天使館

天使館は 笠井叡によって1971年の春に設立されました。名前の由来は ローマにある有名な城 “天使城”(サンタンジェロ)。空を飛ぶ天使からもらったわけではありません。この天使城は ローマの歴史の中では二つの役割をもっていました。ひとつは牢獄として長く使用されたこと、もうひとつは その後マニエリスム絵画の収集の宝庫となったことです。
マニエリスム絵画とはルネ・ホッケが名著『迷宮としての世界』の中で述べているように、中味 ・本質が見えなくなるほどに技術が前面におし出された絵画のことです。というわけで 天使館は人間が天使に進化することをもくろむ場所ではなく、人間の身体にアプローチしていくための技術を研究するセンターです。

「天使館」と名づけられたこの建物は、若い前衛舞踏家・笠井叡の稽古場である。

外はまっ白く塗られたセメントの荒貼りで、軒先の金の縁取りが陽に輝く。

鉄鋲で打ち固めた扉をあけて内に入ると、そこも白一色に塗られており、天井近くに取りつけられた四つの小さな窓から光がこぼれてくる。その光の量は決して十分とはいえないが、しかし四周の白壁に反射して十分に明るい。

武蔵国分寺の史跡近くの自宅の庭に、氏とその研究生とが、設計から施工までをみずからの手で仕上げた小さな館である。

ルネ・ホッケの名著「迷宮としての世界」に登場するあの怪奇な装飾と収蔵品に満ちた天使城にちなんでその名をつけたとのことであるが、建物自体の印象はマニエリスムというよりもロマネスクに近い。

八月初めの一週間、この稽古場の披露をかねた舞踏公演が毎夕開かれた。

もともと稽古場であってみれば観客席のあろうはずもなく、詰めかけた二十人ほどの客たちは部屋の一隅に身をこごめての舞踏会であった。

舞台装置といえば、古めかしいオルガンが一台奥に置かれてあるだけで、あとは窓越しの照明設備と簡単な音響装置のみの一時間半の公演であった。

中世の黒ミサを想わせるその舞踏は、かといってヨーロッパ的なものでもなく、日本の芸能がその底辺にいつも持ち続けてきた暗い悲しみといったものをも包含して、見終った後も長く余韻の残る夕べとなっていた。

(藝術新潮 一九七一年九月号)