映画「主戦場」を観て

渋谷のイメージフォーラムで映画「主戦場」を観た。

私が、西早稲田の 早稲田奉仕園敷地内のビルの一室にある「女たちの戦争と平和資料館」に行ったのはいつのことだったか。確か、爽やかな秋の始まりの頃だったように思う。まだ資料館が開設されて間もない頃だった。その時の閲覧者は私ひとり。美しい秋の日差しが差し込む部屋に「女性国際戦犯法廷」、アジア各国の『慰安婦』被害、日本兵の証言、戦時性暴力……などのパネルがいっぱい並んでいた。その1つ1つを時間を忘れて読んでいくうちに、いつの間にか日が暮れていた。

家の窓から目撃した光景。私が五歳だった頃のこと。

私の家の東側の空き地の、向こう側の道路の向こうに、お城(子どもの私にはそう見えた)みたいな洋館があり、ある日その玄関前に、屋根のない大きな自動車が走ってきて止まった。すると、制服を着た巨大な体のアメリカの男の人が二人、ドアを跨いで道に出ると、突然、後ろに乗っていた派手な格好をした日本の女の人二人をそれぞれ抱き上げ、素早くお城の中に消えた。その時の異常に浮きたった男の人たちの雰囲気。圧倒的な何かに胸が潰された私が、その時に感じた目撃してはいけないものを見てしまったという理不尽な後ろめたさが、今でも心の奥に残っている。

まだ赤線地帯の廃止が施行(1957/8年)される以前、今日の新宿区役所、今はないコマ劇場が建つ前、私は家族と共に歌舞伎町との境の西大久保に引っ越して来て、暮らし始めた。

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加藤典洋さんの「9条入門」を読む

去る5月16日に亡くなられた加藤典洋さんの「9条入門」を読み終え、今、以前に書かれた「敗戦後論」を読んでいる。加藤典洋さん、などと親しげに書いてしまったが、実際に面識があるわけではなく、ご著書をキチンと読んだこともなく、時折朝日新聞の紙面に書かれた文章を読んでいたくらいなのに、今になって急にー加藤典洋の著作ーに惹かれる自分って何なのだろう⁇  と相変わらず、私の気付きの遅さに呆れるばかり。

加藤さんの「9条入門」の物語は、『出生の秘密ー敗戦から憲法制定まで (1945〜47年)』から始まる。ということは、1944年の暮れに生を受けた私の始まりにぴったりと当てはまる。75年生きてきて、今、振り返って思うと、子ども時代に、戦後の復興  復興で、大人達が子どもたちもそっちのけにして異常に沸き返っていた頃の新宿の西大久保周辺の空気を吸って育ったということが、私の原点にあり、それ以降、昭和から平成、令和と時代が進んでも、私の心の奥に燠火となって静かに息づいていたのが、この度、この「9条入門」の「ねじれ」の構造に触れて、私の心の中で未解決だった私の「ねじれ」が、再びパチパチと燃え出してきたようだ。

自分って何だったのだろうか? という、いたって素朴な疑問ーもう西の空に太陽が傾きかけているいるという今になってー向き合うことになってしまった。

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ことば

15D4527B-BB3E-4332-975D-C67851D4138B詩梨ちゃん、心愛ちゃん、結愛ちゃん、羽月ちゃん………。なんと美しく、愛のこもった、可愛いいなまえなんだろう‼️

トツキトウカ ーやがて生まれてくる命にどんな名前をつけようか、どんな字にしようか、どんな響きがいいか、、、、、頭の中に、漢字、ひらがな、色、音までもいっぱいに広げて、ことばを生み出す作業に没頭する至福の時間。全てが愛と光に包まれていたはずなのに、何故?

2歳になったコトリチャンは、もうこの世にはいない。ユアチャンも、ミアチャンも、ハヅキチャンも、もういない。

毎日、痛ましいことが多すぎるよ。

昨日、アキラが生協で買ったポーチェラカの苗を、庭に植えてくれた。夏の日差しに強く、初心者向き。暑さにも乾燥にも、たとえ過酷な環境でも次々と赤、黄色、白などの可愛い小さな花を咲かせる、と書いてある。花言葉は「いつも元気」

彼方に行ってしまったみんな、 夏が来たら青空に向かって、可愛い花たちが手を振るから、白い雲に乗って見に来てよぉ〜。

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大失敗

以前にも何回かあったたことだが、先日長男のチカシに送った(と、思っていた)メールが、英語翻訳塾のチカコ先生のところに行ってしまった。ありがたいことに、先生が早速私のメールを転送してくださったので、私の失敗が判明して一安心。 いよいよ、視覚、聴覚、その他諸々、カラダのあちこちの機能が壊れてきたようだ。

箸を持つのもままならない今では、ペンで文字を書くのは一苦労。そんな時、パソコンメールは有り難いが、次第に指の力が失せてきてキーボードの文字入力がきつくなり、ガラケイ携帯をアイホン、ノートパソコンをiPadに変えてタッチパネルに。紙の本を持つのも不自由になってきたので、Kindleに……。いよいよ便利なものが生まれてくるのはありがたけどね〜。

朝、起きると真っ先にベランダに出て「おはよう〜みんな元気〜‼︎」と庭の雑草に挨拶をすると、小鳥たちがお喋りしに飛んでくる。きっと、私の聴覚が衰えを知っているのだろう、と勝手に思っている。風薫る五月の青空が、私のカラダの中に広がった。

F54F8BAD-DD6F-486D-B7B8-6A2FDF5FC386 我が家の庭の雑草たち。

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5月1日のこと

1968年にアキラと結婚して以来、祝日とか連休とかに全く縁のない生活をしてきたので、この度の国を挙げての祝賀ムードの大型連休も、さほどいつもと変わりない日々なのですが、今年の5月1日は、私にとって喜ばしい日でありました。

その一つは、1917年5月1日生まれのアキラのお母さんが、お元気で、めでたく102歳のお誕生日を迎えられたこと。大正、昭和、平成、令和 と走り続けて、今や時間をはるかに超えて、一瞬 一瞬が永遠の、無限空間のなかで穏やかに過ごしています。ありがたいことです。

それからもう一つ。5月1日と2日に西国分寺のいずみホールで、オイリュトミーシューレ天使館第5期生の卒業公演を観られたこと。雨の日も風の日も、オイリュトミー オイリュトミーで明け暮れた4年間を走り抜けた14人の卒業生たち。サナギから美しい蝶になって、爽やかな五月の青空に向かって飛んで行け❣️

私はと言えば、天候不順とは言いながら、雨の次の朝暖かな陽光を受けて、狭い庭で、雑草たち、赤、黄、紫や白の小さな花たちが、一斉にお喋りし始めたように、頭をもたげてくるのを楽しみする日々が続いています。

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アキラのお母さん もうじき 102歳❣️

HED45024F-AEA5-4581-A790-2A90A089150F今、老人介護施設で元気に暮らすアキラのお母さん キミコさんは、この5月1日に102回目のお誕生日を迎える。大正、昭和、平成、そして、明日から新しい元号に。ずいぶん長いこと生きてきたね、お母さん。

ますます 美しく 輝いて………素晴らしいなぁ!

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