車でちょっと、恵比寿ガーデンプレイスまで。

金木犀のほのかな匂いが漂ってきた。すっきりした青空はまだだけど、やっと秋がやってきた。
昨日、すっかり諦めていた東京都写真美術館で開催中の「森山大道の東京 ongoing」展展に、レイジが車でアキラと私を乗せて連れていってくれた。Gott sei Dank!! ヨカッタネ‼︎
以前は、美術館、映画館、芝居、ダンス……ちょっとおめかししたりして、一人で出かけるのが好きだった。今では、自分の命を乗せる自分の車が、いよいよポンコツになってしまったので、恵比寿のガーデンプレイスまで自分の車で走るのは、不可能。自粛するしかない。

森山大道の東京の歓楽街の写真は、幼い私の周りにあった、匂いであり、空気であり、色であり、音であり、男と女のかたちであり……。歌舞伎町で育った子どもの頃の私が今でも私のなかで生きている。楽しい一日。

東京都写真美術館に到着

東京都写真美術館に到着

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9月になったら……

もう9月2日も終わろうとしている。8月末に、9月になったら、と自分に言い聞かせて、美容院に出かけボサボサの髪をカットし、さっぱりしたはずなのに………。
暑い暑い8月の間、朝目覚めると、あの本もこの本も読もうと自分に発信するも、なんのかんのとー例えば、特に高齢者はコロナ、熱中症に要注意などなどー自分に言い訳して、全て「既読スルー」の繰り返し。というわけで、9月になったら、と意気込んでいたのに、もう二日も経ってしまった。アブナイ、アブナイ!

今日は、再読を始めてストップしていた稲垣足穂の「弥勒」の続きから……

………窓こそは日々の新しい読書のページではないか。われわれはこうして常に、無限なる精神的宝庫の真っ只中に坐っているのだ。………地上のことを考えるよりも、星の運行や雲の色彩を眺めるように生まれ付いたこのわたし? ーなら、時の経つのも忘れてしまう雲が、ー「向こうを行くあの雲が好きだ」と仏蘭西詩人が謳ったいろんな雲がとおる………

やっぱり、江美留はいいなぁ〜。地獄の底から一足飛びに宇宙に連れていってくれる。
身に付いた「既読スルー」から抜け出せそうだ。

おお〜い 雲よ 何処に行く……

おお〜い 雲よ 何処に行く……

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35年前の夏の日

御巣鷹山の飛行機墜落事故から今年は35年目の夏。その日も今日のように暑い日だったのをよく覚えている。
その年(1985年)の春、私たち家族は、5年間一緒に暮らしたリーデンベルクの丘の家を離れ、アキラとミツタケは国分寺へ、チカシはStuttgartの郊外のハーメニング家の半地下の部屋へ、レイジと私は市内のホイベルク通りの屋根裏部屋へと、家族がバラバラになった。そして、その夏、私とレイジは、夏休みを利用して、アキラ、ミツ、おばあちゃんのいる国分寺の家に、Stuttgartから一時帰国。成田に迎えにきてくれたアキラとミツの顔を見た時は、心底ほっとして嬉しかった(やっぱり家族っていいもんだ!)。
それから、楽しい 楽しい日本の夏休みの日々が始まったのだが、あの飛行機墜落の大惨事が起る。ちょうどお盆で帰省する家族、会社の休暇で、久しぶりに妻子、両親の顔を見るのを楽しみに我が家に戻る単身赴任のお父さん………みんなそれぞれがそれぞれに、目の前に迫った喜びの時間を信じていただろうに………。なんとも言い表しがたい悲しみ、痛みが日本中を覆った。
事故の直後のことなので、飛行機の旅に些か不安があったが、時間の流れは止められない。御巣鷹山の惨事から一週間後、私とレイジは、アキラ、ミツ、おばあちゃんに「またね!」と約束して、酷しい残暑の日本からドイツへ飛んだ。
Stuttgart はすっかり秋だった。冷たい空気、澄み切った青空。金色に色付き出した銀の森の木々の葉……。ドイツがすっぽり私の中に入ってきた。地球の向こう側に、アキラ、ミツ、おばあちゃんがいる。チカシは隣町にいる。私とレイジはここにいる。みんな一緒に生きている!と思った。35年前、パソコンも携帯もFAXもメールも無かった。手紙を出すと返事が来るまで2週間、胸を躍らせてじっと待った。
あの頃を思い出すと、なんとのんびりとしていたことかと、懐かしく、切なく、愛おしくなる。
WITH CORONAの今日、近くても遠くても、親子でも、兄妹でも、友だちでも、会うことも、お喋りすることも、一緒にご飯を食べることも、ままならない。いつまで続くのだろうか?

   わたしたちの最後から一歩てまえの………

  わたしたちの最後から一歩手前の言葉は
  みじめな言葉かもしれない、
  しかし、母なる良心を前にして
  わたしたちの言葉は美しいにちがいない。

  なぜなら、どんな苦さも
  押さえることのできない
  ひとつの望みのすべての努力を
  ひとつの言葉に要約しなければならないのだ。
            R.M.リルケ『果樹園』より  高安国世訳

琵琶湖畔の友から手作りの葉書が届いた。空の色、波の音、風のそよぎ……いっぱいある。

琵琶湖畔の友から手作りの葉書が届いた。空の色、波の音、風のそよぎ……いっぱいある。

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夏の記憶

やっと 夏が来た! でも、テレビのニュースは、日に日に増えるコロナ感染者の数の話ばかり。後期高齢者は、誰にも会わずに家に篭っていなければならないの………?
子どもの頃の夏休みは、楽しかったなぁ。

「夏の記憶」ーノートからー

 朝
 目覚めると
 大きな夏の青空が
 私の、リウマチで
 歪んだカラダの内側に
 するりと入り
 七十年前の朝が
 今日の朝と重なる

 幼い目に映った
 あの青空
 顔より大きい くし形のスイカ
 甘い香りが あたりに漂い
 小さな口から
 溢れ出る
 赤い果汁が
 洗濯したての 白い
 木綿のワンピースの胸もとを
 真っ赤に染める

 容赦なく
 照りつける
 真夏の太陽の光
 夢中でスイカに食らいつく
 汚れを知らない子どもらの皮膚を
 じりじりと 焼く

 ひまわりの黄色い花弁に 目が眩み
 ミツバチがぶんぶんうなる
 スイカの種 一番遠くに飛ばしたのは
 だあれ?
 明るい声が
 彼方の世界に木霊する

 無限の時間が 凝固する

 畑の中の
 野ウサギの滑走
 一匹の蜥蜴が
 焼けた石の上を
 過った

 未来から
 記憶の風が吹いてくる

田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。

田舎のおばあちゃんの家の縁側で、いとこたちとスイカを食べる。

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「詩は生命から生まれる/生命は詩からうまれる」

ブッシュ孝子全詩集「暗やみの中で 一人枕をぬらす夜は」を読む。
私のカラダのすみずみまで差し込んでくる美しい光……透明で目に見えないど………。

 私の身体が痛みと闘っている時は
 私の心は必死で それに耐えている

 私の心が苦しみと闘っている時は
 私の身体は一生けん命 それに耐えている

 ああ いつになったらお前達二人
 手をとりあって喜びあう日がくるのだろう     10/6

 
 迷子の小鳥は
 わたしの窓辺にとんでおいで
 私の手の中で
 お前はきっと忘れた歌を思い出す

 迷子のそよ風は
 私の窓ガラスを叩いておくれ
 私はお前にふるさとへの道を教えてあげる
 
 迷子の流れ星は
 私の窓辺に落ちておいで
 私はお前を赤いローソクにともして
 この世の闇を照らしだそう            11/18

 失うという事を
 知らない人がいる
 得るという事を
 知らない人がいる
 なんだか最近は
 そんな可哀そうな人ばかり            1/21 
   
    ブッシュ孝子全詩集「暗やみの中で 一人枕をぬらす夜は」より 

1945年3月20日生まれの詩人は、1944年12月10日生の私とほぼ同い年。同じ頃、大学を卒業し、不安と希望とともに自分の人生を歩み出し、結婚し、病を得て………。癌のため28才で早逝した詩人の魂は、光の言葉を纏って、私のカラダに命の食べ物を与えてくれる。

懐かしい聖イグナチオ教会 私たちも大好きだった

懐かしい聖イグナチオ教会 私たちも大好きだった

  

 

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「マルテの手記」

いつになったら、梅雨が明けるのだろうか? 今日も雨降り………。何か明るいニュースはないかなぁ〜。まだ30歳なのに突然自殺した青年俳優のこと、筋萎縮症に苦しむ女性を自殺幇助し逮捕された医師達のこと、増え続けるコロナ感染者の数。「人間は生まれた瞬間から死に向かって歩き出す」なんてよく言うことだけど、からだの中に抱えてきた自分の死が、自分のからだで支えられないほど重たくリアルに感じられるようになったら………死を実行するほうが、生きるより容易いのだろうか?などと頭の中で思考を空回りさせているより、友人に電話しよう。
「わたし、死ぬのはいいとしても、コロナでは死にたくない!」と訴えると「同感!苦しいのは嫌よね」と、私より10歳も年長で、その上、心臓疾患を抱える私のお姉さん的存在の友だちの、明るい温かな声が返ってきた。それにしても、年若い人たちの死ー自死ーのニュースを聞くと、心が痛み哀しくなる。
         

生きることが大切だ。とにかく、生きることが何より大切だ。
………………
詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって………、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。……… 詩は本当は経験なのだ。………
               R.M.リルケ「マルテの手記」 大山定一訳

「マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)

「マルテ・ラウリツ・ブリッゲの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)

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笠井久子ブログ

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