舞踊批評家協会賞 選考委員会に通知しました。              

                  舞踊批評家協会賞 選考委員各位

昨日、貴協会より、第47回(2015年度)の受賞の決定書ならびに、賞の贈呈式、祝賀パーティーのお知らせを受け取りました。その授賞理由は以下の通りです。

「お気に入りの6人の女性ダンサーに振り付け自らも踊った<今夜は荒れ模様>(そもそも、題名が違っています)の舞台で、男たちの様々な戦争ごっこを尻目に、全員で嬉々として踊り狂ったダンス三昧の舞踏会の成果に対して」

このような授賞理由を、受け入れることは到底、出来ません。以下の理由で、受賞を辞退させていただきます。

1・賞を贈呈するということは、その作品に対する明瞭な成果と、その作家に対するリスペクトがあるということは当然ですが、今回の授賞理由に、その二つが全く感じられないということ。

2・一つの舞踊作品には、その作品と時代との強い結びつきが存在しています。舞踊批評が存在するという根拠は、そのような時代に対する時代感覚と、その作品を結びつけることが、その批評において、肯定的な意味でも、否定的な意味でも要求されています。今回の授賞理由には、そのような公的な、社会的な意味合いが全く感じられず、作品を一個人の享楽的な行為としてとらえています。このような受賞理由を恥ずかしげもなく、メディアに向かって公開するという貴協会のセンスには、ただただ、呆れるばかりです。

3・どんな作品も一個人で成り立つものではなく、そこには様々な人たちの参加、協力や助力があって成り立つものです。たとえ、それが個人に与えられる賞であっても、その賞は、それに関わったすべての人間を含んでいます。このような受賞を、この作品に関わってくれた多くの人々に対して、結びつけることは、私としては出来かねます。
以上、三点です。

私が心から望むのは貴協会が、舞踊批評の根底に立ち戻り、真に日本の舞踊発展に寄与することです。上記のような選考理由は、むしろ、ダンサー達の日々の努力を馬鹿にしています。ダンサーは日々、カラダを削いで、修行に励んでいます。そのようなダンサー達に応えるえることのできる批評の団体であるためには、一つ一つの批評そのものが、時代の正念場であることを、明かしていかなければなければならないと、思います。                             
                              2016年2月28日    
                                     笠井 叡

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自爆テロは最終自己表現か 19

ここで私たちは、戦争の二つの方向性を明瞭に見て取ることになります。それは騎士道的な精神がまだ生きているところの戦争と、もはやそのようなものが消滅し、政治的、経済的、植民地的目的を有する戦争です。例えば近代戦争において、そのような二つの側面はもちろん明瞭に分かれているわけではなく、その戦争への根本的な衝動の中には、古代的騎士道的な衝動は生きていながらも、それは深く無意識に沈んでいて、具体的には、経済的政治的なるものがその表面に強く表れておいる、と言わなければなりません。太平洋戦争を日本の王道主義とアメリカ及びヨーロッパの覇道主義との戦いという側面で見るとするならば、八紘一宇のような思想に支えられた日本の軍部の中に、天皇による国体思想に支えられた騎士道精神は、明瞭に生きていたといえます。あるいはヒットラーにおける第三帝国の国家社会主義の淵源をたどっていくならば、すでに述べましたように、ヤーコプ・ベーメのような西洋の伝統的な神智学とドイツ騎士道精神を結びつけたツーレ協会にまで至ります。そしてこのような近代戦争の有する二つの側面が源をたどっていくならば、それらは歴史上に現れた様々な戦争の中にその痕跡は、存在するでしょう。数百年にわたるキリスト教世界からイスラム世界に向けての十字軍はその典型であり、その騎士道的な精神がその前面に出ていた戦争といえます。
もちろん一言で神聖戦争或いは騎士道的戦争といっても、その国や地域によってそのあり方は全く多様に変化しています。バガヴァッド・ギ―タ―に語られているような プルシャ一元論に貫かれた神聖戦争においては、その根幹に、戦うクシャトリアそのものに、「知識の祭祀」が要求され、その知識の祭祀の一つの実践的な形態として、戦争そのものが成り立ち得るのです。けれども、このような一元論的祭祀形態を持たないカトリック的なキリスト教においては、神と人間は完全に分離し、カソリック教会の存在なしには、それらを結びつけることができなくなります。そのことによって、二つの世界を導く教会が、絶大な権力を有するようになります。

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