ダンスの学校 第3期 2021年10月から2022年9月 毎月2回   講師 笠井叡

【告知】
天使館
ダンスの学校3期募集
『ダンスの学校』
講師 笠井叡
ダンサーのカラダづくりを中心に、振付の基礎とインプロビゼーションを行います。
第一期はベートーヴェン作曲第九交響曲1楽章の振付(カラダの基本動作を中心に)
インプロビゼーションは時間空間を、自分の内部から作り出す「能動空間」「能動時間」として練習。
第二期は ステーヴ・ライヒ作曲 Double Sextet (2007年)を通して、リズム的振付。
インプロは対象世界(外界)と表象(内界)の練習。
今年の10月から始まる第3期は、振付においては、メンデルスゾーン作曲の『フィンガロの洞窟』を中心に、液体的、気体的動きの練習。インプロでは、鉱物イマジネーション、植物的イマジネーション、
色彩練習、「日常のダンス化」等を行います。
期間 2021年10月〜2022年9月(毎月2回)
時間 18時〜21時
場所 天使館
東京都国分寺市西元町3-27-9
定員 13名
学費 一年間10万円

受講希望の方は
1.お名前
2.生年月日
3.プロフィール
4.応募動機
以上をお書きのうえ
kasai_uemura@yahoo.co.jp
までメールにてお送りください。
応募者多数の場合、書類選考の上こちらからご連絡いたします。
応募締め切り 9月12日(日)
日程
2021年
第1回 10月2日 土曜日
第2回 10月16日 土曜日
第3回 11月7日 日曜日 
第4回 11月20日 土曜日
第5回 12月4日 土曜日 
第6回 12月18日 土曜日
2022年
第7回 1月8日土曜日 
第8回 1月29日土曜日
第9回 2月5日土曜日 
第10回 2月19日土曜日
第11回 3月12日土曜日 
第12回 3月19日土曜日
第13回 4月16日土曜日
第14回 4月30日土曜日
第15回 5月7日土曜日
第16回 5月21日土曜日
第17回  6月11日土曜日
第18回  6月25日土曜日
第19回  7月9日土曜日
第20回 7月23日土曜日
第21回 8月6日土曜日
第22回 8月20日土曜日
第23回 9月10日土曜日
第24回 9月17日土曜日  
発表公演   2022年9月18日 日曜日 
9月19日 月曜日
発表公演は天使館にて行います

笠井叡 プロフィール
モダンダンスを江口隆哉に師事(1962~1965)
即興的舞踏を大野一雄に師事(1963~1966)
土方巽に私淑
クラシックバレエ個人レッスンを千葉昭則より受ける((1964~1965)
オイリュトミーをシュトゥットガルト・オイリュトメウムにて学ぶ(1979~1985)
あらゆるジャンルを超えて、新しいダンスの創出に挺身している。
お問い合わせ
090-8309-5096
kasai_uemura@yahoo.co.jp
主催 天使館
制作 笠井瑞丈×上村なおか
担当 笠井瑞丈

『金鱗の鰓を取り置く術』WS 2021年8月~2022年4月

「金鱗の鰓を取り置く術」とは、カラダ、コトバ、声、天体と四季、
この四つの領域に共通して存在している「天火水地」の法則を、
天津神算木という道具を通して、体験的に学ぶ時間です。
初めての方もどうぞご参加ください。

第4回 8月14日 土曜日
第5回 9月5日 日曜日(お違えないよう)
第6回 10月30日 土曜日
第7回 11月21日 日曜日
第8回 12月17日 金曜日
第9回 2022年 1月22日 土曜日
第10回 2月12日 土曜日
第11回 3月26日 土曜日
第12回 4月23日 土曜日
午後18時から21時まで。
国分寺天使館にて  参加費 3000円

午後6時から9時まで。
よろしく。笠井叡

初心者のための ダンス オープンクラス 2021年5月~2022年4月 全12回

 講師 笠井叡

振付:ベートーヴェン作曲ピアノ変奏曲第32番の振付作品
課題:イマジネーション空間とカラダの接点におけるインプロビゼーションの練習

第3回7月18日日曜日
第4回8月8日日曜日
第5回9月1日水曜日(日にちが平日に変わっています)
第6回10月31日日曜日
第7回11月28日日曜日(未定)
第8回12月19日日曜日
第9回1月9日日曜日
第10回2月13日日曜日
第11回3月27日日曜日
第12回4月24日日曜日
天使館
17:00~21:00
参加費 5000円
お問い合わせ 042 307 9758

オイリュトミー初伝講座 天使館 笠井叡  2020年8月~2021年9月

オイリュトミーとは、ルドルフ・シュタイナーによって提唱された、言葉と音楽とともに動くことによって
人間の感覚器官を生命器官に、人間の生命を運動器官に変化させるメソードです。
広く身体全体に人間の内的な可能性を広げる練習です。初めての方もどうぞご参加ください。
スケジュール
2021年
7月17日 土曜日第 10回
8月15日 日曜日 第11回 
9月15日 水曜日 第12回(19日が変更)

第1回 10月3日日曜日
第2回 11月17日水曜日
第3回 12月5日日曜日
第4回 2022年 1月23日日曜日
第5回 2月20日日曜日
第6回 3月13日日曜日
第7回 4月27日日曜日
第8回 5月15日日曜日
第9回 6月19日日曜日
第10回 7月16日日曜日
第11回 8月21日日曜日
第12回 9月24日土曜日

時間  18時~21時
場所 天使館 国分寺市西元町3の27の9(JR 国分寺駅南口下車徒歩20分()
電話  042 307 9758
参加費 1回5000円
初めてのご参加の方は、事前にご連絡をくださいますよう。

EURYTHMIE WS 12 IN HP akira kasai 5/31

ka

WS 12
今日で5月も、おしまいです。ついに、この2ヶ月、私は家の近辺以外のどこにも出かけることなく過ごしました。明日、6月から少しずつ生活を変えていきたいと思います。天使館関係のダンスやオイリュトミーの講座も、今できる、可能な形態で、少しずつ再開できればと思っております。
今日のオイリュトミーWSは、子声の「K」を取り上げます。

日本語の七十五声の中で「k行」は「天火水地」においては、「天」に分類される子声です。イメージ的には、「神」「輝く」「光」「極」「君」「頭かしら」「金」とかの言葉と結びついていますね。皆さんもご存知でしょうけれども、古代エジプトに「KA」という神話的な動作があります。
マンフレート・ルルカーというドイツのエジプト学者が、この「KA」について、およそ次のように述べています。

  KAは生命を創造し、維持する力を表す言葉である。古代においては、「KA」は生命の根源的な力である。それは一人の人間(アンドロギュヌス)の中の男性的能力のことであり、それは生命の象徴である牛(カー)を意味する言葉の音声を作り上げている。同時にそれはすぐに精神的、霊的な力を意味するようになった。形象文字では、左右の両手に直角にあげている姿である。
神話的には、KAは人間が誕生する以前から存在し、誕生とともにその人間と一体になり、再びその人間が死ぬと、KAはそのまま人間から離れて生き続け、生命の根元に還る。それは人体の根本を生かす力であるが、物質的な食物ではなくて、人間の最も霊的な食物である。そこで、エジプトでは、すべての生産物はまず最初にこのKAにささげられた。

エジプト神話的に言うならば、今の私たち自身の中にも、このKAが働いていて、もし私たちが自分のカラダの中にkAを見いだすことができるならば、人間のカラダはただ単に神々によって作られた体ではなく、人間自身がその力を「身体創造」として用いることができる、ということを意味しているのでしょう。kAは両手を左右にまっすぐに伸ばし、肘のところで手のひらを内側にして直角に曲げた姿勢です。これは子声のK、音階で言うF の音からGのへ移行する、そのちょうど中間のところに当たります。直立に立って、この姿勢をしばらくのあいだ続けていますと、カラダの中に、ある変化が生じてきます。最初に心臓周辺の力が次第に強まっていき、その力が喉を通って上顎と下顎の方に流れるようになります。丁度子声のKを発声しているときの口の形です。
そして左右の両手の十の爪のところに向かって、上下の口の歯の力が流れるようになります。
心臓と歯と十の爪が一つの力の流れの中で結びつけようになりましたら、そこで、声を出さずに全身でKA声を発声します。さらに、吸気発声において、全身に嗅覚の力を流し、その力が心臓と歯と爪の流れと合流するように、繰り返し練習します。
次に子声の「KI」を右手を上に次に左手を上に左右交互にとりながら、無声で子声KIを全身に流します。この時この力は左右の聴覚に結びます。
次にこのKAとKIを嗅覚・聴覚を交えてカラダに変化が生じるまで、交互に繰り返しとります。
次に胸の高さのところで子声のKOを一回づつ、両手を下に下ろしながら十回とります。次に、
KO・KA・KI   KO・KA・KI   KO・KA・KIをKOを喉に、kAを嗅覚に、KI を聴覚に結びながら、耳鼻咽喉が一つに結ばれて、目に「見えないカラダ」の中心点となるまで続けます。

WS コロナの時代からの労働とダンス 笠井叡 2020年5月12日

akira

経済活動は今日、最も重要な課題である。それは現代という歴史的な転換期において、唯一解決しなければならない最大の課題である。この問題を解決しようとしない限り、アート全体の未来的な方向は見えてはこない。今日、人間は総じて、経済活動の本質が何であるかを、明瞭に意識しているとは、言えない。なぜならば、「人間の労働力は, 経済活動に組み込むべきだ」と,いまだに考えているからである。人間の労働力は、経済活動に組み入れるべきものではない。人間の労働力は、賃金契約の対象でもない。労働における「賃金契約」は、現代社会において、最後の奴隷制であるといえる。人間は今もってなお、金融奴隷制の中に甘んじている。人間の労働は、神聖な個人の「精神生活」、それは権利でも義務でもない、「自由」を基調とする、個人の精神生活に属している。ダンサーにとって「舞台公演」は自己の祭壇に載せるせるべき、神聖な供物である。同じように、すべての「労働」は、一人の人間の精神活動が生み出す最高の供物である。それは、賃金契約の中に組み込まれるべきものではない。労働力を経済活動から引き離したとき初めて、多数決を基調としている民権制社会から、真の人権社会への移行が生じる。

神権制という最も高度な精神性を実践しようとする古代社会において、その経済基盤は奴隷制によって、実現されていた。奴隷は売買の対象か、商品以下の存在であった。或いは贈与品として扱われた。動物と同じような扱いを受け、一切の人間の権利を有しなかった。これは古代神権制の最高の矛盾ではある。しかし神権制から王権制に移行していったのは、この奴隷制の矛盾解決のためではなく、神権という精神性を失った者たちによる、肥大化した地上的欲望によって、王権社会の経済活動が成り立っていた。その経済活動とは、人間存在のすべてが「経済活動」の中に組み込まれ、農産物や工業製品や武器産業のための「経済力としてのみ」、人間が存在した。その点において、古代の奴隷制と王権制による農奴制は、変わらない。民権制は人間存在を労働力として扱うことの矛盾から、民主主義という名のもとに、人間を引き離した。

しかし、それに代わって、「商品」という名の「労働力」が現れたのである。民権社会において、もはや古代的な奴隷制や王権制社会の中における農奴制は消滅した。しかし、新たに現れたのは労働力そのものが、「商品」「に変わったのである。いずれにせよ、経済活動における奴隷制は、こうして基本的に民権社会の中においても、存在し続けている。労働の本質を人間がみずからの中からとらえようとせず、自分の労働力が商品化されているということに対する「嫌悪感」を感じながらも、それが当然であるかのごとくに、一種の「催眠にかけられた状態」で、人間は経済活動に組み込まれている。
人間有機体において、頭部の感覚神経系の働きと腹部の新陳代謝系、消化器系の働きは、互いに結びついてはいるけれども、互いに有機的にそれぞれの働きが自立することによって人体は保たれている。もし、頭部の感覚神経系が常に新陳代謝に働きかけて、結果として体がストレスを強く持ったまま代謝系の働きを行うならば、それは、やがて病的な状態に移行しうる。それは社会有機体でも同じである。

立法・司法・行政を行う政府や政治的な働きが強く、経済活動に介入するならば、経済活動は自立して自分の活動を行うことができない。それは政治利用の経済活動、病的な経済活動となる。経済活動は国家や政治的目標から完全に自由になって、経済そのものが自立した働きを有機体の中で行うことができなければならない。経済活動の目標は、富の獲得や資本の蓄積が問題なのではなくて、資本が一つの有機的社会の中で、必要なところに常に流れていく、その流通ができていなければならない。資本が一箇所に集中しすぎたり、人間的活動に供されない富みが、一つの場所に集中して、流通性を失ったり可動性を失ってしまうと、経済は肥満状態に陥ったり、やがて死んでしまう。経済活動によって、個々の必要な利益は得られなければならないが、それは、経済活動の「目標」にはならない。経済活動が健康であるためには、人間はそこから自分に必要な利益を得なければならない。しかし、経済全体の目標は、利潤追求や富の蓄積そのものにあるのではない。経済活動においては、各人が自由に自分に合った労働、仕事を行い、そこから利益を得るわけであるが、その利益は、本来、賃金契約から来るものではない。

一人一人の人間は、自分に合った仕事を見出し、社会の中でそれを分担する。自分は農業のいかなる部分を請け負うか、工業のいかなる部分を行うか、舞台芸術においては、いかなる部分を自分が分担するか、という分担が社会全体の中で承認され、その承認にふさわしい労働を行い、その労働が社会全体の中に組み込まれるような契約が、「賃金契約」に代わって基本になければならない。このような契約を「分担契約」という言葉で表したい。そしてそのことによって労働を賃金契約という制度から、純人間的な「労働の本質」と結びつくような契約へと、移行すべきであろう。

自分がある仕事を「分担しよう」とするのは、基本的に労働を経済活動から分離しているからである。労働は自分にとって自己実現のための唯一の精神活動であり、利潤を目的しているものとは、根本的で異なっている。労働が経済過程の中に組み込まれている限り、労働は必ず「商品の性格」を持たされることになる。そして商品の性格を持つ限り、労働は、商品の生産と商品の消費からなる、経済生活の中に組み込まれる。そこから出てくるものは、商品を通しての「利潤の追求」が、経済活動の目標とならざるを得ない。

労働による生産物 (ダンサーであればダンス作品) は商品として流通するのではなく、カラダの中における栄養素が必要なところに必然的に流れなければならないように、生産物は商品的な価値として流通するのではなくて、社会の中における必要なところに速やかに流れるための社会的な栄養物なのである。人間の生活形態は、生産物が商品として流れるところの利潤を、自分の労働力の当然なるものとして受け取ることによって成り立つのではない。彼が精神活動としての労働を行うのに必要な当然の結果として、すべての生活費は基本的に国家によってすべて、保障されなければならない。すべての生活費は労働によって得られるのではなくて、 「生きるために労働するのではなく、労働するために生きる人間」  の当然の結果として、国家によって完全に保障されなければならない。

すべての利益は人間が「意識の力によって生きている」という事実から、生じるものである。労働する人間は、この世に存在するから生きているのではなく、自分の生きることに全意識の力を投入し、生きることを物質の世界における「単なる物質代謝」としてではなく、自分の肉体と出会うこと、物質的な環境と出会うこと、大自然とという物質の総体と出会うことによって、常にそこに対して最大の意識の力を流し込もうと、努力すべきなのである。そうするならば、全くカラダを動かすことのできない病を持つ人々であろうと、存在してること自体が、すでに精神活動としての労働となりうる。すべての生活に必要な利益は、労働の結果によるものではなくて精神活動を行っていく上での「意識の運動」そのものから生じる。

そして労働を、精神生活として行うことから生じる一切の責任は、個人が担うべきものではなくて、社会全体がそれを担うべきものなのである。